このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

北京・西安調査 5  
2009年11月6日(金) 五日目   <咸陽(現地見学)、咸陽→西安、西安(餃子、鐘楼と鼓楼と南門)>


<退耕還林の現場を見る>

 7時起床。朝食は1階の会場でのバイキングでしたが、他のホテルに比べると正直なところイマイチな気がしました。青菜の炒め物が変な味がするのと、饅頭の中身が微妙。


<ホテルの部屋からの眺め>

<本日の朝食>

 本日はいよいよ退耕還林の現場を見るということで、8時10分に貸切バスでホテルを出発。最初の目的地までは約2時間で、それなら朝も早かったしバスの中でぐっすりと寝ようと思いましたが・・・。まだ楊凌の街中の舗装された道路はよかったですが、やがて郊外に出て、舗装されてない土の道を進む段になると、バスがジェットコースターの如く揺れて大変でした。バスは昨日の高架に挟まった「押してダメならさらに押す」の運転手で、相変わらずサングラスをかけ、悪道にも関わらずスピードを出しまくります。おまけに対向車がいようものならクラクションをバンバン鳴らすので、うるさくて寝られません。日本だったら事故レベルのクラクションの鳴らし方をしょっちゅうするので、それが中国のやり方だとは理解しつつもびくびくします。とか何とか言いながら、結局寝られてしまうもんなのだけど。慣れてくるとその猛烈な揺れが気持ち良かったりするのだから、不思議なものです。

 比較的ぐっすり寝て、途中ガソリンスタンドでトイレ休憩。トイレはいわゆるニーハオトイレで、しきりなど全くありません。そもそも便器という概念がない。男性であろうが小も大も一緒です。用を足すべきところには、前の人のブツがどーんと鎮座しており、見とうない見とうない・・・と思いながら小をしなければいけません。でも見ないと的が外れてしまう(汚い話ですみません)。困ったもんです。改めて、北京やホテルのトイレが相当進んでいるのだと実感しました。


<スローガンの多い楊凌の街>

<途中ガソリンスタンドでトイレ休憩>

 「退耕還林政策」とは、黄土高原で1999年から行われている国家プロジェクトです。黄土高原では、農業生産増強のため、条件の悪い傾斜地を農地化・放牧地化してきました。しかしそれによって表土流出や水源涵養機能の低下が深刻な問題になりました。これらを解決するため、特に傾斜地25度以上の条件の悪い農地や放牧地に植林し、再び森に還そうという試みが「退耕還林政策」になります。植林することによって農地を失うことになる農民への所得補償、植林による自然環境的な問題等、検討すべき課題もあります。今日はいよいよ現場を実際に見てみようということです。

 10時半に最初の目的地に到着。最初の目的地は退耕還林をやりつつ、その資源を利用して観光地化しようとしている場所でした。清華大学の環境デザインの先生が指揮をとって整備しているそうです。ここでは実際の退耕還林政策の現状を見るというよりは、黄土高原の広大な風景を観察する、という方が大きかったでしょうか。写真に見えるポツポツとした木々がまさに退耕還林政策によって植林された場所ですが、それ以上に黄土高原が作り出す風景に圧倒されました。こんなに壮大な景色だったとは。阿蘇の大観峰から見た阿蘇外輪山のスケールを、数倍にした感じです。いやあ、大陸の自然は凄い。スケールの観点では島国日本は勝てそうにありません。

 スケールも壮大ですが、写真を見てもらうと分かるように、自然浸食の激しさもわかります。放っておいたらすぐに水や風で浸食されてしまうのだろう、という過酷な地形です。ここに緑を植えて、少しでも浸食を防ごうというのが退耕還林政策の目的です(と理解していますが…)。

 この場所にはヤオトン(窰洞)という、伝統的な横穴式住居もあります。木材が少なく、地形も厳しい黄土高原に適した住居だそうです。ただし、最近では退耕還林政策による補助金で、この地区の農民はほとんど平屋の家に移ったということでした。もちろん、黄土高原では未だにこのヤオトンで生活している農民もいるそうで、その数はとある調査によると4000万人にも上るとか。


<ヤオトン(窰洞)>

<夏は涼しく、冬は暖かいらしい>

 ここではこの伝統的横穴式住居であるヤオトンを利用して、ホテルとして整備しているそうです。来年五月に完成ということで、陝西省の咸陽辺りにお越しの人は一度泊まってみてはいかがでしょうか?


<綺麗にアレンジしてホテルに>

<来年五月に完成予定だそうです>

 再びバスに乗って、次の目的地へ。黄土高原の切り立った崖のような場所を、土煙を上げながら猛スピードで疾走するバスに恐怖感を覚えつつ、植林地が一望できる場所に到着しました。傾斜地にどんな木を植えるのかは、ほぼ地方政府の裁量に任されているそうです。中国に来て初めて地方政府の裁量がある場所というか、地方ガバナンスを聞いたような気がします。中央の言いなりじゃないんだね。

 しかし実際現場を見てみても、この植林が実際どれだけの効果があるのか、その方面(生態面・生物面)に疎い僕には正直なところは分かりません。我々が調査対象にしているのはガバナンスや補償の費用負担といった社会科学的側面なので、例えば実際の農民の暮らしなど、そっち方面の現場を見られるとより良かったのだけど。今回はさすがに時間がなかったということですが、来年はもっと奥に行くそうなので、万が一行く機会があれば見てみるのもよいかなとも思います。


<手前の木が退耕還林によって植えたもの、向こうに見えるのがヤオトン>

<また植えて間もない木々>

<少し成長するとこうなる>

 昼は咸陽市内の永寿県(えいじゅけん)にあるレストランで。中国の制度を知っている人はご存じだと思いますが、中国は基本的に市(地級市=第2レベル)の中に県があるという、日本と逆の配置になっています。地級市の中にある県と同列の市(県級市=第3レベル)や、北京や上海など、省と同じ格の直轄市(=第1レベル)もあり、かなりややこしいことになっていますが・・・。中国のガバナンス研究をするなら、そこからしっかりと把握していかないといけないのが大変。


<昼食会場の天和大酒店>

<永寿県庁舎付近>

 レストランはテーブルの関係で先生達と別室ということで、特講Yさんと学生のみという、心おきない時間が過ごせました。もちろん昼からビールを飲みつつ。この辺りの郷土料理ということで、家庭的な味でおいしかった。B2がこの地方の名物のようです。たれにつけて食べるとおいしかった。C5は茄子の牛肉挟み煮で、中国で茄子にハズレはないと思い知った一品です。うまい。A6・B6はちょっと辛めの麺類で、A6が太麺、B6がおかわりの細麺。麺もさることならが、汁もおいしかった。B4は前回上海でも出てきた、ナツメのもち米包みです。甘くて美味。

 ここのウェイトレスのお姉さんは素朴な感じで、多分若いとは思っていましたが、年齢を聞くと何と16歳でした。若いのに頑張ってるねえ。しかしその若さゆえか、「早く食べてくれないと他の料理が置けない」とか、まだ残っている料理を下げてしまうとか、若さ爆発といった感じ満開でした。まあでも若いからおじさん許しちゃう。

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 食事後3時から、レストラン近くにある永寿県人民政府で、退耕還林政策に関して地方政府関係者との懇談会。まあしかし、昼食後だったこともあるのか、懇談会中にトイレに行く人(僕含め)、寝る人(若干僕も含め)が続出するし、僕の隣に座った純一(=北京からついてきた謎の中国人学生)は昨日に引き続いて音の出る携帯をいじり、ピポパポと音が鳴り響くしという、時間が進むに連れて全く締まりのないものになってしまいました。純一はメールでもしているのかと思ったら、ただ単に電話帳を眺めていたようです。携帯に飽きたら僕や修士N君が取っていたパソコンのログを覗きこんで来るし、手元にはメモ用紙も何もないし。もう一度言おう。あんた何しに来たんだ。


<永寿県人民政府(恐らく)>

<懇談会を行った建物>

 結局懇談会は2時間行われましたが、最後は各方々で議論が起こり、もう何が何だか。皆が好き勝手話し出して、議事録もへったくれもあったもんじゃありません。おまけに部屋には「禁煙」の表示があったにも関わらず、しかも懇談会という場所にも関わらず、永寿県関係者はスパスパ煙草を吸ったりしています。最終的には総じてグダグダカオスな感じで終わってしまいました。うーん、最後の最後で締まりが悪い。

 一応これで調査・聞き取りに関する日程は終了し、バスに乗って西安市内へ。

<京都や奈良のお手本、西安の街>

 咸陽市永寿県から2時間、陝西省の省都西安市に到着。夜7時半になり、すっかり暗くなっています。西安はかつて長安と名乗った歴史ある街。漢・随・唐の首都です。奈良平城京や京都平安京の街づくりもこの長安がモデルになっています。京都フリークの僕としては、その師匠に当たる都市を訪れることが出来て、若干テンションが上がりました。

 西安の中心地にして街の象徴でもある鐘楼。その鐘楼の目の前にある「鐘楼飯店」が今晩のホテル。しかも今晩は奮発ということで、学生もシングルの部屋に泊まれることに。早速チェックインして部屋に入ってみると、最初は奥行きが狭くてかなりがっかりしました。が、実は左に曲がれることが分かり、曲がってみると奥に広い部屋が!こんな縦長の広い部屋が隠れていたなんて。ベッドがダブルなのもともかく、部屋が縦長なので窓も広く、しかも部屋が鐘楼側に面していたので、部屋からは街のシンボルである鐘楼が見放題です。こんな部屋に一人で泊まるなんて勿体ない。贅沢だなあ。こんな部屋に泊めてもらうと、逆に謝りたくなります。何かすみません。。


<鐘楼前にある鐘楼飯店>

<奥に広いシングル部屋>

<広めのダブルベッド>

<部屋から見える鐘楼>

 夕食は西安名物の餃子を食べるということでしたが、その前に少し街を散策。中国では鐘楼と鼓楼が対になって存在するので、鐘楼から歩いて鼓楼へ向かいました。鐘楼と鼓楼の間は本当に西安の中心地に当たるので、一帯は繁華街になっています。


<ホテルの前から見る鐘楼>

<繁華街>

<鼓楼に続く道>

<鼓楼>

 一通り歩いて、夕食は鐘楼・鼓楼に近い餃子の「徳発長」へ。1936年創業の老舗餃子店だそうです。全部で800席もあるという店の大きさもさることながら、店に入ったときの巨大な餃子オブジェに驚きました。


<巨大な餃子>

<繊細なモニュメント>

 2階へ行き、個室のくるくるテーブルに座って、餃子のフルコース。最初に何品か前菜をつまんだ後、これでもかというほどの餃子攻勢にあいました。最初にC1の焼き餃子が出てきた後は、ひたすら蒸し餃子。エビや野菜、豚といった定番から、海鮮、羊、クルミなど、日本人にとってはちょっと変わり種まで、全て違う種類の餃子が13種類出てきました。全部説明されたけど、何が何だか忘れてしまったのが悔やまれる。ここの餃子は味だけでなく見た目も凝っています。そして最後におかわり自由の水餃子が出てきて、〆は水団風のスープ。この地域の地ビールっぽいHANSビールと共においしくいただきました。幸せなひと時。

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 食後一旦ホテルに戻り、せっかく西安に来たのだからと数人で夜の西安を散歩しました。さすがに時間的に遠出は出来ないので、歩ける範囲でということで、街を囲む城壁の南門までの約1kmをてくてく歩いて。街の様子や歩いている若者の格好を見ると、西安の中心地は北京よりも東京に近い感じがします。車に絵をペイントした、いわゆる痛車もあって、何となく垢ぬけた雰囲気です。


<南門に向かう>

<痛車なるものを発見>

 西安は京都のように歴史的遺産が街中にたくさんあって、という感じではないようです。つい1世紀前まで首都だった京都に対し、長安が首都だったのは千年も昔の話。以降は地方都市として残ったため、その遺構のほとんどが廃れてしまったという理解でよいのでしょうか。鐘楼も鼓楼も城壁も後世の明代のものだそうなので、長安時代の史跡はそう多くないのかもしれません。

 できれば南門を登って、城壁の上を歩いてみたいところでしたが、さすがに夜は歩くことができず、遠巻きに眺めるのみになってしまいました。今回は西安に滞在する機会が短かったので、次回があればじっくりと滞在したいところです。


<南門>

<城外に出てみる>

<城外から見る城壁>

<お守り>

<南門を城外から>

<堀と橋>

 11時半にホテルに戻り、日付が変わってから就寝。部屋が広いので落ち着きません。


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