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東京見聞録  
2008年3月12日(水) <日田(豆田町の街並み、焼きそば)、久留米(久留米城址、水天宮)>


山の中を走る日田彦山線>

 帰省中は家にいてもボーっとしてしまうか本を読んで過ごすかになってしまうので、今日は日帰り旅行に出かけることに。目的地は大分県西部の日田と福岡県南部の久留米。帰省中は結果的に1日おきに小旅行に出かけていることになったので、旅行記はまとめて「北部九州旅行記」としておきます。つながりはありませんが、場所的には福岡・佐賀・大分北部といった九州北部なのでまとまりがいいかと。

 実家を朝6時過ぎに出て下関駅へ。朝食を食べてなかったので、駅のふく天うどんでも食べようと思っていましたが、開店は6時半からでまだ開いていませんでした。仕方なくホームに上がり、もしできれば小倉駅での乗り継ぎ時間で立ち食いうどんでも食べることにしました。朝の下関駅は静かで、煙った漁港から海の匂いが漂ってきます。


<下関駅改札>

<みすず電車が走っているらしい>

 6時35分発の電車に乗り、九州の小倉には6時49分着。小倉は政令指定都市なので、7時前なら立ち食いうどんくらいは開いているだろうと思いましたが、降りたホームの店は開いていません。他のホームに行ってみても、コンコースの立ち食いも開いてない!のぞみも全部停まる政令指定都市の代表駅がこれとは一体どういうことか!と思いましたが、一番端のホームで営業しているうどん屋が見えました。時間がないので焦ってそのホームに行き、かしわうどんを注文。かしわとは鶏肉のそぼろのことで、北九州の名物でもあります。薄いけどよく出汁が出たスープに、柔らかめのうどんが合います。朝は寒いので暖かいうどんはおいしいです。やっぱりうどんは関西の薄味がいいねぇ。


<かしわうどん 350円>

 乗り換えの時間は10分しかなかったので、かなり急いでうどんをかき込み、日田彦山線の日田行き電車に乗車しました。電車といっても2両編成のディーゼルですが。出発ギリギリに乗り込んだので、席は既に満席でした。もっと早く開いているうどんやを見つけられていれば。。7時2分、小倉駅を出発。

 日田彦山線は福岡の小倉から大分の日田に至る、山の中を走る路線ですが、これは元々筑豊地方(言い方は悪いけど福岡の山の中)の石灰石や石炭を運ぶために作られた路線だそうです。最初の数駅は小倉近郊で人が多いのもありましたが、やがて人数は減って座れる程度に。しかし、途中でお前達は90年代の不良かという男女グループが乗ってきて、僕は大変驚きました。上下だぼだぼしたジャージ。きつめの茶髪。でかい声を出し、電車の床に座って、ガムか何かで口をくちゅくちゅ言わせてます。これはもう東京じゃ見られないタイプの田舎ヤンキーで、まだこういう田舎には生息しているのかと。天然記念物に指定してあげたいくらいです。小倉はヤンキーが多いので、まあその人たちの一部なのかもしれません。

 やがてその田舎ヤンキーたちも降り、電車はさらに山奥へ。朝の山の中を進むので、水蒸気がものすごくて視界が全くない中を進んでいくこともあります。そして「採銅所」というそのままずばりの名前の駅で電車の待ち合わせ。文字通り、昔は銅が取れたらしいです。その後も電車は進んで行き、ジャージを着た恐いお兄さんが電話をしていた池尻駅や英彦山駅などなどを通過しました。


<採銅所駅>

<ラピュタのような>

<福岡にある池尻>

<英彦山駅>

 途中からはほとんど乗客もいなくなり、小倉から2時間半、終点の日田に到着。長かったけれど、久々に楽しいローカル線でした。

<九州の小京都 日田>

 九州の小京都と呼ばれている日田。日田は江戸時代天領だった場所で、大分県よりも福岡県の筑後・筑前地方との繋がりが強いそうです。日田駅を降りて少し歩いてみると、そこには「日田天領水」のたくさんの幟が。駒場のうちの近くの個人商店にもなぜか日田天領水の幟がありますが、本場はここなわけですね。


<日田駅>

<無数にある日田天領水の幟>

 まずは伝統的な街並みが残ると言われる豆田町界隈へ行こうと思いましたが、どうも腹が減って仕方がありません。2時間半前に小倉駅でうどんを食べたというのに。仕方がないので、駅前にあったミスタードーナツでドーナツ+コーヒーをいただきました。コーヒーを飲みながら、観光案内所で手に入れた日田の地図を眺め、行く場所を決めました。見てみると、今の時期は町をあげて 「天領ひたのおひなまつり」 という催しを開催しているらしい。是非それは見てみなければ。

 腹も満たされたところで、歩いて豆田町界隈へ向かい、まずは咸宜園跡へ。咸宜園は江戸時代の思想家、広瀬淡窓が1805年に設立した全寮制私塾です。歴史の授業で広瀬淡窓の名前は聞いたことあるけど、ここ日田の出身だったのね。武士だけでなく、どんな身分のものでも学ぶことができたそうで、有名な卒業生としては高野長英・大村益次郎・清浦奎吾(内閣総理大臣)などなど、超大物ばかり。咸宜園の建物は一部が残っていて、隣では発掘調査が行われていました。


<咸宜園>

<調査中>

 豆田町のメインストリートへ。豆田町のシンボルの一つと言われる草野本家の見学へ。ちょうど草野本家でもおひな祭り開催中ということで、変わり雛がたくさん飾られているそうです。ウィキペディアによると、草野本家は日本全国のひな祭りイベント発祥の地でもあるらしい。550円と値段は高めですが草野本家へ。ちなみに建物の中は写真撮影禁止なので残念ながら写真はありません。

 建物を一通り見学して、最後に雛人形が飾られている部屋へ。草野本家の人が理事長か何かを務めている高校の生徒達が見学に訪れていて、かなりぎゅうぎゅう詰めでの見学になりましたが、ものすごい数の雛人形に圧倒されました。三人官女や五人囃子では間に合わないので、人形の数はもっと多くなっています。それ以外にもポルトガル人形っぽいのがいたり、フランス人形っぽいのがいたりと、多種多彩でした。すごいね。


<豆田町の街並み>

<草野本家>

<おひな様>

<日田弁での注意書き>

 その後は隣にある日田天領資料館を見物。農学者の大蔵永常もここの町出身であることに驚いてから、古い街並みをぶらぶら。いろいろな旧家でひな祭りをやっているみたいですが、全部に入っているお金がいくらあっても足りないので、草野本家だけで我慢することにしました。まあ、草野本家が一番規模が大きくて派手だろうし。しかし、それにしても豆田町は人多すぎです。平日だからきっと人は少ないと思ってきたのに。観光客のほとんどはリタイア世代のご年配の方々で、彼らは歩くのも遅ければ、他人のことを考えずに横一列になったり途中で急に止まったりするので危ないったらありゃしません。声も大きい。僕のイライラは募るばかり。あと素朴な疑問ですが、何故年配の人は皆一様に同じような帽子を被っているのでしょうか?これは長年の謎。


<古い街並み>

<年配多すぎ>

 その後ちょっと人混みを外れて、豆田町北外れにだる城跡周辺を散歩。この辺りの住宅になっている場所は昔日田の陣屋だった場所だそうですが、今はその面影はあまりなく、一般的な家が立ち並んでします。川もあってのどかでいい風景です。人が少ないほうが散策しがいがあります。


<花月川>

<永山城(丸山城)跡>

<この辺りは昔日田陣屋だった>

<町を流れる川>

 城跡から豆田町界隈を通って日田駅方面へ戻りますが、やはり豆田町界隈は人が多すぎる。人が少ないようならもう少しぶらぶら歩こうと思いましたが、時間が経つに連れて人は逆にどんどん多くなってきています。ここは老人達のディズニーランドか。これはもう、これ以上歩くのはやめることにして、そそくさと日田駅に戻ることにしました。

 日田駅に戻った時点で11時半になったので、そろそろ昼食。昼食は観光案内所でもらった地図に載っていた焼きそば店、 「想夫恋」 (そうふうれん)本店に行ってみようかと。日田は焼きそばでまちおこしをしようとしているみたいですが、その中でもこの想夫恋は日田焼きそばの元祖だそうです。

 最初道を間違えて2kmほど無駄に歩いてしまいましたが、12時に想夫恋に到着。一番シンプルな焼きそば(840円)を注文。昼時ははサービスで小ライスがついてきました。焼きそばで840円は結構高い気もしますが、元祖のコダワリなのでしょう。しばし待って、鉄板で熱された熱々の焼きそばが。ここの焼きそばは一旦表面をカリカリになるくらいまで焼いているので、外カリカリ、中ふっくらで食感が面白いです。野菜ももやしが多め。味はやや薄めですが、意外とご飯と合います。焼きそばなのでめちゃくちゃおいしいということはありませんが、もちろんおいしいです。広い店内は昼を過ぎてすぐに満員になるほどでした。ご馳走様。東京にも一店舗あるみたいだから、今度行ってみようか。


<想夫恋本店>

<焼きそば>

 その後駅に戻り、1時1分発の久大本線久留米行きに乗車。日田の観光はかなり駆け足になってしまいましたが、また機会があれば来たい街です。電車に乗っていると、途中夜明駅という素敵な駅名を見つけましたが、調べてみるとこの駅周辺は元々焼畑開墾地で「夜焼き」とという地名だったけど、それでは縁起が悪いということで「夜明」に変えられたそうです。


<様々な電車>

<夜明駅>

<久留米>

 2時2分、久留米駅に到着。福岡、北九州に次ぐ福岡県第3の都市、久留米。豚骨ラーメンの故郷でもあります。今回はJRの駅で降りましたが、久留米の中心地はここから2km離れた西鉄久留米駅周辺ということで、その辺りにある有名な「大砲ラーメン」には時間の関係上行けそうにありません。残念ですが。

 何処へ行こうかと駅前に出てみると、一際高い建物が見えます。調べてみると高い建物は久留米市役所らしい。高い市役所の最上階はきっと展望所になっているだろうと、市役所へ行くことに。高い建物にはありがちですが、近いように見えて実際歩くと結構な距離があったりします。久留米市役所もそうでした。そこにあるように見えるのに歩いて10分。


<左に見える市役所>

<市役所近影>

 市役所に入ると、案内係のお姉さんが「今日はどういうご用件ですか?」とご丁寧に聞いてくれます。「展望台に行きたいんですけど」ってあんまり恥ずかしくて言えないなぁと思っていると、お姉さんは先に入った人への案内で少々手間取っているようです。ということで、うまい具合にお姉さんをスルーして庁舎内案内を見てみると、やはり最上階である20階は展望台になっていました。

 20階からの眺めはなかなか。ただ窓が汚くて、あと花粉で空気が澱んでいるので見通しはよくありませんでした。でもこの贅沢な庁舎は高崎市と同じ匂いを感じます。人口30万人規模の町にこれだけの高層市役所が必要なのかと。高崎と違って、久留米は城跡に市庁舎が建ってないだけましなような気もしますが・・・。


<市街地方面>

<筑後川>

 1階に下りて、せっかくだから環境基本計画や環境報告書の類のものをもらって帰ろうとしましたが、何と全て有料でした。無料の自治体が多いというのに残念。

 その後はまたまた歩いて久留米城跡へ。久留米はブリヂストン創業の地ということで、久留米城に向かう途中、左手に見えていたのはブジヂストン久留米工場でした。どうやら工場の地はもともと久留米城の二の丸・三の丸だったそうです。そして隣には靴のアサヒコーポレーション。ゴムの匂いがぷんぷんしてきます。そのような工場を左手に見ながら、またしても結構あるいて久留米城跡へ。

 久留米城は今や石垣が残るのみになっています。中には藩主だった有馬氏に関する記念館がありましたが、時間の関係もあるのでパスして、本丸に残る篠山神社に参拝。


<久留米城跡>

<城跡は現在神社になっている>

 そのまま歩いていくと筑後川に出ました。筑紫二郎の異名を持つ筑後川。日本三大暴れ川の一つと言われていますが、今日は暴れ川が嘘であるかのように穏やかでのどかです。青空の下、川を眺めながら、しばらく川沿いを散歩しました。


<「筑紫二郎」こと筑後川>

 しばらく歩いていくと、鹿児島本線の鉄橋と、その隣に現在建設中の九州新幹線の鉄橋が見えてきました。九州新幹線の博多—新八代間は2011年度末に開業予定ですが、筑後川にかかる鉄橋はほぼ完成しているみたいです。新幹線が走るようになると博多から鹿児島まで1時間50分で行けるらしいので、早く完成して旅行をしやすくしてほしいところです。今までは特急で5時間近くかかっていたらしいので、技術の進歩(と新幹線族の国会議員の熱意)には感心します。


<左新幹線用 右在来線用>

<筑後川を渡る>

 しばらく川を散歩すると梅林寺。ちょっと時期が遅かったようで、花は枯れ始めていましたが、所々綺麗な梅が咲いていました。


<梅林寺の梅林>

<綺麗に咲いています>

 梅林寺の近くにあるのは水天宮。筑後川沿いにあります。全国の水天宮の総本社です。水天宮は安徳天皇と平徳子を祭っているそうで、安徳天皇を祭っている下関の赤間神宮と近いものを感じます。


<水天宮>

<久留米がすりのマンホール>

 ということで、春の久留米を散歩して満喫することができました。実は僕、久留米に対してあまりいい印象を持っていませんでした。今から20年以上前、僕が幼稚園の年少の冬、1986年1月のことです。久留米に住んでいる親戚が亡くなったので、母と伯母と電車に乗ってとことこと久留米にやってきました。家の場所は水天宮の近くだったそうです。葬式は子供にとって退屈なもので、同じく連れてこられていた知らない子供達と遊んでいましたが、とちゅうから急に寒気がして気分が悪くなりました。熱を計ってみると38.5度。さすがに葬式なので途中で帰るわけもいかず、葬式が終わるまでぐったりと寝てなければいけませんでした。しかも久留米から下関までは結構な距離があります。母親に抱えられて家に帰りついたのは夜になり、救急病院に行くとインフルエンザという診断で、それから10日間、幼稚園を休みました。母親が言うには、僕が今まで引いた風邪の中で一番ひどかったのがこのときのインフルエンザだそうです。

 幼少の頃の記憶と言うものはほとんど残っていないものですが、このときは本当に酷くて辛かったので、はっきりと記憶があります。これ以来、特に小さい頃は久留米と聞くとインフルエンザで苦しんだ嫌な思い出がトラウマのように蘇ってきて、久留米には罪はないけど嫌な場所でした。今回久留米にきて清々しく散歩できて、ようやくその悪い印象から開放されたかな。古い記憶はこうやって克服していけるものなのですね。よかった。


<駅前のモニュメント>

<新幹線工事が進む久留米駅>

 4時22分久留米発の鹿児島本線門司港行きに乗り、後は門司で乗り換えて下関への到着を待つだけです。この電車、二日前に乗った電車と全く同じ電車です。せっかくなので同じ車両の同じ位置に座ってみました。だからと言ってどうってことないですが。。下関には6時半に到着。


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