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東京見聞録  
2006年12月29日(金) 五日目   <東舞鶴→天橋立→伊根の街並み→城崎温泉→出雲泊>


まだふみもみず天橋立>

 今日も相当早起きして、朝5時半起床です。さすがに毎日朝が早いと疲れてきます。でも冬は暗くなるのが早いから、できるだけ早い時間に行動しておきたい。だから朝が早くなるのは仕方がない。。

 朝起きてカーテンを開けてみると、何と雪が積もっていました。天気予報では今日から本格的に寒くなって雪が降るとは言っていたけど、まさか一晩の間にこんなに積もってしまうとはね。日本海をなめていた。

 今日の目的地は主に丹後半島。6時36分に東舞鶴駅を出る電車に乗るには、ホテルを6時には出なければなりません。ホテルを出ても辺りは真っ暗で、雪も積もっていてすごく歩きづらい。滑りながら東舞鶴の駅に着いたら6時半で、結構ぎりぎり。雪道をなめちゃいけません。結局東舞鶴には日が沈んだ後に到着して、日が昇る前に発ってしまうという寂しい状況だったので、いずれまた日中に訪れて肉じゃがを食べたいと思います。

 東舞鶴からJRに乗って一駅、西舞鶴で電車乗り換えです。西舞鶴からは私鉄の北近畿タンゴ鉄道に乗って天橋立へ。なぜタンゴがカタカナなんでしょうか?踊りのタンゴとかけているのか??まあそれはいいとして、西舞鶴6時55分発の電車に乗って天橋立に着いたのが7時35分。年末の早朝なので、観光客なんて一人もいませんでした。


<西舞鶴駅にて>

<北近畿タンゴ鉄道の車窓>

 天橋立駅から少し歩くと、智恩寺に着きます。天橋立を訪れる観光客はまずこのお寺にお参りするそうな。この寺はあの「三人寄れば文殊の知恵」の元となったところだそうで、学業成就にご利益があるということなので、しっかりと参拝してきました。しかし朝なので本当に誰もいない。


<智恩寺文殊堂>

<雪が積もる>

 智恩寺があるのが文殊地区。ここから天橋立を通って対岸の府中地区に渡ります。天橋立は約4キロだから、歩いたら40分くらいかな。というか、僕は今まで天橋立を歩けることを知りませんでした。もっと細くて立ち入り禁止みたいなっているかと思ったら、意外に横幅があります。お決まりの俯瞰写真だけ見てたらだめね。

 天橋立はそれこそ海岸沿いの松原のようで、結構な樹齢の松がたくさん覆い茂っています。感覚としては右にも左にも砂浜があるという感じ。途中に日本名水百選にも選ばれている「磯清水」がありました。海に囲まれているのに淡水が湧き出ているというのはこれ如何に?と思ったけど、僕はその理由がわかりません。不思議ですね。実際に水を飲んでみると確かにまろやかな淡水でした。ううむ、謎だ。


<天橋立を歩く>

<天橋立の海岸(?)>

<天橋立にある名水百選「磯清水」>

<天橋立にある橋立明神>

 朝早くてこんな天気なので、もちろん誰も歩いていません。でも途中自転車に乗った女性3人組に追い越されました。こんな天気で自転車に乗るなんて大した度胸です。実際に最初歩き出した時は雪も降ってなく、おだやかな天気でしたが、20分も歩いていると急に空が真っ暗になって吹雪いてきました。雲が動いているのがわかって、「ああ、もうすぐ大雪が降り出すな」というのがわかります。それほど天気が変わりやすかったけど、後半はもう本当にひどかった。高岡で買った傘のお陰で何とかなりましたが、天橋立を渡りきったころには体中雪まみれになってました。


<吹雪に鳥たちも集まって待機中>

<吹雪いてきている>

 渡りきった頃には本格的な吹雪になり、雪がどんどんと積もっていくのがわかります。寒い上に歩きづらい。しかも視界が悪くて、5mくらい先までしか見えません。いやー、雪をなめてたね。しかし休むところがないので進まないわけにはいかず、渡りきったところにある籠神社へ。何とこの神社、あの伊勢神宮の元になった神社で、伊勢神宮はここから伊勢へ移されたそうです。だから別名が元伊勢。もしかしたら日本で一番由緒正しい神社かもしれません。しかし今は吹雪で由緒に浸るどころではないので、とりあえずお参り。


<元伊勢 籠神社>

<重要文化財の狛犬>

 さて、ここからはケーブルカーに乗って笠松公園に行き、上から天橋立を見なければいけません。高いところから天橋立を見るのは、天橋立観光のクライマックスと言えます。しかし、今の天気では見えるかどうか微妙なところ。地上でも視界が5mないのに。ケーブルカー乗り場のチケット売り場のオバサマも「今日はちょっと見えないかもしれませんねぇ」と言っていました。ただケーブルカーの前売りチケットを買っていたから、どっちにしても乗らないと損してしまいます。乗客が他に誰もいないなか、ケーブカーに乗って笠松公園へ。乗車時間は4分だけど、運転手のおじさんと二人というのはなかなか気まずい。。


<ケーブルカー>

<ケーブルカーが行く>

 笠松公園に着くと、雪が止んで視界が少しよくなっていました。もしかしたら天橋立が見えるかもしれない、と展望台に行ってみると、霞んだ天橋立が見えた!よかったよかった。あれだけの吹雪で視界がなかったのに、頂上に来たときだけ視界が若干回復したのはありがたいことです。天橋立は今まで本や写真で見てきたものと同じと言えば同じですが、生で見るとパノラマでかなりの迫力があります。こんな砂嘴を作ってしまう自然と時間って改めてすごいと思う。


<ようやく来ました天橋立(を眺める展望台)>

 展望台には既に先客の韓国人団体客がいましたが、しばらくすると彼らは帰ってしまい、また僕一人になりました。一人でじっくり見ようと空をぼんやり眺めていると、雲が高速で流れて行き、どうやら少し晴れそうな気配も漂ってきました。これはもしや・・・と思って5分くらい待っていると、太陽が覗くくらい青空が広がって晴れた!!晴れて視界もくっきりして、諦めずに来てよかったと思います本当に。やっぱり晴れて太陽が降り注ぐときの風景は、曇っているときと全然違うもの。全体的に奥行きや広がりができる感じ。晴れてよかったよ。

 天橋立は上から見るのと実際に歩くのでは全然違います。実際に歩くと普通の松原を歩いている感じで、特に特別なものとは思えません。しかし俯瞰的に眺めてみると、それはそれは自然の神秘のようにも見えて、美しいものだとわかります。これは他のことにも当てはまるけど、やっぱり一歩引いて俯瞰しないとだめね。


<晴れたー>

 晴れても展望台には僕一人だったので、「股のぞき」なるものをやってみました。股の間から覗いたら海と空が逆さになって、天にかかる浮き橋のように見えるそうです。これ、一人旅の人間は他の観光客がいたら恥ずかしくて出来ないけど、今回は人がいなかったので好き放題できます。3回くらい覗いてみました。天気がそこまでいいわけじゃないから、空と海の境界がはっきりしてて、空にかかる橋には見えなかったけれど。。写真は普通に撮ったのを逆さにしたものです。股覗きをしたらこう見えます。


<股覗きしたこう見える>

 晴れた中、一人展望台で30分くらい天橋立を眺め、再びケーブルカーに乗って麓に戻ると、また雲が広がって吹雪いてきました。結局この後も青空が広がることはなかったから、本当に抜群のタイミングで展望台に行けてよかった。

<伊根の舟屋>

 次に公園の麓からバスに乗って、伊根町へ向かいます。ここで観光船に乗って伊根の舟屋を見てみようと。しかしこの吹雪で、観光船が運航しているかどうかが非常に気になるところです。ケーブルカーのチケット売り場のおばちゃんは「動いてますよ」とは言ってたけども。

 バスで30分くらい行くと、伊根に到着。観光船乗り場に行くと、この天気でもやっているそうです。でもやっぱりこんな天気で他に客なんているはずなく、結局僕一人でした。普段は毎時0分、30分の30分置き出航みたいですが、待っても他に来ないだろうということで、僕一人のためにすぐに出航してくれました。悪いですね。もちろん観光船内には僕一人。写真は船内から撮ったので若干写りが悪いです。


<船内に一人>

<なんかの島(忘れた)>

<舟屋が並ぶ>

<舟屋をアップで>

 伊根の舟屋は寅さんや釣りバカ日誌に出たことで一躍有名になったそうですが、すごく機能的なつくりをしているのに感心しました。狭い土地で漁師の家を建てるのに全く無駄がない。1階が作業場、2階が住居だそうです。ただ高潮とか津波とか来たらどうするんだろう。あと家の錆びもひどいだろうな。僕は素直ではないので、どうしてもそういうところに考えが行ってしまいます。

 30分ほど観光船に乗って舟屋の景色を眺めたあとは、再びバスに5分くらい乗って、道の駅 「舟屋の里公園」 へ。ここで海の幸の定食を食べようと思っていました。しかしバスを降りるとそこは「舟屋の里公園前」。「前」であるからして、そこから道の駅までは10分くらい坂を上っていかなければならないのです。しかも大雪。道はすべる。視界も悪い。実際立ってられないくらいの風が吹いていて、雪に慣れていない僕は限界でした。なのでこれ以上先に行くのは諦めて、さっきのバスが折り返してくるのを待ちました。もしこのバスを逃すと、次のバスは2時間後になってしまうため、逃すと大変なことになります。下手すると凍死する。


<舟屋の里公園「前」>

<バス停からふもとの町を>

 10分くらいしてバスが到着。バスの中は暖かくて生き返ります。本当に寒かった。。バスは1時間近くかかって今日の出発地点である天橋立駅まで戻ってきました。時刻は12時40分。次の電車の時間を見てみると、1時53分。何と待ち時間が1時間以上もあります。しかもどうやらこの大雪で、電車の運行が遅れているらしく、ダイヤが混沌としています。この雪はそんなにひどかったのか、と今更ながらに理解しました。いつもこんな感じで降ってるわけじゃないのか。

 何はともあれ電車まで1時間以上あるので、待合室で暖をとりながら(というかストーブも暖房もなかったけど)、昨日小浜で買っておいた焼き鯖寿司で昼食。今日は朝から何も口にしていなかったのでかなり腹が減っていました。しかしこの鯖寿司、ずっと冷たい中にあったから、冷えすぎてあまりおいしくない。ご飯がかちかちになってしまい、鯖の脂分も固まってます。何だこれは。セブンイレブンで見かける「みち子がお届けする焼き鯖寿司」の方がおいしいぞ。。旅先で買ったものよりセブンイレブンで買った同種のもののほうがおいしいなんて。


<冷えすぎてしまった焼き鯖寿司>

<天橋立駅>

 待合室のテレビでやっていた浦和対ガンバの天皇杯準決勝を見つつ時間を潰し、ようやく定刻の1時53分。しかしというか案の定電車は遅れているようで、天橋立を出たのは15分遅れの2時過ぎでした。今日はこの辺から予定がどんどん狂って行くことになります。

<城崎温泉と大遅れの山陰本線>

 電車の中で眠ってしまい、気がつくと終点の豊岡。何と定刻通りの3時15分に到着しました。素晴らしいよ北近畿タンゴ鉄道。これでJRへの乗り換えができる。・・・と思ったら、肝心のJRも遅れていて、豊岡に来るべき快速列車が来ません。本当に待てども待てども来ない。20分くらい待ってようやく「今日は雪でダイヤが乱れたため、快速電車の運行は取りやめております」という放送がありました。早く放送せんかい!並んでいた人はみんな怒っていたぞ。結局次の普通列車に乗って(それも少し遅れたけど)、城崎温泉へ。到着したのは予定していた時間より30分遅い4時10分。もう日が暮れ始めています。

 城崎温泉では1時間くらいしか時間を取っていませんが、何はともあれ温泉に入らなければいけません。城崎温泉に来て温泉に入らないのは、ラーメン屋に行ってラーメンを注文しないのと一緒です。城崎温泉には7つの外湯があったので、その中の一つである地蔵湯へ行ってきました。今までの観光地は人が全くいなかったけど、さすがに年末の人気温泉街、人でごった返しています。今日一日、雪で冷え切った体を温泉で温めて、非常にすっきり。すんごい気持ちよかった。

 温泉の後は駅まで戻るついでに城崎の街を散歩。志賀直哉は山手線にはねられて、その療養のために城崎温泉に来、ここで『城崎にて』を執筆したそうですが、僕はこの『城崎にて』を読んだことはありません。というか、山手線にはねられても生きているというのはのどかな時代だこと。なかなか風情があっていい温泉街だったので、今回は時間がなかったけど、今度は『城崎にて』を読んだ上で、ゆっくりと泊まりに来たいものです。


<七つの外湯の一つである地蔵湯>

<城崎と言えばこの風景>

 さて、体が暖まった幸せな状態で城崎温泉駅へ。これからの予定は、城崎温泉17:16→浜坂18:10(乗り換え)18:18→鳥取19:04(乗り換え)19:08→出雲市21:50で、3月の山陰旅行のスタート地点である出雲まで一気に向かいます。ここから4時間半ほど電車に乗りっぱなしで少々疲れる気もしますが、次に日に楽をするにはこれが一番ベストなのです。そういうわけで城崎温泉駅で電車を待っていました。

 しかし、というか、やはり案の定というか、ここでも電車が来ません。アナウンスがあって「当駅17時16分発の列車はただいま35分遅れです」とか言ってます。おいおい!せっかく温泉で温まった体がみるみる冷えていきます。寒い中人がごった返すホームで待って、ようやく35分遅れの列車が到着。今日は本当に列車が遅れているみたいだけど、こんなことならもう少し長く温泉に入っていればよかった。

 浜坂にも35分遅れで着いて、ここで乗り換え・・・と思ったら、電車が待ってない!城崎温泉の電光掲示板では、「この列車は浜坂駅で鳥取行きに接続します」って出てたのに!!しかも次の電車の時間をは7時31分です。この何もない駅で、1時間近くも待たないといけません。6時半で改札業務は終わり、薄暗くストーブもない待合室で1時間近くも待たないといけません。ここで僕はふつふつと怒りが湧き上がってきました。何でこんな辺鄙なところで寒い思いをして待たないといけないのだ、何でJRはきちんと説明しないのだ、と。周りを見ると僕と同じ状況のような人が数人いて、皆一様にいらいらしています。

 このまま薄暗く寒い待合室でじっとしていても仕方がないので、駅前にあるコンビニで駅弁を買って夕食にしました。浜坂名物のかに寿し弁当。「たにぐちのアイガモ米」を使っているということだったけど、そのタニグチとは一体何なのかがわからないので何とも言えません。味はやや薄い。カニがパサパサしすぎ。まあ駅弁だからしかたないけど、それにしてもこのシチュエーションからして侘しいぞ。


<浜坂の名物らしいかに寿し>

<中身です>

 弁当を食べ終わって、時刻表を調べてみると、このまま行くと出雲に到着するのが何と深夜0時17分になることがわかりました。しかも乗り継ぎがめちゃくちゃ悪い上に終電。もしこの先で遅延なんかあったら、下手すると出雲まで辿り着けないという可能性もあります。それでは困るぞ。。

 ようやくやって来た電車に乗り、定刻8時16分に鳥取着。よしよし、遅れていない。鳥取でまた待ち時間が40分もあったので、改札を出て見たものの、恐いお兄さん達がたむろしていたのでそそくさと改札の中に戻って、待合室のテレビで浅田真央の演技を見ていました。それにしてもどうして地方駅には恐いお兄さんがいるのでしょうか。

 そして鳥取駅始発の9時6分発の電車に乗車。この電車に乗れば米子に11時8分に着き、2分の乗り換え時間で終電に乗って出雲に行けます。しかし何と、遅れている特急を待ち合わせるとかで電車は15分遅れの出発。浜坂の件もあるし、もしかしたら米子で接続がないかもしれません。昔だったら速く走って遅れを取り戻すところでしょうが、例の福知山線の事故があったために、JR西日本が回復運転をするとは考えられません。走行中に時刻表と現在時刻を見比べても、やっぱりずっと15分遅れのままでした。

 果たして待ち合わせてくれるのか本格的に心配になったので、特急待ち合わせ停車中に運転手に聞いてみました(山陰本線はワンマンなのです。)その運転手さんは無線で連絡を取って聞いてくれたようで、どうやら米子で待ち合わせをするということ。ああよかった。米子で泊まらなければいけないかと思った。

 結局米子発の電車も遅れ、出雲市駅に着いた時には深夜1時近くになっていました。ようやく3月にも泊まった駅前のホテルにチェックインし、腹が減っていたので夜食をとりに近くにあったすき家へ。もうかなり疲れていたので、この際名産なんてどうでもいいです。すき家の牛丼が美味いんだ、これが。体に染み渡る。

 2時半、ようやく就寝。本当に長い長い一日だった。


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