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東京見聞録  
2007年9月23日() 二日目   <象潟(九十九島)、秋田(久保田城址、稲庭うどん)、弘前(弘前城址)>


東の松島 西の象潟>

 徹夜で本を読み、5時半にホテルをチェックアウト。今日は朝一番の電車に乗って少し南下し、山形県との県境に程近い象潟(きさかた)へ行きます。しかし朝の秋田は寒い。気温16度らしいです。さすがに寒いので、長袖の上着を引っ張り出しました。秋田5時50分発の羽越本線普通に乗って象潟へ。


<朝の秋田駅>

<始発の車内>

 象潟までは1時間10分。朝の日本海を眺めながら黄昏ていましたが、あろうことかまた腹が痛くなってきました。そしてまた電車のトイレに駆け込む羽目になってしまいました。普通列車のトイレってあんまり綺麗じゃないから行きたくないんだけど、背に腹は変えられません。トイレに篭っていて、危うく象潟で降り損なうところでした。危ない危ない。7時に象潟に到着し、まずは下痢止めのストッパを一錠。薬に頼るのは嫌だけど仕方がありません。

 気を取り直して象潟の町へ。象潟はどんなところかというと、ウィキペディアの説明が詳しいのでそのまま載せます↓

 今から約2,600年前、鳥海山の大規模な山体崩壊によって発生した流れ山が日本海に流れ込み、浅い海と多くの小さな島々が出来上がった。やがて堆積作用の結果、浅海は砂丘によって仕切られて潟湖が出来た。そして小さな島々には松が生い茂り、風光明媚な象潟の地形が出来上がった。東西の長さは20町(約2,180m)、南北の長さは30町(約3,270m)をそれぞれ超える程度であった。

 江戸時代までは、九十九島・八十八潟が景勝地となり、「東の松島 西の象潟」と呼ばれ、松尾芭蕉の『奥の細道』(1689年)でも「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」と評され、「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠まれた。

 しかし、1804年の象潟地震で海底が隆起して陸地化し、今では水田の中に元々島であった小山が点々と存在するような場所となっている。

 その後、干拓事業による水田開発の波に飲まれ、歴史的な景勝地は消されようとしていたが、当時の蚶満寺の住職の呼びかけによって保存運動が高まり、今日に見られる景勝地の姿となった。

 国の天然記念物で、鳥海国定公園の指定地。現在も102の小島が水田地帯に残され、とりわけ田植えの季節になり、水が張られると、往年の多島海風景を髣髴させる。

 つまり、昔は松島にも似た風光明媚な場所だったけれども、土地が隆起してしまったために潟湖はなくなってしまった。しかし今でも水田の中に小島が残っているので、それはそれで風光明媚な景色を作り出していると。密かに松尾芭蕉の足跡を辿っている僕としては、一度この象潟の景色も見ておきたいと思っていたところでした。

 早速歩いて九十九島へ。まだ朝も早いので、レンタサイクルを借りることもできず、今回も歩きです。それはそうと、駅近くの象潟小学校前で見つけた標語。「そんなこと するため生まれて きたんじゃない」って、そんなことが指し示すものは何だろう?


<象潟駅>

<そんなこと?>

 15分くらい歩くと田んぼの中に小島がいくつも見えてきました。これが九十九島。遠くに鳥海山が見えます。奇妙だけどいい風景です。残念なのは稲の収穫がほとんど終わってしまっていたことか。まだ稲刈りが終わってなくて、金色に輝く田の中に小島がある風景というのを期待していたんだけど。


<九十九島と鳥海山>

<蚶満寺から>

 松尾芭蕉とも縁の深い蚶満寺へ。朝早くて寺の中の見物は出来なかったので、庭にある松尾芭蕉像を眺めてきました。ここは松尾芭蕉がおくのほそ道で訪れた最北の地になるそうです。


<庭園と松尾芭蕉像>

<蚶満寺三門>

 続いて海岸方面へ。地図も見ずにひたすら歩いていたら、ちょっとした迷子みたいになってしまいましたが、象潟の街を散策するといみでは楽しめました。左下の写真の船着場は、かつてここから九十九島へ向けての遊覧船が出ていたところです。芭蕉もここから九十九島に出かけたようです。その景色、僕も見てみたかった。


<かつての船着場>

<ちょっとした高台から鳥海山>

 やがて何とか象潟海岸に到着。何てことない海岸ですが、江戸時代は海運の重要な拠点として活躍したらしいです。象潟海岸から見る夕日は大層綺麗だということだったけど、残念ながらまだ朝8時前。夕日を見られない人のために、海岸の看板に夕日の写真があったので、それを写真に撮ってきました。一応載せときます。確かにきれい。


<象潟海岸>

<夕日はこんな感じ。>

 もう一枚、夕日と同じ看板にあったのが、空から象潟の街を撮影した写真。これを見ると九十九島がどんな感じになっているかがよく分かります。左下一体のぽつぽつと木があるところが昔潟湖だったという場所です。上やっぱり俯瞰した方がどんな感じかよく分かりますね。


<空から象潟と鳥海山>

 象潟駅に戻るとちょうど秋田行きの電車が出発するところでした。8時32分、象潟発。結局1時間半歩きっぱなしで象潟を見てしまったけど、風光明媚な風景を見ることができてよかった。今度は田んぼに水が張っている新緑の季節に来てみたいものです。

<秋田 千秋公園と竿灯とレンガ館>

 9時46分に秋田到着。戻ってきました。今日はこれから秋田と弘前を見物して、青森市内に泊まる予定です。秋田ではまもなく国体が開かれるそうで、町のどこをみても国体のマスコットである若杉くんが目に付きます。

 まずは久保田城址である千秋公園へ。秋田は佐竹氏が治める久保田藩で、秋田という名前は佐竹氏の前に治めていた秋田氏から来ているそうです。いい天気だったので、城跡散歩にはもってこいでした。


<堀>

<堀に咲いていた花(蓮?)>

<警備兵たちの待機場>

<本丸表門>

<本丸跡>

<佐竹某の銅像>

 久保田城址には当時を偲ぶ建物はあまりありませんが、1989年に御隅櫓が再建されて、そこの中は資料館+展望台になっています。資料館での佐竹氏と秋田に関する展示もよかったですが、最上階から見た秋田の街並みが素晴らしいです。遠くにうっすらと男鹿半島が見えます。


<男鹿半島が見える>

 続いて秋田市民俗芸能伝承館へ。有名な竿灯祭りの実物大竿灯が展示されていて、実際に体験できたりします。僕は体験しなかったけど、体験している人を見ると相当重いみたいです。これを垂直に持って練り歩くのは大変なことでしょう。


<実物大竿灯>

<各地区の竿灯>

<竿灯に使う道具>

<秋田のほかの祭り>

 民俗芸能伝承館の隣にある旧金子家住宅へ。昭和初期まで呉服商を営んでいた旧家がそのまま展示されていますが、中に入ると生け花展なるものをやっていました。着物を着たオバサマ達から生け花のパンフレットを渡され、どうしようか迷う自分。一応うちの伯母が花の先生でもあるので、小さい頃から生け花にはそこそこ触れてきましたが、実際あんまり興味ありません。でも何か見ないと悪い気もするし・・・。ということで、適当にやり過ごして生け花のないところだけ見物しました。本当は蔵の中を見たかったけど、生け花展示してたからなぁ。


<旧金子家>

<店の中>

 次に少し歩いて秋田市立赤レンガ郷土館へ。明治45年に建てられた旧秋田銀行本店で、国の重要文化財に指定されているそうです。建物の中はそのまま保存されているので、昔の様子がよく分かります。金庫の中では秋田市の観光案内ビデオが流れていました。


<赤レンガ郷土館>

<郷土館1階>

<金庫>

<VIPを迎える部屋>

 しかし秋田の街を歩いて思ったことですが、秋田の女性は本当に美人です。いや、美人というよりは、皆色白。本当に肌が綺麗。秋田美人と呼ばれるのも分かる気がします。秋田の人は皮膚の色調の白色度が30%と、一般的な日本人の22%と比べると飛びぬけて高いらしいです。肌が美しいことはいいことです。

 若干駆け足になってしまいましたが、観光はとりあえずここで打ち止めにして昼食です。今日は暑いので、冷たい稲庭うどんがおいしそうです。ということで、秋田キャッスルホテルの2階にある稲庭うどん専門店の寛文五年堂へ行ってきました。

 注文したのは冷たいなめこおろしうどん(900円)。ここでは乾麺と生麺を選べるということで、普通は食べられない生麺で注文しました。生麺のほうがヌルヌルとしているらしいです。

 稲庭うどんはツルツルシコシコでものすごく腰があります。喉越しが柔らかいので讃岐うどんほどの歯ごたえではないですが、それでも弾力的です。ツユも上品で、個人的にはもう少し濃くてもいいかなぁと思いましたが、薄いほうがなめこや大根おろしの味がダイレクトに伝わってくるのでそれはそれでいいのかもしれません。おいしかった。


<なめこおろしうどん>

 次に乗る電車は12時43分。それに向けて秋田駅へ歩いていると、駅前の広場でイベントをやっていました。「2007秋田市産業フェア ハートピア秋田ジョヤサ」らしいです。ジョヤサというのが何を意味するのかがわかりませんが、これも秋田国体へ向けてのキャンペーンかな?会場では多くのブースが出て、その中には試食無料のブースが。僕の好きなラーメンをタダで食べさせてくれるというので、昼食を食べたばかりだったけど並びました。秋田名物の酒粕ラーメンだそうです。スープから酒粕のあまり香りが漂ってきて、これは結構おいしかった。ただでありがとうございます。


<ハートピア秋田>

<酒粕ラーメン>

 12時43分発のかもしか3号に乗って、次は青森県の弘前へ。秋田駅のホームでこのかもしかを見たとき、もしかしてこれは旧国鉄時代の古い電車じゃないのか?という嫌な予感がしましたが、実際乗ってみて多分そうだと確信しました。僕は「鉄道マニア」ではないので、この電車が○系だのキハ○○だのといった言葉は全く分かりませんが、電車が最新型ではないことくらいは分かります。何と言ってもこの電車、リクライニングを倒そうとすると「バターン!」と大きな音を立てて一気に倒れてしまいます。いわゆる簡易リクライニングタイプで、座り心地はよくないです。。そしてもう一つの問題は足元。古い電車は席の下が埋まっているので、足を伸ばすことができません。足の短さには定評のあるすぱくりが言うのだから間違いない。もっと新しい電車だったらなぁ。


<かもしか3号>

<足が伸ばせません>

 まあそれでも弘前までの2時間半、ちょうど眠くなったし寝て過ごせば問題ないと思って眠りの世界に入ろうとしました。しかし今度は、二つ前の席に座った子供達がうるさいったらありゃしない。父親1人、子供3人の4人で乗っているようですが、子供達がギャーギャーと騒ぐのでたまりません。父親も注意せんかい!と顔見てみると、家族揃って悪いえなりかずきみたいな顔をしています。長男と思われる眼鏡をかけた男の子はどうやら電車おたくらしく、駅に着くたびに駅名票を撮影しに行き、父親に乗り継ぎについてのアドバイスを与えていたりします。まあこの長男はいいとして、問題は次男と長女でした。騒ぎまくりでうるさい。しかも途中で駅名票を撮影しに行った長男が戻ってこず、もしや電車を降りてしまったのでは?と大騒ぎになり、他の乗客にまで迷惑をかける始末。結局長男はトイレに入っていたということですが、ここまで人騒がせな家族は見たことありませんでした。こういう家族連れや子供専用の車両を用意してほしいものです。ほんと、寝ようにも寝られない。

 2時45分、ようやく弘前に到着。嗚呼疲れた。

<りんごの街 弘前>

 少しずつ北上し、ついに青森県の弘前までやってきました。弘前の街は名産のりんご一色です。


<弘前りんご>

<岩木山に登る衣装>

<弘前駅>

<りんご色のまちHIROSAKI>

 弘前ではとりあえず弘前城を見ておきたいと、歩いて弘前城を目指しました。しかし歩て弘前城に行くというのは結構距離があるみたいです。まだかまだかと歩いて、30分くらいかかってしまった。100円バスが10分置きに運転しているんだから、それに乗ればよかったと後悔。

 ようやく弘前城に到着したのが3時20分。弘前城は現存する12天守の中で最も北に位置しています。弘前城は桜の名所なので、春に来たらそれは凄い人手だそうで、ゴールデンウィークだと博多どんたくと並ぶほどの観光客が押し寄せるそうです。確かに園内には枝垂桜がこれでもかというほどあり、そりゃ春は凄いことになるだろうと思います。できれば春に来てその満開の桜を見てみたいけれども。

 天守閣の中は資料館のようになっていて、津軽藩の宝物などなどと見物してきました。


<重要文化財 門>

<天守閣>

<鬼瓦>

<天守閣の展望台>

 弘前城公園からは岩木山が綺麗に見えます。ちょうど逆光なので、写真にするとちょっとおかしいけど、実際にこの目で見ると雄大です。


<弘前城から岩木山>

 本当は弘前城だけさっと見て青森に移動してしまおうと思っていましたが、駅から弘前城までの道が予想以上に遠かったので電車を一本遅らせないといけなくなりました。一本遅いと少し時間が余るので、その余った時間で弘前に点在する洋館群を見物。青森銀行記念館だけはお金を払って入ったけど、閉館まであと15分と言われ、結構急ぎ目で見ることになってしまいました。

 これらの洋館群は全て弘前出身の堀江佐吉という人が建てたそうで、特に青森銀行記念館(1904年完成)は佐吉の最高傑作と言われているそうです。一人の人間によって弘前がここまで洋館の街になってしまうのもすごい話だと思います。


<青森銀行記念館>

<記念館内部>

<旧弘前市立図書館>

<旧東奥義塾外人教師館>

 帰りも来た道を歩いて戻り、5時12分発の電車に乗って青森へ。電車の中から見えた岩木山に沈む夕日が、それはもうきれいでした。人が多くで写真を撮れなかったのが残念。

<みちのく 青森>

 5時57分、終点の青森に到着。ようやくここまでやって来ました。青森駅は盛岡・秋田両駅と比べるとかなり質素です。何となくうらぶれている感じがします。


<終点あおもり>

<青森駅>

 青森に着く頃には既に日も暮れ、観光も出来なくなっていましたが、青森駅近くの夜景が綺麗です。特に青森ベイブリッジの下に整備されたプロムナードは若者のメッカという感じで、高校生らしきカップルが何組もいました。極めつけは1階公衆トイレ、2階展望台となっている小さなトイレで、2階に上って景色でも眺めてみるかと階段を上がったところ、高校生二人がいちゃいちゃしているところでびっくりしました。むこうもびっくりしただろうけどさ。流れる気まずい空気。もちろん邪魔をせずにすぐに降りてきましたよ。こんなところに足を踏み入れてすみませんね。。


<青森駅ホーム>

<青森ベイブリッジ>

<ベイブリッジを上から>

<青函連絡船八甲田丸と夜の青森港>

 夕食は駅近くにあるおさない食堂へ。青森に来たからにはホタテを食べねばと、ホタテ刺身定食(1200円)を食べてきました。ここの食堂はホタテ料理や青森の郷土料理のみならず、市場向けに普通の定食なんかも用意しているみたいです。1階は定食屋、2階は居酒屋になっているみたいだから、今度は2階の居酒屋で青森の郷土料理を肴に一杯やりたいもんだ。

 ホタテ刺身定食はさすが青森といったところか、ホタテが甘くておいしいです。ちゃんと貝本体とひもの部分を分けていて、ひもの部分はコリコリとした歯ごたえがたまりません。あとホタテの塩辛がついてきたけど、これもご飯に合う。青森のホタテはやっぱりおいしいねぇ。これで1200円なら結構お得な感じがします。


<ホタテ刺身定食>

<ホタテの刺身をアップ>

 ホタテ刺身定食に満足してから今夜のホテルへ。何かおじさんおばさんの団体が泊まっていて、ホテルの食堂を貸切で飲み会をしていました。一体この集まりは何なのだ?と思いましたが、この答えは次の日に分かります。だから青森のホテルが取り辛かったのかと。

 早めにシャワーを浴びて、今日は風邪薬を飲んで就寝。風邪薬の眠気の効果で、3時間ほど寝られました。


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