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東京見聞録  
2006年6月15日(木) 二日目 
 <DMZと板門店・JSA、サムギョプサルを食べる>


分断の現場を行く 〜非武装地帯(DMZ)と共同警備区域(JSA)>

 韓国旅行2日目。やっぱり筋肉痛。

 今日は個人的メインイベントであるDMZ・板門店ツアーに参加するため、6時起床。昨日、一昨日とあまり寝てないので非常に辛い寝起きです。旅行中はもう少し体力に余裕を持った行動をしないといけないのだけど、ここから先の日程を考えても今回の韓国旅行はそれができそうにないことは確実。腹をくくるしかないなと思いながらシャワーを浴び、一人そそくさと準備をして、7時ごろ出発しました。ちなみに今日はオキ君とは別行動。彼はソウル大学に論文を探しに行くらしい。

 外に出ると、昨日まで降っていた大雨は止み、爽やかな朝でした。今日だけは晴れて欲しかったので本当に助かります。地下鉄2号線のナクソンデ駅から電車に乗って、電車に揺られること30分。ソウル中心部のミョンドン(明洞)にあるロッテホテルへ。ナクソンデは江南と呼ばれるソウルの南地域に位置するので、ミョンドンや市庁といったソウル中心部までは結構時間がかかります。

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<出発>

 今回僕が申し込んだのは、DMZ(非武装地帯)&板門店同時ツアーという、二つのツアーがセットになった一日がかりのツアーです。参加費は日本円で12800円(昼食込み)。二つのツアーに参加する形になるので、午前中のDMZツアーはヨンイル観光、午後の板門店ツアーは板門店トラベルセンターという旅行会社のツアーに連続参加することになります。

 ツアーの集合場所であるロッテホテルロビーに到着。ロッテホテルはでかいなーと周りをきょろきょろしながら待っていると、予定時刻の8時にガイドさんが到着。用意されたマイクロバスへ乗り込みます。

 午前中のツアー参加者は全部日本人で、僕を含めて計17人。僕以外は皆二人以上で参加しているらしく、少しばかりナーバスになってしまいました。昼食とか大丈夫かいな、と。まぁあまり気にしても仕方がないので、目の前の観光スポットに集中することにします。

 バスはソウル市街を抜け、一路北へ。途中までは朝の通勤ラッシュか道路も相当混雑していたものの、北へ進むに連れて急激に空いてきます。30分もすると、周りに広がるのは一面の水田。人口規模や面積を考えると、ソウルは東京よりも一極集中が激しいのかもしれません。ソウルは基本的に超高層マンションが林立していて、実際にそういったマンションに住むことが一種のステータスと捉えられてます。一戸建てがステータスと考える日本とはこの辺が少し違う。高層マンションに多くの人が住めば、土地はあまり必要ないから、必然的に都心一極集中が起こる、と。

 バスの中ではガイドさんによる韓国の歴史と現状の説明。基本的には教科書的内容で知っていたけど、ただ一つ、韓国では「朝鮮戦争」とは言わず「韓国戦争」というところだけは、ほぉそうなのか、と思いました。「朝鮮戦争」と言うと、北「朝鮮」を主体とした見方になってしまうからでしょうか・・・。

 しばらくすると、左手奥に北朝鮮の領土が見えるようになりました。山を見ると、北朝鮮の方は土がむき出しになったはげ山が多い。これは燃料不足からくる過剰伐採とも言われている、ということでした。それよりも、北朝鮮はソウルから本当に近い位置にあるということを実感する瞬間でした。

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<臨津閣(イムジンガ)>

 バスを走らすこと1時間、最初の目的地である臨津閣(イムジンガ)に到着。以下、観光地の概要は、パンフレットにある記述を載せておきます。韓国の日本語パンフレットなので、文章がおかしいところもありますが、その辺は「これが韓国だから」ということで目を瞑ってください。

臨津閣(イムジンガ)
 1971年、南北共同声明発表後に開発された、韓国の代表的な統一観光地。1950年6月25日に勃発した韓国戦争とその後の民族対立による悲しみが掘り込まれている様々な遺物と戦争記念品によって、分断の痛みを思い出させ、統一を願う統一安保観光地として毎年200万人の内・外国人が訪れている。

 北と南の現在の国境は、休戦ライン(軍事分界線)ですが、その休戦ラインの両側2キロは非武装中立地帯(DMZ)と呼ばれ、非武装エリアとされています。韓国側ではDMZのさらに南に、一般人がそれ以上許可なく進むことができない民統線(民間人出入統制線)を設けてあります。イムジンガはこの民統線ぎりぎりに位置していて、パスポートなしで自由に訪れることができる極限のようなところです。

 イムジンガでは30分程度の観光時間を与えられました。自由に訪れることができる場所とは行っても、軍事機密も多々あるところ。ガイドさんからは「変なところにカメラを向けないように」との注意。そんなところに来たのかと、ちょっと身震い。しかし周りを見渡してみると、遊園地のような施設があって拍子抜け。休日なんかは親子連れでそれはそれは賑わうそうです。緊張と緩和が同居している場所です。


<イムジンガ>

<敷地内にある平和の鐘>

 イムジンガの近くに「自由の橋」というものがあります。朝鮮戦争時に、北に捕まっていた米兵・韓国兵捕虜が帰ってくる際、「自由万歳!」と言ってこの橋を渡ったことが由来だそうです。この前までぼろぼろになっていたみたいですが、最近(2000年)ようやく一部が復元されて、少しだけ歩くことができるようになっています。捕虜の気持ちになることはできませんが、少し歩いてみました。

 橋は途中で行き止まりになっており、そこには統一を願う多くのメッセージや旗が括られています。橋の先も現在では復元されて、つい最近開通した南北横断鉄道の一部として使われていました。ここをピョンヤン行き列車が走ることになるのはいつの日か・・・。


<復元された自由の橋>

<橋の行き止まりにあるメッセージ>

<「ここまで来るのに50年」>

<橋の先は現在鉄道に利用されている>

 自由の橋を渡った後、イムジンガに上って、景色を眺めてみることに。基本的に見える風景は韓国領ですが、一面に広がっている水田は、ここが緊迫地域の一歩手前であることを忘れさせてくれます。しかし、写真で見える川(臨津江)が民統線なのです。ここは本当にギリギリのライン。


<慰霊碑と自由の橋>

<すんません、パノラマにならなかった。川の向こうへは一般人は通行不可>

 イムジンガの1階ににはファミリーマートが入っていて、何とも不思議な感じではありますがそこでお茶を買いました。ちなみに、そのお茶の名前は「17茶」。んん?これもどこかで聞いたようなないような・・・。16に1を足しちゃった?

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<第3地下トンネル>

 30分程度の観光の後、バスを乗り換えていよいよDMZの中へ。他のツアーの外国人客と一緒になり、ガイドも日本語と英語で交互に行われることになりました。僕の隣に座ったおじさんはパスポートを見るとシンガポールから来ていたみたいです。

 バスは統一大橋へ。統一大橋から先はいよいよ民統線の中。バスは一旦停車し、韓国軍兵士が乗り込んできてパスポートチェックが行われます。兵士にパスポートを取り上げられ、まじまじと顔を見られながらチェックされると、嫌でも緊張します。そしてここから先は、決められた場所以外での写真撮影は禁止。

 チェックが終わるとバスは統一大橋へ。道路にはいざというときのために障害物が置いてあり、車がまっすぐ進めないようになっています。そういえば一昨日『JSA』を見たときに、この橋を車が通るシーンがあったのを思い出しました。

 バスの中では英語ガイドと日本語ガイドが交互に案内をしてくれるのですが、どう考えても英語ガイドの方が詳しく長く話しています。かろうじて英語ガイドの話している内容が分かったので、これは間違いありません。これは何の差なのでしょうか。英語で聞くという行為は非常に疲れるので、日本語にも頑張っていただきたい。

 バスはいよいよDMZの中へ。ここから先、バスを降りても道端の草っぱらには決して足を踏み入れないように、との注意を受けました。何故かというと、地雷が埋まっているから。。ようやく、大変なところに来てしまったという実感が湧いてきました。

 バスは10分程して、第3地下トンネルへ到着。早速地下トンネルに入ることに。第3地下トンネルは、パンフレットの説明を見てみると、、

第3地下トンネル
 1978年、ソウルまでの距離が52キロにしかならない地点で発見された。地下トンネルの長さは1635m、幅2m、高さ2mで、これは北朝鮮の完全武装した兵力3万人が1時間以内に移動できる規模である。北朝鮮の南進意欲がどんなに強いものであるかを予想できるものである。

 要するに、韓国侵略のために北朝鮮が秘密裏に掘っていた地下トンネルということになります。第3があるわけだから第1も第2もあるわけで、現在確認されているだけで第4トンネルまであるそうです。そんな中で、この第3トンネルが一番規模が大きく、またソウルに近いという意味では一番重大な意味を持つトンネルになるそうです。


<第3地下トンネル>

<ここから先は撮影禁止>

 安全のため、ヘルメットを被ってトンネル内部へ。まずは第3トンネルに行くために掘られた観光用のトンネルを、300メートルほど歩いて下ります。坂道は結構急で、帰りが思いやられます。

 そしていよいよ第3トンネル。北朝鮮側に400mほど歩けるようになっていますが、ヘルメットが必要な意味がよくわかりました。トンネルが低いから、ガンガン頭をぶつけてしまうのです。しかも水が滴り落ちてくるので、足元も滑って結構危険。僕の前を歩いていたおじさんは、何度も頭をぶつけては「いてぇーな、これ。」を連発していました。

 異様なまでにひんやりした、狭く低く暗いトンネルを進んでいくと、韓国軍が作った分厚い壁の行き止まり。行き止まりの場所は軍事境界線からわずかの地点であるということです。行き止まりの壁の向こうには、さらに二つの壁が設置されていて、万が一の状態に備えているようです。地下の岩盤は花崗岩。花崗岩という硬い岩盤を掘ってまで南進トンネルを掘った北朝鮮の執念を感じます。

 ただ、謳い文句の「兵力3万人が1時間以内に移動できる」というのには疑問を感じます。あんな狭く低い洞窟を、果たしてそんな人数が短時間で動けるのか。僕でさえ腰をかがめて進まないといけないトンネルで、屈めたまま走ると腰を痛めそうです。食料事情から北朝鮮兵士の身長が低いのか、それとも北朝鮮兵士の精神は屈強だから腰なんて痛くならないのか・・・。謎です。

 行き止まりまで行って踵を返し、再び地上へ。帰りは思ったとおり大変でした。300メートルに及ぶ上り坂を、ひーこらひーこら言いながら歩く集団。僕はまだ若いからよかったものの、さっきのおじさんは大変そうに、「いやー、ひー、ふー。」を連発していました。お陰で地上に着いたときには汗びっしょり。昨日のエアロビクスといい、何で韓国まで来て体を酷使しているのだろうかという疑問も、なきにしもあらずです。

 地上に戻ってから少々お土産屋をうろつき、続いて映像&展示館へ。ここではDMZや第3トンネル、韓国と北朝鮮の歴史に関する日本語の映像を見学。映像は「韓国と北朝鮮は平和構築に向かって頑張っています」みたいな結末で、少々げんなりしました。

 そして展示館。DMZや朝鮮戦争、南侵トンネルについての展示が充実していて面白い。きちんと日本語の解説もあるので助かります。それだけここを訪れる日本人が多いということでしょう。それよりも個人的には「歩を進める韓国兵」や、「原始的な方法でトンネルを掘る北朝鮮兵」といったリアルマネキンに興味が湧きました。昔訪れた西大門刑務所展示館でもリアルマネキンが多かったけど、どうやら韓国はこういう展示を好むようです。


<お土産に売られていたDMZ米>

<韓国兵人形がお出迎え>

<慎重に歩を進める韓国兵>

<トンネルを掘る北朝鮮兵>

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<都羅(トラ)展望台>

 再びバスに乗り、DMZを脱出し、次に向かったのは都羅(トラ)展望台。いよいよ北朝鮮(の景色)とご対面。

都羅(トラ)展望台
 民統線内に位置している展望台として、北朝鮮を最も近くに見ることのできる南側の最北端展望台である。北朝鮮のソンジュ村(平和の村)、農土が目の前に広がっており、望遠鏡で開城(ケソン)市、キム・イルソンの銅像を見ることができる。

 このトラ展望台からは、北朝鮮の「平和の村」というDMZ内にある村を見ることができ、そこに立っている高さ160mの北朝鮮国旗を見ることができました。(ちなみにこの北朝鮮国旗、高さ世界一ということでギネスブックにも登録されているらしい。)今日は晴れていて空気も澄んでいたので、北朝鮮の平和の村やケソン市、旗をはっきり確認することができました。向こうでは僕の想像を越えた生活が繰り広げられているのね・・・。そんなことを考えながら、ついつい北朝鮮に見入ってしまいました。

 ただこの展望台、望遠鏡が置いてあるところから後ろ5メートルくらいのところに「フォト・ライン」なるものがあって、この線より前では写真を撮ってはいけないということ。そういうわけで、フォトラインぎりぎりのところで観光客が一列に並んで写真を撮っている様は滑稽です。しかも、フォトラインからでも背伸びをすれば北朝鮮側の景色を撮影することは可能なわけで、このフォトラインは一体何の意味があるのであろうか、と悩んでしまいました。しかしフォトラインを超えて写真を撮ろうとすると、見張りの兵隊さんに撃たれかねないなので、フォトラインからできる限り背伸びをして写真を撮らせていただきました。


<トラ展望台(雨の日に使う建物)>

<ぎりぎり一杯のズームで>

<北朝鮮を眺める人々>

<フォトラインから背伸びをしてケソン工業団地を>

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<都羅山(トラサン)駅>

 続いては京義線の終点駅、都羅山駅へ。

都羅山(トラサン)駅
 非武装地帯(DMZ)南方限界線から約700m離れた南側、最北端の国際駅として、分断の象徴的な場所であると同時に、今後京義線鉄道に連結完了に関して、南北交流の関門と言う、二重的な歴史的意味もある所である。

 トラサン駅は韓国の終点ではありますが、つい先日、ついに北朝鮮の線路と繋がりました。(というニュースは聞いたことある方もいると思います。)。試運転は北朝鮮側の都合で8月に延期されましたが、ここを通って北朝鮮に行くことができる日も近いかもしれません。

 ただこのトラサン駅、民統線内にあるので、一般人がおいそれと来ることができない駅です。列車でここに来るには、一つ前のイムジンガン駅で一旦降り、パスポートを提示して再び1時間ほど出発を待つという、来るには大変面倒な駅みたいです。そういう意味で現在は駅自体が観光地となっています。実際に記念スタンプを押すところなのに二人も係員がいて、多くの外国人がパスポートに押してもらっていました。

 さて、せっかくなので入場券を買ってホームに出てみました。現在列車の本数は一日3本ですが、将来を見据えてか駅舎はかなり広く、ホームも三面あります。用意周到というか何というか。。実際にここをKTXが通過する日が来るといいですが・・・。


<新しいトラサン駅>

<将来の国際駅にふさわしくピカピカ>

<現在のところ、電車は一日3本>

<向かうはピョンヤン>

<だだっ広いホーム。この線路をずっと行くと、北朝鮮のピョンヤンに。>

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<昼食はプルコギ>

 12時半。トラサン駅の見学を追え、バスは再びイムジンガへ戻ります。ここで最初に乗ってきたマイクロバスに乗り換え、昼食会場へ。昼食のプルコギ屋(焼肉屋?)で、午後の板門店ツアーにも参加する9名のみが降ろされ、残りの11名+ガイドさんとはここでサヨナラ。ガイドさんから「1時半頃、板門店ツアーの人とガイドが来るから、それに合流するように」との命を受けました。

 さて、心配された昼食。プルコギというのは本来数人でコンロを囲むものであって、一人で食べるものではありません。どうしようかねぇと思っていると、既に3×3の9名分が用意されている模様。9人の内訳は6人(会社の慰安旅行か何か)・2人(おばさんとお姉さんの親子)・1人(僕)だったので、親子のお二人に混ぜてもらいました。知らない人とプルコギつつくのは何か抵抗あるけども、まぁよかった。

 そういうわけでプルコギ定食。店の人がハサミで肉を切ってくれたのですが、あまりに小さく切りすぎたみたいで、肉を食べているという感覚がありませんでした。もうちょっと肉感を残した切り方をしてくれればよかったものを。まぁそれでもうまかった。


<プルコギ3人前>

<キムチなどの付け合せ>

 隣の6人衆は「ビールください」と言っていました。しかし、板門店ツアーはアルコール禁止なのです。店の人もそれをわかっていたのか、「ビールはダメです」と言っていたからよかったものの、ツアーに参加するんだったらそれくらいのことはちゃんと予習しとかなきゃならんでしょ。板門店に行くのにこのお気楽さというのを見ると、同じ日本人として寂しくなります。

 食べ終わったのが1時過ぎ。合流する団体がようやく到着し、ここを出発するのが2時だという話に。40分くらい時間があったので、外に出て周りの景色を眺めることに。緑と道路の広がる風景。左車線で、文字がハングルでなければ、日本と何ら変わりのない風景です。


<昼食の店>

<店の周りの風景>

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<板門店・共同警備区域(JSA)>

 2時。再び出発。今度のバスは席が決まっていて、1号車は日本人30人、2号車はアメリカ人他で向かいます。今度のガイドさんは早口ながらも様々な情報を提供してくれて、結構面白い。ただ注意事項が多いのは、暗にそれが大変なところへ行くのだということを示しているようで、緊張感が高まります。

 バスは再び統一大橋へとさしかかり、同じく再びパスポートチェックを受けて、DMZへ。午前中よりももっと深く、DMZ内部へ食い込んで行きます。そして行き着くところはJSA(共同警備区域)

 途中、DMZ内にある韓国内の「自由の村」という村の側を通ります。(これと対をなすのが、北朝鮮の「平和の村」。)この村の住民は制約が多い代わりに、韓国民の三大義務である納税・兵役・教育のうち、納税と兵役を免除されているということです。主な生活手段は農業。年収は平均で1000万円を越え、韓国の中でもかなり裕福な部類に入るらしい。昔は拉致事件なんかが多発した関係で居住希望者が少なかったそうですが、最近では治安の改善を受けて居住希望者が増えたそうです。しかし、あまりに居住希望者が増えすぎたので、現在では結婚で嫁ぐか入り婿になるしか「自由の村」民になることはできなくなった、とガイドさんが言っていました。でも実際自分だったらどうだろう。随分平和になったとはいえ、休戦中の、しかも最前線地域で住むという決断を下せない気がします。兵役免除というのは大きいけれど。

 バスはDMZ内の国連キャンプへ。「ボニファス・キャンプ」で板門店(パンムンジョン)の説明などブリーフィングを受けた後、訪問者宣言書にサイン。その内容というのは、 

 板門店の統合警備区域の見物は、敵性の地域への立ち入りを伴わない。敵の行動によって危害を受けるまたは死亡する可能性がある。統合警備区域は中立地域であるが、一方(南)は国連軍の軍人により、他方(北)は北朝鮮の陸軍軍人によって、それぞれ分割警備されている。
 国連軍のゲストは、軍事境界線を越えて北朝鮮軍の管理する統合警備区域へ立ち入ることは許されていない。また、事変・事件を予期することはできないので、国連軍、アメリカ会衆国(原文ママ)及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできない、敵の行う行動に対し、責任を負うことはできない

 つまり、「死ぬ可能性があるかもしれないけど、アメリカも韓国も死んでも責任取りませんよ」と。まぁここまできたらサインせずにはいられないので、しっかりとサインしました。その後、板門店の歴史等のブリーフィングを10分間。そして国連軍のバスに乗り換えて、いよいよJSAへと向かいます。ちなみにキャンプ前に掲げられている旗、日本国旗はありません。日本は朝鮮戦争に参加していないからね。


<ボニファスキャンプに掲げられた旗>

<国連軍のバスで。>

 国連軍のバスには実弾を込めたアメリカ軍兵士が乗り込んで来て、JSAの中へ。JSAの入り口は有刺鉄線が張り巡らされていて、今まで見たことのないような厳重な警備が敷かれています。ここでガイドさんから4つの注意事項。1・走らない、2・指を差さない、3・写真は必ず指定された場所で、4・持ち歩けるのはカメラまたはカメラ付き携帯電話のみ。走ったら亡命をすると見なされて撃たれる可能性がある、指を差すと侮辱しているととられて撃たれる可能性がある、と。本物の拳銃を携えた軍人が対立している場所に、いよいよ足を踏み入れるのだと、緊張感が高まります。

 バスは南側の「自由の家」に到着し、まずは展望台へ移動して周りを見学。すぐ目の前には軍事分界線が広がり、その奥には北朝鮮の板門閣(自由の家)と監視塔があります。監視塔をよく見てみると、1階でこちらをじっと観察している北朝鮮兵士の姿が。鳥肌が立ちます。初めて生の北朝鮮兵を見てしまった。

 少し角度を変えれば、北朝鮮の平和の村が。都羅展望台から見るよりも、その姿ははっきりとしており、都羅展望台からの景色の比ではありません。それほどここは北に近い。いや、厳密に言えば北と南の共同警備区域なのだけれども。

 実際昔は、その名の通り共同警備区域であって、JSA内では韓国・北朝鮮の兵士が自由に行き来し、共同で警備に当たっていました。しかし1976年に起きた「ポプラ事件」(北朝鮮兵によって国連軍の将校二人が殺害された事件)以来、北朝鮮はJSAを認めておらず、現在では分割警備になっているそうです。実質的には機能していない「JSA」という名前が物悲しくもあります。


<北朝鮮の監視塔。1階の左側を見ると・・・>

<北朝鮮兵がこっちを見ている!>

<北朝鮮の平和の村>

<右は平和の家。民間の会談場>

<北朝鮮の板門閣。何か工事中の様子>

<有名な軍事会談場>

 さて、有名な水色の建物、会談場へ。会談場は軍事分界線を跨ぐように建てられていますが、建物の中だけは自由に移動することができます。建物の中には微動だにしない韓国兵が二人。一人は北朝鮮側への扉の前に陣取っており、彼の後ろに行くと亡命と見なされ撃たれるから、決して後ろに行くなとの注意。彼らは3時間交代制で、3時間はじっとあの格好で耐えるそうです。腹痛くなったらどうするんだろ。。

 簡単な説明の後、自由に見学。窓から見えるコンクリートの軍事境界線は、本当にこれが国を分けているのかと思うほどの代物です。しかし実際はこのコンクリートによって韓国と北朝鮮は分断されている。それも、同じ民族が50年以上も。韓国兵も北朝鮮兵も、どういう気持ちでここの警備についているのだろうか・・・。幸い分断されなかった「日本」という国に住んでいる僕には、彼らの気持ちなど分かるはずもありません。所詮当事者ではないという、ほっとするような、悲しいような思いが交錯します。

 説明後、写真タイムになると皆が一斉に写真を取り出してパシャパシャ始めました。中には兵隊の隣でピースサインをし、ツーショットを撮る観光客も。本当に滑稽な風景です。やはり僕達日本人には、分断なんて他人事なのでしょう。自分も含め、写真に熱中する日本人を見てそう思いました。


<分界線。右韓国、左北朝鮮。>

<この扉を開くと北朝鮮>

<とりあえず写真を取りまくる日本人(僕含む)>

<机の中心が分界線に。左が韓国、右が北朝鮮>

 会談場を見学した後は、再びバスに乗って、北朝鮮を見渡せる監視所へ。監視所から見る景色は、豊かな自然そのものです。しかし、ここはもちろん地雷原。穏やかな表情とはまるでかけ離れた現実を抱えている森林。

 DMZ内の自然については、戦後50年間手付かずであり、豊かな自然や生態系が残されており、世界遺産に登録してはどうかという話も持ち上がっているそうです。でも、個人的にはそれはおかしいと思う。まず図られるべきは南北の統一であり、世界遺産登録はその後の問題だと思います。どうも問題を履き違えている気がしてなりません。とりあえず世界遺産登録を行って、その結果が平和的統一を進めることになる、という幻想は捨てたほうがよいのではないでしょうか。もっと現実的に、南北統一を実現させようとする努力をしないと、いつまでたっても分断されたままな気がします。


<豊かな緑。しかしここは地雷原>

<人が住んでいない(とされる)北朝鮮平和の村>

 最後は映画『JSA』で有名になった「帰らざる橋」を車窓から見物して、これでJSA観光は終了。ボニファス・キャンプに戻り、強制的にお土産屋へ。ドル・円・ウォンが使えるという不思議な店の中、せっかくの記念なのでピンバッジセットを購入しました。


<映画「JSA」で有名になった帰らざる橋>

<お疲れ様でした。>

 写真撮影禁止区域だったので写真はありませんが、JSA内の地雷原に生えた木々に、無数の鳥が巣を作って子育てをしていました。そして鳥は、南も北も関係なく、自由に飛びたっていきました。今回のJSA訪問で、実はこれが一番印象的な場面でした。人間は南と北という境界を作り出してしまいました。しかし、自然に境界はありません。どこまでも同じ緑が続いています。いつか、人間の世界でも境界がなくなれば、と願わずにはいられません。

 同じ民族が50年も分断されるという悲劇。それは僕の想像の範疇を超えています。

<市庁と明洞(ミョンドン)>

 板門店からバスに乗って、ソウル市内へ。わずか1時間ちょっとでロッテホテルに戻ってきました。板門店とソウルは本当に近いです。距離にして約60キロ。万が一戦争が起こったら、確実にソウルは火の海になるでしょう。起こらないことを祈るのみですが・・・。

 オキ君とユノとの待ち合わせは6時半。まだ1時間少しあったので、歩ける範囲で市内を散策してみました。まずはソウル市庁舎。ワールドカップ時に赤い応援団が多数集結しているニュースを見たことある方も多いと思います。そこがソウル市庁舎前です。イベントがないときは至って静かで、芝生に寝転んで読書をしたり、恋人どうし寄り添っていたりと、代々木公園みたいな感じでした。なかなかいいところじゃないの。しかし、4日後の韓国戦で印象は激変します・・・。

 次は清渓川(チョンゲチョン)。以前は上を高速道路が覆い、それはそれは汚い川だったらしいですが、ソウル市長の鶴の一声で高速道路を撤去し、川を復元させたそうです。ソウル市長の鶴の一声。韓国にも「官邸主導」みたいな人がいたわけですね。一時期「水」や「河川」に興味があった身としては、ここは見ておかないわけにはいきません。実際歩いてみて、環境的には本当にいいのかどうなのか僕にはよくわかりませんでしたが、遊歩道としては最適でした。歩いている人も本当に多かったし。環境負荷も重要なファクターですが、「親水」というのも都会では必要なものでしょう。そういう意味ではチョンゲチョン改革は成功しているのかもしれません。


<ソウル市庁と前の広場>

<復活したチョンゲチョン>

 ぶらぶらしていると6時を過ぎたので、明洞(ミョンドン)へ。ミョンドンは韓国の渋谷だとか、いやいや銀座だとか、やっぱり原宿でしょとか、いろいろ評価がありますが、僕はミョンドンはミョンドンでしかないと思います。とかいいながら、敢えていうなら「(渋谷+原宿)÷2」かな。とりあえず今日も人がわんさかいて、人混みが苦手な僕は大変疲れました。

 そういえば、ミョンドンにあった「アジア最大の座席数を誇るスタバ」が無くなっていたのにはいささかショックでした。何か「CAFE PASCUCCI」とかいうカフェに変わっていて、韓国の店舗の移り変わりは激しいなぁと思ったのでした。

 時刻は6時半。約束の時間になったのでユノに電話してみると、オキと二人ミョンドンにいるという。ということで、落ち合ってユノのショッピングに少々付き合ったあとで、地下鉄に乗ってソウル大学入り口へ。地下鉄の中から見た、漢江(ハンガン)に沈み行く夕日はきれいだった。


<ハンガンに沈む夕日。しかし、7時でこの高さとは・・・>

<チキンとサムギョプサルの肉三昧>

 さて、夕食。今日はチキンを食べようぜぃという話だったので、ソウル大の学生御用達の飲み屋街、ノクトへ。適当なチキン専門店を見つけて入店。日本ではチキンと言うと「ケンタッキーフライドチキン」くらいしかありませんが、韓国ではフライドチキンのデリバリー専門店がそりゃもうたくさんあるそうです。オキ君は留学中にすっかりチキンにはまってしまい、僕も話を聞いて本当にうまそうだねぇと思うようになっていたのでした。

 さっそくチキンとビールを注文。ビールは大ジョッキで何と200円!です。さすが、韓国。しかし泡がすぐ消えます。喉越しもかなりクリアだし、質としては日本のビールのほうが断然上です。

 そしてお待ちかねのチキン!僕はチキン初心者であり、チキンというものが一体どういうものか分からないので、おいしくいただきました。しかし、オキ君に言わせるとこの店はイケてなかったらしい。理由1、骨が多すぎる。理由2、味の問題。う〜ん、初心者にはよくわからん。まぁ確かにケンタッキーの方がおいしい気はしたけど。。ということで、景気直しに焼肉店へ行って、サムギョプサルを食うことに予定変更。僕はユノが残した大ジョッキも飲んだもんだから、計1リットルのビールで腹が膨れてしまっておりました。こんな腹で焼肉大丈夫かいな?


<チキン!しかし・・・>

 適当に歩いて、チキン屋の二件くらい隣にあった焼肉屋へ入店。オキ君曰く「客が多いから多分大丈夫」だそうです。確かに繁盛している様子はあります。風貌からして大半はソウル大の学生なのでしょうが。

 日本で焼肉と言えば普通牛肉ですが、韓国では一般的に豚肉です。最初は「え?豚?」と抵抗があったものの、何度も食べるうちに豚の焼肉の方が牛よりおいしく感じるようになってしまったくらい、韓国の豚焼肉はうまいです。とりあえずサムギョプサル(豚の三枚肉)を3人前注文して、ジュージューと。カリカリに焼いたサムギョプサルをサンチュに巻いて、コチュジャンをつけて食べると、これがうまいんだ・・・。テジカルビを食べて、焼酎をストレートでキュッとあおる。これぞ韓国に来てよかったと思える瞬間です。さっきのビールも何のそので、たらふくサムギョプサルをいただきました。

 サムギョプサルだけでは飽き足らず、ちょっと高価(それでも400円くらい)なワイン漬け豚カルビ(テジカルビ)を注文。これもうまいです。一緒に頼んだりんご焼酎とよく合う。うまいねぇ幸せだ。


<繁盛する焼肉屋>

<サムギョプサル>

<巻いていただきます〜>

<ワイン漬けのテジ(豚)カルビ>

 かなり満足してお会計。何とあれだけ食べて飲んだにも関らず、27000ウォン(約3000円)でした。一人じゃなくて、三人でです。つまり一人当たり1000円。日本人から見て物価が高くなりつつ韓国だけど、飲食店だけはまだ割安で助かります。この値段でこれだけのクオリティーのものを食べることができる韓国に感謝。

 その後タクシーでナクソンデまで戻り、ユノと別れたあと、仕事仲間との飲み会があったボソンを迎えにナクソンデの駅へ。駅前にサーティーワンがあったので、ついついアイスクリームを食べてしまいました。ダブルで3500ウォン(約400円)だったから、こちらは日本とあまり変わらなかった。そういえばこの時点で11時を過ぎていたのに、31はまだ開いていたのには驚きです。韓国は夜型社会だとはいうけれど、アイスクリーム店まで夜型なわけです。

 ということで、肉に満足して幸せな気分でボソンの家に戻り、酒と疲れの影響もあってか、ちょっと横になったとたんに記憶が吹っ飛んでしまいました。


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