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東京見聞録
2005年10月29日() 三日目 <東寺・西本願寺・三十三間堂・平安神宮>


<洛中を歩く

 7時に目覚ましをかけたにも関わらず9時起床。でも今まであおかつ家に泊まった中で、帰る日以外では一番早く目が覚めました。やっぱり深酒しないに限ります。外はあいにくの雨ですが、観光する気満々だったので、一人シャワーを浴びて、身支度をして出発しました。あおかつはまだ寝ているので、今日はとりあえず単独行動です。

 さて、今日は何処に行こうか。これまでは「あおかつ邸から(少しくらいなら無理して)歩いて行けるところ」ということで東山を中心に見て回りましたが、今日は一人だしちょっと違うところに出かけてみようかと考えました。具体的には京都駅周辺の東寺(教王護国寺)、西本願寺とかね。いわゆる「洛中」と呼ばれるところです。ここら辺りになると、さすがに歩いていくのは面倒(頑張ればいけないことはないけど・・・)。しかも雨も降っている。ということで今日の移動は主に公共交通機関を使うことにしました。

 ちなみにこの旅行記を読んでる人の中には、「超メジャーな、金閣寺とか清水寺とかには行かないのか?」とお思いになる方もいるかもしれませんが、金閣寺も清水寺ともに昔行ったことがあるので、とりあえずの優先順位は低くなります。特に清水寺には3回くらい行ってるしね。ということでもしそれらを期待していたとしたらご容赦ください

 とりあえず朝食を取りたいので、寺町・新京極商店街を経て四条烏丸方面へ。ところが朝早いとまだ店が開いてないもので、目ぼしい店が見つかりません。結局面倒になって、地下鉄四条駅の隣にある吉野家に入りました。豚丼並盛に半熟卵をつけて。昨日の昼にマクドナルドで買ってから、若干どうでもよくなってきてます。余談ですが、京都の吉野家には東京にないメニューがありました。チャーシュー丼というやつ。客の多くがチャーシュー丼を頼んでいたから、結構売れ行きがいいのかもしれません。東京にも是非とも導入していただきたい。というか豚丼じゃなくて、チャーシュー丼を頼めばよかった。

 そんなこんなで吉野家で豚丼を平らげ、地下鉄に乗って京都駅へ移動し、近鉄に乗り換えて一駅先の東寺駅へ。

<東寺(教王護国寺)>

 本日最初の目的地は東寺です。またの名を教王護国寺といいます。東寺というのは平安遷都の2年後に、桓武天皇が王城鎮護のために二大官寺の東寺と西寺を建立したときから続く名前。教王護国寺は、その30年後に空海に勅賜されたときに付けられた名前。そういえば高校時代、日本史のテストで、「東寺の別名を漢字五文字で答えよ」という問題があったのを思い出しました。教王護国寺という名前を必死になって覚えたものです。

 東寺にある五重塔は、よくJRのCMなんかで出てくるあれで、京都のシンボル的存在になってます。今日はあいにくの雨なので、観光客はまばらでしたが、それでも予想したよりは多い。この日から特別拝観が始まるということで、何と五重の塔の内部も見学できるということでした。これはいい日に来たもんだ。

 拝観チケットを800円で買ってまずは講堂へ。講堂の中には大日如来を中心にして、21体の仏像がずらりと並んでいます。しかもその多くが平安時代前期に建立されたものらしい。国宝だらけのなかなか壮観な眺めでした。講堂の隣にあるのが金堂で、こちらも国宝。中には薬師三尊像が祭られています。こちらの仏像たちは桃山時代に作られたらしい。

 そしていよいよ五重塔。今日は特別に内部に入れる日。入れるといっても一階部分だけですが、じっくりと見物してきました。基本的には仏様の空間ということで、外部とは何となく違う雰囲気の場所でした。ここにはあまり足を踏み入れない方がいいのかも、と思ってしまうような空間です。昔の人はどういう気持ちでこういう塔を建てたんだろうか。


<金堂>
 
<講堂>

<池と五重塔>

 主要な建築物とその内部を見た後は宝物館へ。宝物館も春・秋のそれぞれ二ヶ月間しか公開されていないので、ちょうどよいタイミングでした。中には巨大な千手観音立像があり、これまた厳かな迫力があります。所蔵・展示されている品々を見て、やっぱりここはすごいところなのだと感心しました。

 この時期もう一つ拝観できるのが東寺内部にある観智院。1359年開創。客殿(国宝)は1605年建立。ここは東寺の中の観学院(まぁ平たく言えばお坊さんが修行するところといったところでしょうか(よくわかりませんが・・・))の中のトップにあたるところみたいです。中には宮本武蔵が描いた言われる「竹林の図」があったりするので、思ったよりも重要なところだったということでしょう。右下の写真の五大の庭の石の配置は、空海の唐で修行後、遣唐使で日本へ帰ってくるときの苦難を示しているそうです。奥の石が長安、手前の石が日本で、真ん中の丸の中が遣唐使、その周りの石は船を守る神達、ということらしいです。 


<観智院>
 
<観智院 五大の庭>

 東寺は見るところが多く、しかも時間をかけてゆっくり見物したので、1時間半ほど経っていました。時刻は12時半。同時に見物を終えた頃にはあれほど強かった雨が上がっていたので、次の目的地である西本願寺までは歩くことに。観智院のすぐ側にはあの洛南中学・高校があって、土曜日の下校時間だったらしく、たくさんの生徒が出てきました。それはそうと、洛南高校って仏教系の学校だったのね。てっきり普通の進学校かと思ってた。

<西本願寺>

 東寺から北へ約15分ほど歩いて西本願寺へ。一昨日は朝早過ぎてどこから入っていいのか分からなかったので、ようやくまともに見物できます。

 西本願寺について、まず目に付いたのが龍谷大学。龍谷大学は仏教系の大学だということは知っていましたが、西本願寺系ということは、浄土真宗の大学なのでしょう。仏教大学だからなのか、意外と小ぢんまりまとまってます。修士課程もあるらしくて、修士論文中間発表会の看板が立ってました。とはいってもそこに載っている名前を見ると、15人くらいしかいないみたい。(後で分かったことですが、龍谷大学のメインキャンパスは伏見区深草にあるそうで、ここは本部施設などごく一部があるのみだそうです) その龍谷大学から少し進むと、西本願寺の唐門が見えてきます。豪華絢爛な桃山建築。貴賓を迎える時用の門なので、基本的には開かないみたいです。


<龍谷大学(重要文化財)>

<西本願寺の唐門(国宝)>

 門の周りをぐるりと回って、いよいよ境内へ。昨日の知恩院は浄土宗、さっきの東寺は真言密教なので自分自身には縁遠い存在ですが、西本願寺は親鸞が設立した浄土真宗の総本山。うちの実家は浄土真宗なので、ここは張り切って拝むことにしました。まずは一般的なお寺の本堂にあたるの阿弥陀堂へ。さすがに総本山だけあって、スケールが違います。10分くらい中で正座して阿弥陀如来を眺めていると、なぜか落ち着いてしまう。心休まる空間です。隣にある御影堂は大修理中ということで、見物できなかったのが残念。

 実は僕は実家の仏教と寺があまり好きではなく、そのボスである西本願寺に対してもいいイメージは抱いていませんでした。けれど実際ここまで来てみると、何とも言えない浮遊感・安心感に包み込まれるような錯覚に陥りました。恐らく葬式仏教に成り下がっている実家の仏教に対して嫌悪感を持っていたんでしょう。葬式とかけ離れて、純粋に仏教というものを見てみると、奥深くて結構好きな世界だということに初めて気がつきました。そういう立場で見る限り、線香のにおいもあまり気になりません。

 ちょっと仏教を見直した僕は、すぐさま実家に電話をかけて、母に「実は今、西本願寺にいる云々・・・」と伝えました。すると母は「明日はおじいちゃんの命日だから、線香か何か買って送ったら、おばあちゃんも喜ぶよ」と。そうか、明日は祖父の命日だったか。祖父母孝行な僕は、すぐさまお土産屋で結構高い線香を購入しました。いいことしたね。

 あと、西本願寺が知恩院や東寺といった他の寺社と異なるのは、単なる観光地ではないということでしょうか。知恩院も東寺も今や完全なる観光地ですが、西本願寺は観光だけではなく、浄土真宗の総本山として、今でも全国各地から檀家がぞろぞろとやってきています。宗教施設としての総本山の役割を確実に果たしています。僕が見物しているときも、何組もの団体が訪れて参拝していました。さらには参拝会館というのがあって、ホテルのフロントのようなところで多種多様なイベントの受付が行われています。言い方を変えると、ちょっと言葉は悪いけど、葬式仏教に通じるビジネスライクなところがあるということですね。


<阿弥陀堂>
 
<工事中の御影堂>

<阿弥陀堂と御影堂>

<西本願寺の前に広がる門前町>

<三十三間堂>

 雨が完全にあがったので歩くことにして、次は三十三間堂へ。西本願寺から東へ2キロくらい歩いたところにあります。時間節約のために最初は地下鉄かバスを使おうと思いましたが、やっぱりお金がもったいないしね。それに知らない街をじっくり歩くということは、個人的には旅行で一番重要なのではないかと思っています。単に観光地を見るだけでなくて、その街の様子を肌で感じることができると思うから。歩いている時間は、足が痛くて疲れるけど、その分幸せだったりもするものです。

 2時を過ぎた頃、ようやく三十三間堂に到着。参拝料600円を払って中へ。三十三間堂は正式には天台宗の「蓮華王院」と言うらしく、唯一残る千体観音堂の遺構だそうです。あの院政でお馴染みの後白河法皇が建てたらしい。本堂の中に入ると、千体の千手観音像がずらりと並んでいました。これは本当に圧巻。そして同時に何となく薄気味悪さも感じます。思わず息を呑んでしまった。写真撮影禁止だったのが残念です。とりあえず見たことない人は見てみることをお勧めします。でも絶対夜中に一人で入りたくないところですね。

 千体の千手観音像は基本的に鎌倉時代に作られたもので、「○慶」という、かの運慶の流れを汲む人々によって作られたようでした。一体一体手作りだから、表情が微妙に違うんですね。じっくり見てみるとそのかすかな違いに驚きます。また三十三間堂は弓道の通し矢でも有名な場所。僕も高校時代弓道をやっておけばよかった。 


<三十三間堂(国宝)>
 
<三十三間堂 通し矢>

 三十三間堂は頭痛にもご利益があるらしく、最近頭痛に悩まされていたのでお守りを買ってみることにしました。500円。別にこれで治るとは思ってないけど、記念ね、記念。

<昼食はにしんそば>

 三十三間堂を見終わって、時刻は3時。され、これからどうするか。ちょっと南にある東福寺に行ってもよかったのだけど、腹も減ったし、昼食でも食べたいなぁということで、まだ家にいるであろうあおかつ君に電話をかけて、一緒に昼を食べることにしました。

 京阪で三条まで戻って、市役所前であおかつと待ち合わせて寺町商店街へ。朝は吉野家というグローバル食品だったので、昼はローカルに京都名物のにしんそばでも食べたいなぁ、とあおかつ君に言っておいたのでありました。

 商店街をちょっと行くと「常盤」という食堂があったので、そこで昼食をとることに。明治19年から続く店らしく、内装もいい味出してます。そこでにしんそばを注文。ちなみにあおかつ君は焼き鯖定食を注文。あっさり出汁と鰊の濃厚さがのコントラストが良いです。おいしかった。これで食に関しては、また一つ目標をクリアしました。後は湯豆腐とおばんざいとお茶漬けと川床だね。 


<にしんそば>
 
<かに道楽 京都本店>

<もう一度平安神宮>

 さて、時刻は4時。ほとんどの観光スポットが閉まる時間です。どうしようかねぇということになり、結局5時半くらいまで開いている平安神宮に行くことにしました。夏に行ったときは遅すぎて中に入れなかったから、今回再チャレンジ。

 てくてく歩いて4時半頃到着。前回見られなかった内部を一通り見て満足です。ちなみにこの日は平安神宮でコンサートがあるらしく、中にはものすごい数の椅子が敷き詰められていました。神社の中でステージがセットされている様子は何だか異様です。この日は森山直太郎だったから別になんてことなかったけれど、次の日が矢井田瞳だと知って、ヤイコファンのあおかつ君がどれだけ悔しがっていたことか。。


<平安神宮 応天門>
 
<平安神宮 大極殿>

<今日はコンサート>

<何か可哀そうな願い事>

 平安神宮を散歩した後は、神宮前にあるカフェで抹茶ソフトを食べながら一休み。ちなみに店内の客の95%が女性でした。男2人で入ってる奴なんて全くいない。女の域に紛れ込んでしまった。

 なんで女性はこうも甘いものが好きなのか、という話になって、そこであおかつが言ったのは「女性は血糖値の値が元々低いから、血糖値が下がると怒りやすくなる。だからマメに糖分を補充してるんだ」と。確かにそうかもしれません。周りを見ても、腹が減っている時に怒りやすくなる女性っているもんな・・・。それに甘いものは別腹って言うし。ちなみに僕は300円の抹茶ソフトを平らげた時点で血糖値マックスまでいったのか、もうこれ以上食べられない感じだったけど、周りのお姉さま方を見ていると、パフェとお汁粉両方食べるなんて荒業を披露してくださっている方もいて、非常に驚きました。女性恐るべしです。

 この後は新京極まで戻り、自由空間で3時間ほどビリヤードやゲームをしてから帰宅。ampmのコンビニの弁当を食べ、ちょっとだけビールを飲んで就寝。


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