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九州旅行記 3  
2008年9月3日(水) <熊本(水前寺公園、熊本城、旧細川刑部邸)、竹田(岡城址、武家屋敷)、大分、別府>


<熊本 水前寺公園と熊本城>

 九州旅行3日目。5時半に起きて、冷蔵庫に入れておいた栗めしで朝食にしました。消費期限は昨日の夜10時になっていたけど、まあ冷蔵庫に入れてたから大丈夫だろう。。人吉の人気駅弁である栗めしは、栗の形をした容器に入っていて、なかなかかわいい形をしています。中身はうっすら味付けされたご飯の上に栗やその他の具材が乗っているというもの。僕はあまり栗が好きじゃないですが、この弁当の栗は甘くてふっくらとしていておいしかったです。意外と量も多い。お陰で朝から満腹になりました。さすが、人気駅弁。


<人吉の人気駅弁 栗めし>

<栗がたくさん>

 6時40分にホテルをチェックアウトして、荷物を持って熊本バスターミナルへ。昨日は暗くてわからなかった風景も、朝だとよく分かります。熊本のアーケードは道幅は広い。


<白川を超える>

<サンロード新市街>

<おてもやん>

<熊本のマンホール>

 7時にバスターミナルに到着。重い荷物をコインロッカーに預けてからバスに乗って水前寺公園へ。水前寺公園までは市電とバスの両方が走っていますが、バス乗り放題のSUNQパスを持っているので今回はバス移動です。熊本のバスターミナル(正式名称熊本交通センター)はものすごく大きく、乗り場が36箇所もあるので、最初はどこでどのバスに乗ったらいいのか分からずに右往左往しました。調べてみると熊本のバスターミナルは日本一の規模だそうですね。そりゃ迷うわ。7時18分の県庁方面行バスに乗って、水前寺公園前までは約15分。バス停から歩いて5分で水前寺公園に到着しました。

 時間を有効に使うために、7時半の開園と同時に入りましたが、朝早いから他に客は誰もいません。掃除のおじちゃんおばちゃんすらまだ準備をしている状態です。でも僕一人しかいないと、まるでこの庭園が全て自分のものになった気がして、気分は悪くありません。お殿様気分というか何というか。お庭独り占めなんて、きっとお殿様もこういう気持ちだったに違いない。朝のすがすがしい空気を吸いつつ、ゆっくりと庭園を散策するのは幸せなことです。

 水前寺公園は寛永年間に藩主・細川忠利が開いた御茶屋をもとに、80年間かけて整備したもの。偕楽園・後楽園・兼六園といった日本三名園と比べると規模が小さいですが、確かにきれいにまとまった廻遊式庭園の特徴を備えています。ただ少し残念なのは。市街地の真ん中にあって、ほぼ全ての景色に高層マンションやビルが映りこんでしまうことです。遠くにこういうのが見えると、どうしても現実の世界に引きもどされてしまうというか。その点が少し残念。庭園自体は小ぢんまりしていいんだけど。 

 水前寺公園では1時間くらい時間をとっていましたが、思ったよりも狭かったので30分程度で見物し終わってしまいました。次の熊本城の開館時間は8時半なので、それに間に合うように再びバスに乗ってバスターミナルへ戻り、そこから歩いて熊本城へ。熊本城に近づくと、熊本城の生みの親とも言える加藤清正の像が鎮座していました。


<加藤清正公>

<アップは結構険しい>

 僕が熊本に来るのはこれで3回目ですが、過去二回は小学校・中学校の修学旅行で来ているので、全く街を歩いた記憶がありません。バスで来て熊本城を見学し、またバスに乗って次の場所へ行くという、バス観光の王道パターンでした。そんなんじゃあまり記憶に残らないもの。やっぱり旅行はドアツードアじゃなくて、街を自分の足で歩かなければ。ということで、熊本城も2回も見ているはずですが、ほとんど記憶があるはずもなく、実質今回が初熊本城みたいなものです。というか、何故小学校・中学校の修学旅行で同じところに行かなければならないのか。おかしいだろ。

 天守閣へと続く長い上り坂を登り、まずは天守閣の前にある宇土櫓へ。ありゃ?昔こんなんあったかな?と思いましたが、この宇土櫓は昔のまま現存する建物で、重要文化財に指定されているそうです。多分修学旅行では入らなかったのでしょう。全く記憶にないんだから。宇土櫓は倉庫や見張りの役目をする場所ですが、そこから見える熊本城天守閣もまたきれいです。


<宇土櫓>

<櫓から天守閣を見る>

 次はいよいよ天守閣ですが、入る前に説明文を読んでみると、大天守と小天守の石垣の傾斜が違うということが書いてありました。実際に見てみると、小天守のほうが急で、大天守の方が緩やかです。しかし上の方に行くにしたがって、どちらとも急激に急角度になります。これは「武者返し」と呼ばれる石垣の積み方で、最初は登れるように見えても急に急角度になるから絶対登れないというもの。修学旅行時の記憶はほとんどないですが、唯一覚えていた単語がこの「武者返し」でした。小学校の頃のバスガイドさんが言っていた気がします。


<小天守の石垣>

<大天守の石垣>

<石垣の角度が違う>

 そしていよいよ熊本城天守閣。日本三名城に数えられるだけあって雄大です。


<熊本城天守閣>

 熊本城天守閣は西南戦争の際に焼け落ちて、昭和になってから再建されたものなので、中は鉄筋コンクリート造りになっています。中に入って右手に当時の井戸が見えますが、この井戸を見て昔の記憶が急に蘇りました。中学校のとき、ここの井戸で写真撮った記憶がある!でも今は井戸の周りは立ち入り禁止になっているようで、井戸を囲んでの写真は撮れそうもありません。だた遠くから写真を撮るのみ。まあ、一人だからいいけど。

 熊本城は2007年に築城400年を迎えたことから、大規模な復元工事が行われていたそうで、一口1万円の寄付をすると名前が残るシステムになっていました。天守閣には一万円の寄付をした人の名前がずらり。ものすごい人数です。これを見るとどれだけ熊本城が地元の人から愛されているかが分かります。

 天守閣の中は一般的な展示で、加藤家・細川家で使われていた鎧兜や貴重品の展示から、幕末の西南戦争の話まで。特に神風連の乱に関する記述が充実していました。小学校・中学校当時はそんな難しいことは分からないからスルーしていたけど、今となっては興味深い内容です。やはり城跡はある程度の歳をとってから来るのがいいですね。小中くらいでは広島か長崎に行って平和学習でもするのがちょうどいいかと。

 天守閣最上階からは熊本の景色が一望できます。いい景色です。小学校の修学旅行のときは大雨で、全く景色を見られませんでした。景色が見られないからと先生が目を向けさせたのは、壁一面に書かれた落書きで、当時のクスノキ先生はどれほど憤慨されておられたことか。よほど憤慨したのか、修学旅行後の道徳の時間で「落書きはよくない」という1時間が展開されたくらいです。確かに当時の天守閣最上階にはこれでもかというほど隙間なく落書きがされていて、汚かったというのは覚えています。

 ただそのことを帰った後で道徳の時間を使ってまで考える意味があったかというと、今となってはどうだろうかという感じがします。そりゃ当時は子供だから「落書きは良くない」という善悪二項対立で考えるけど、冷静に考えればそんなに落書きでびっしりになるまでほったらかす城側もどうかということになるわけです。もちろん落書きする馬鹿は論外という前提の話ですが。国宝とか重要文化財ならなかなか手をつけられないけど、コンクリの再建なんだから、落書きはちょちょっと消せるはず。それをずっとほったらかしにするのは怠慢としか思えないし、観光地としての企業努力が見えないと。当時もちょっとだけそういうことを思いましたが、そんなことを言うと先生にビンタされる恐れがあったのでもちろん黙ってました。

 まあそれは当時の熊本城への疑問であって、あれから16年。今の熊本城天守閣の展望所は、当時の落書きがまるで嘘のように綺麗な白い壁で覆われていました。落書きする馬鹿が減ったのか、城側の努力の賜物なのか分かりませんが、これはいいこと。


<使われていた井戸>

<天守閣展望台>

<繁華街・通町筋方面>

<復元された本丸御殿>

 天守閣の傍にある本丸御殿へ。ここは去年復元されて公開されている新しい建物です。新しいので木の香りが漂ってます。藩主の間の壁画(絵画?)も綺麗に復元されていて豪華絢爛です。でももし自分が藩主でこんな部屋にいないといけなかったら絶対落ち着かない。


<本丸御殿>

<大広間>

<藩主はこの奥に>

<藩主の居間>

 ここからは時間との戦いになるので、急いで次の旧細川刑部邸へ。細川刑部邸は熊本城三の丸跡にありますが、城内はなかなか広くて移動に時間がかかります。細川刑部邸に着いたのが10時。これからのことを考えると刑部邸前を10時23分に出るバスに乗りたいので、見物時間は20分程度しかありませんが仕方がない。

 細川刑部家は細川本家の家臣でありながら25,000石という大名並みの待遇を受けていた名家です。名家であるからして家も広く、なかなかの見ごたえがありましたがいかんせん時間が・・・。かなり急ぎ足で見物する羽目になってしまいました。襖に銀箔が貼られていたことに由来する銀之間や茶室など、当時の様子がよく残されています。でもいかんせん時間が・・・。


<細川刑部邸>

<銀之間>

 旧細川刑部邸の見物もそこそこに、10時23分のバスに乗って市街地の北に位置する壷井橋へ。なぜこんなに急いでいるとかいうと、11時半の高速バスに乗りたいわけで、11時半のバスに乗るとなると昼食は11時開店と同時にラーメンのこむらさきに入らないと危ないわけで、11時にラーメンを食べるとなると最寄りの壷井橋に到着するバスは10時23分しかなかったわけです。でも壷井橋に着いた時点で10時30分で、ラーメン屋の開店まで30分ほど時間があります。ということで、近くにある夏目漱石内坪井旧居へ。

 夏目漱石は第五高等学校(現熊本大学)教師として熊本に赴任し、4年3か月を熊本で過ごしたのち熊本を去っています。このうちこの内坪井の家に住んだのは1年8か月ほど。熊本では5回も引っ越している引越魔だったそうですが、その中でも一番長く住んだのがこの家。綺麗に残されています。もちろん、さっきの旧細川刑部邸の広さに比べると、一般庶民の家だなぁという素朴な広さと造りですが、このくらいの広さだとじっくり見ることができてよいです。家の中には夏目漱石のリアル人形があって、紐を引っ張ると動くとか、夏目漱石の骨格を元にして声を再現し、その声で祝辞を読むというカセットテープを聞けたり、狭いなりにもなかなか楽しめました。でも、どうしても夏目漱石というと松山のイメージなんだよなぁ。


<夏目漱石内坪井旧居>

<入口>

<居間>

<漱石の人形が動く>

 夏目漱石の旧居を出たのが10時55分で、ラーメン屋に着いたのがちょうど11時。たまに開店時間になっても準備中になっている店もあったりしますが、こむらさきはきちんと開いていました。というか、店に入ったら既に旅行中の男子大学生4人組がラーメンを食べてます。「朝飯にラーメンは堪えるわぁ」とか言ってる。

 熊本ラーメンと言えば、有名なのは こむらさき と桂花。桂花は渋谷で何度も食べたことがあるので、今回はこのこむらさきにしました。こむらさきは昔新横浜のラーメン博物館で1回食べたことがあって、そのときにおいしかったので、本店での味はどんなものだろうとかなり期待して。店は意外にも昔ながらの町のラーメン屋で、店員も夫婦っぽいおじちゃんおばちゃんの二人で、これはちょっと意外。

 早速チャーシューや具材が少し多い、お得な「王様ラーメン」を注文。値段は580円で、ありがたい地方価格です。ラーメン博物館の王様ラーメンは800円くらいするからね。2,3分でラーメンが出てきて早速いただきましたが、思ったよりあっさりなスープでした。にんにくチップが振り掛けられていますが、特に強い影響を与えるわけでもなくマイルドです。素朴なスープでおいしい。ただ、一昨日ののぼる屋があまりにもインパクト強すぎたので、ちょっと霞んでしまうかな。麺も普通な気がしたし。


<こむらさき本店>

<王様ラーメン>

 急ぎ目でラーメンを食べ、店を出たのが11時13分。高速バスの時間は11時30分。こむらさきからバスターミナルまでは1.5kmほどあります。ここからが一番の正念場。最初は早足で歩いていましたが、どう考えても間に合わないと思い、途中から走り出しました。アーケードを疾走する観光客。周りの視線が気になるところですがそんなの気にしてたら間に合わない。お陰で息は切れましたが、何とか11時28分にバスターミナルに到着しました。急いでコインロッカーから荷物を出して、大分行き高速バスのバス停へ。バス停に着いたらちょうどバスが入ってくるところで、本当にぎりぎり間に合った。


<熊本の老舗デパート つるや>

<高速バスターミナル>

 11時半、熊本発大分行きのやまびこ号が出発。バスの乗客は5人と少なく、果たして採算はとれるのかと・・・。昨日からそればっかり心配になりますが。熊本大分間には高速道路が走ってないので、バスは国道を通りながら阿蘇を越えて大分を目指します。途中阿蘇を通るので景色は本当に素晴らしいですが、バスの窓が汚かったのとほとんど寝ていたので景色はあまり見ることができませんでした。ほんと、高速バスは寝心地抜群だから困る。

<岡城跡と滝廉太郎の竹田>

 1時43分、大分県の竹田に到着。竹田に着くころにはバスの乗客は僕とオジサンの2人になっていましたが、オジサンも竹田で降りてしまったので、バスは誰も乗せずに大分に向かいました。ほんと、大丈夫なんだろうか。。バス停から少し歩いてJRの豊後竹田駅へ行き、レンタサイクル貸出の手続き。竹田駅では駅でレンタサイクルの貸出しをやっていて、2時間300円と格安です。しかも何と電動自動車。一昨日の桜島が4時間1200円で普通の自転車だったので、安いと言わざるを得ません。竹田のメインスポットである岡城跡は山の上にあるので、自転車だと桜島の二の舞になるかもと心配してましたが、電動自転車ならかなり楽になりそう。意外にも今回が電動自転車初体験です。


<豊後竹田駅>

<本日の愛車>

 まずは電動自転車を漕いで、駅から2kmのところにある岡城跡へ。途中の商店街を抜けるとあとはずっと登り坂ですが、ここから電動自転車の本領発揮。坂道でもちょっと漕いだら、「ぐいんぐいん」とまるで誰かが後ろから押してくれるかのように進んで行きます。これはすごい楽。電動自転車なんて、すごいものを考えた人もいるもんだ。人間楽な方楽な方へと進んで行きますね。

 岡城跡の駐車場に自転車を止めて、そこから歩いて坂道を登ると岡城跡。明治期の廃城令で建物は全て取り壊され、残るのは苔むした石垣のみです。手入れしないと石垣も苔むしてくるんですね。ちょうど時間帯がよかったのか、城址にいるのは僕一人で、本当に兵どもが夢の跡のような感じでした。見渡せは周りは山で、眺めていると緑に吸い込まれそうです。

 本丸跡でぽつんと佇んでいる滝廉太郎の像が悲しげです。滝廉太郎は幼少期を竹田で過ごし、荒城の月はこの岡城跡がモデルになっているそうですが、この風景を見れば、そりゃあんな悲しげなメロディーを奏でたくもなります。滝廉太郎は23歳という若さでなくなっていて、それでいて「荒城の月」を始めとして「箱根八里」「花」「鳩ぽっぽ」「お正月」などなど、今も歌われている童謡を作曲していたというのはすごい才能というか何というか・・・。試合始まる前から負けてる感じがします。

 思いのほか雰囲気が良かったので岡城跡には1時間ほどいましたが、その間他の観光客とはすれ違わないようにしたので雰囲気は抜群でした。やっぱりこういう退廃した雰囲気のする場所は一人で思いに更けながら散策するに限ります。

 麓に下りてからはバスの時間まで武家屋敷や町並みをぶらぶら。武家屋敷は本当に年季が入っているようで、古い土塀は反り返ってます。武家屋敷の一角には迫害を受けていた頃のキリシタン礼拝堂があり、そこは岩をくりぬいて住居や礼拝堂を作ってます。当時の苦労が偲ばれる遺跡です。


<武家屋敷>

<キリシタン洞窟礼拝堂>

 街には廉太郎トンネルというのがあって、前は普通のトンネルだったみたいですが、今は人が通るとセンサーが働いて自動で音楽が流れるようになってます。通ると滝廉太郎が作曲した「荒城の月」が流れてきました。荒城の月の原曲らしく、「春高楼の花の宴」の「え」の部分が半音高いです。ファがファ#になってます。原曲のほうが物悲しさが増しますね。


<廉太郎トンネル>

<滝廉太郎記念館>

 滝廉太郎が住んでいたという家が廉太郎記念館になっていますが、時間もあったので入らずに外から眺めるだけにして駅へ。駅でレンタサイクルを返し、バス停でまで行ってバスの時間を確認しましたが、何と時間を間違えていたようで、出発は4時17分。僕はてっきり4時47分と思っていて、残りの40分くらいでバス停の前の温泉に入ろうと思っていましたが、そんな時間もなくバスに乗らなければいけなくなりました。でも乗り過ごさなくてよかった。温泉に入れなくて悔しいので、温泉で売っていたカボス味の豆腐アイスを。1位300円です。大分名産のカボスを使っていて、ほんのり甘味のある豆腐味がおいしいです。


<とうふアイス>

<中身は至ってシンプル>

 アイスを食べ終わったらちょうどバスが来て、4時17分のバスに乗車。ここから一路大分へ。

<大分と別府>

 5時27分、大分駅前に到着。今日の宿は別府ですが、せっかくだから県庁所在地の大分もうろうろしようと思いましたが、ちょっと時間が遅い気がします。ということで、大分では名物料理でも食べることにして、料理を食べたら別府に向かおうと思いました。大分駅前にはまさかのパルコがあったり、地元のトキハデパートがあったりとかなりのにぎわいを見せていますが、あまり名物料理を出すような店が見当たりません。仕方なく大分駅構内に行ってみると、「豊後茶屋」という「大分名物一通り揃ってます」という店を見つけました。駅の中にあって、若い兄ちゃんがバイトをしているような店に入るのは一か八かのところがあって躊躇しましたが。時間もないし腹も減っているしということで入ってみることに。

 とり天とだんご汁という大分名物がセットになった豊後茶屋定食(900円)を注文。とり天の噂はいろいろと聞いていましたが、ポン酢と大根おろしで食べる趣向です。とり天とはとりのから揚げに似てますが、天ぷら粉で揚げるところが違うみたいですね。から揚げよりもふわふわサクサクとした食感でした。だんご汁は、豚汁に伸ばしただんごが入っているという感じで、まあこんなものかと。でもこういう店の割にはコストパフォーマンスもよくておいしかったです。やっぱり駅はその都市の玄関口なんだから、きちんとした店を置かないと。


<大分駅>

<パルコもある大分駅前>

<豊後茶屋の定食>

<大分の洋館>

 大分駅前からバスに乗って別府へ。ちょうど帰宅時間に当たったのでバスはなかなか混雑していました。今日の宿がある別府北浜まではバスで20分。夕暮れの海沿いを進んでいくバス。遠くに別府の温泉街の夜景が見えます。左手には猿で有名な高崎山も。小学校の修学旅行で高崎山に来たなぁと、少し懐かしくなりました。そして6時50分、バスは別府北浜に到着。

 北浜は海に面した温泉街で、多くのホテル・旅館が立ち並んでいます。そんななかで今回宿泊先に選んだのは、バス停の目の前にある「西鉄リゾートイン」。安くて温泉が付いているというので選んでみました。安いと言っても普段僕が泊まる3000円台の安ホテルではなく、5000円台なので個人的にはちょっと奮発という感じになりますが、それでも温泉が付いていて朝食も無料なら安い。

 ホテルにチェックインして、ホテルの温泉に入る前にまずは近くの公衆浴場へ。竹瓦温泉という建物が味のある公共温泉で、砂風呂もあるというので行くことにしました。地図を見つつ進みましたが、なかなか温泉が見つからず。この辺りは一歩路地を入ると昭和的雰囲気漂うスナックや個人居酒屋が密集していて、さらに一本入るとイカガワシイ店のオンパレードです。純粋な僕にはピンクのネオンが目にまぶしい。古い温泉街の特徴をよく残している路地だなぁと感心してしまいました。男性だから大丈夫だろうけど、夜の女性の一人歩きは結構危なそうな雰囲気です。

 で、何とか竹瓦温泉に到着。噂通り、貫禄のある木造建築です。


<竹瓦温泉>

<温泉の中>

中に入ると「砂風呂ですか、それとも普通の風呂ですか?」と聞かれたので、砂風呂ですと答えて1000円を払い、砂風呂専用の風呂場?へ。人が多いのかと思ったら、僕の他には先客2人で、結構閑散としている感じです。まずは言われた通りに裸になり、その上から砂風呂専用の浴衣を着て、砂風呂の方へ。砂の上に横になったら係りのおばさんが上からどさどさと砂をかけ、僕の体を埋めていきます。これは思ってたよりも重い!最後には顔を除いて、全てが砂で覆われました。砂をかけ終わると、「じゃあ今から15分くらいですね」ということで埋もれたままじっと待つことに。

 最初は「はぁ〜気持ちえぇ」という感じで極楽でしたが、3,4分経ったころから暑くて暑くてどうしようもならなくなり、5分経った頃には「もう勘弁してくれ!」という気持ちになりました。まるでサウナに入っているように、心臓の鼓動が早くなってきます。砂に埋もれているもんだから、鼓動が全身に伝わるのがよく分かる。問題は汗で、普段だったら手で汗をふくことができますが、砂風呂では手が出せません。だから汗は顔を流れ放題。もう痒くてたまらないし、汗が目に入って痛い!そして何よりも暑い!!

 というところで、係りのおばさんがやってきてタオルで顔の汗を拭いてくれました。「すごい汗ですね」と。これはありがたい。拭いてもらうと不思議なことに落ちついたのか、暑さも幾分楽になったような気がしました。で、我慢すること15分で砂風呂は終了。最後に係りのおばさんに「この砂はどこの砂を使ってるんですか?」と聞いてみると、「さぁ、特にブランドというわけではなくて、そこら辺の海岸の砂だと思いますよ」との返事。まあ、確かに砂は関係ないかもね。

 で、砂を洗い流して風呂に入って終了。砂風呂はサウナ効果があって、体が火照って仕方ありませんでしたが、かなり気持ちよかったことも確かです。今回は鹿児島の指宿の方まで行けず、砂風呂に入れなくて残念だと思っていましたが、別府で砂風呂に入ることができてよかった。休憩所で体を休めた後、ホテルへと戻りました。

 ホテルでは一旦休憩した後、温泉大浴場へ。こちらの温泉も気持ち良くて、本当に温泉大国日本に生れてよかったなぁと感じます。気持ちいいったらありゃしない。温泉から上がった後は、もちろんビール!コンビニで買って部屋の冷蔵庫で冷やしておいたビールをぐびっと飲むのは、本当に至福のひと時です。たまりません。

 ビール1本飲んだら眠くなり、温泉とアルコールで気持ちがいいまま眠りについてしまいました。


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