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鹿児島・水俣調査 3
2010年5月2日()  <水俣(甘夏みかんの花摘み、村丸ごと博物館訪問、やうちブラザーズ)>


<湯の児温泉街を歩く>

 5時半起床。おはようございます。本日をもって30歳になりました。人生早いもので、三十路です。記念すべき30歳の誕生日を水俣で迎えるというのは、これも何かの縁かと思います。実り多き30代になりますように。できればこの10年でどこかの准教授くらいにはなっていたいものです。

 昨日の夜に温泉に入らなかったので、大浴場のオープンと同時に温泉へ。朝一番の温泉は誰もおらず、一人でのんびりゆっくりさせてもらいました。小さいけど露天風呂も気持ちがよかった。温泉のあとは一人で朝の湯の児温泉街をぶらぶらと散策。日中はかなり暖かくなりましたが、朝はまだ涼しく過ごしやすい気候です。


<部屋から眺める不知火海の朝>

<ホテルの前には源泉がある>

 旅館のそばにあり、湯の児温泉の名前の元になっている湯の児島へ。小さな島ですが、散歩をしている人や釣りをしている人が結構います。島内には亀のオブジェがあり、これは亀が湯の児温泉を見つけたという伝承があるからだそうです。


<湯の児島>

<亀の像がたくさんある>

<湯の児島の先端から天草を眺める>

<湯の児島から見た旅館>

 再び温泉街に戻り、朝の温泉街をぶらぶら。昨日コーディネーターさんから聞いた話だと、湯の児温泉を訪れる観光客数はかなり落ち込んでいるそうで、それでも昔の良い時期を忘れられないのか、特に目だった努力もしてない、とのことでした。確かにどの旅館も古色蒼然とした雰囲気があり、よく言えばのんびりしていて時代の流れに乗らない、悪く言えばくたびれ果てているように見えます。せっかくいい温泉を持っているのだから、地域づくりのためにも観光客を呼び込むための大々的な活動をすればよいのに。「水俣に湯の児あり」というような温泉になる日は来るでしょうか。


<湯の児温泉街>

<古めのポスト>

 7時過ぎから旅館で朝食バイキング。バイキングだとどうしても多く取りすぎてしまいます。これでは朝から食べ過ぎて太ってしまう。ここの旅館の名物は地元で取れた太刀魚のみりん焼きで、これは確かにご飯に合います。しかしお陰で余計に太ってしまう。熊本県産のひのひかりもおいしいからたまったもんじゃありません。


<本日の朝食>

<名物の太刀魚のみりん焼き>

<甘夏みかんの花を摘む>

 8時半にホテルロビーに集合し、昨日に引き続きコーディネーターさんに迎えに来てもらってから水俣市内を南下。今日の午後は農商工連携事業にもなっている「ネロリ花水」という化粧水を作るための花摘みを実際に体験してもらおうという趣旨で、いわゆる農作業です。農作業なので上下ジャージの動きやすい格好をしてみましたが、卍先生の格好はどうも農作業をする格好ではないような・・・。僕の中で農作業というと西表のさとうきび刈りが思い出されるので、水を2リットル買ってタオルを2枚準備してという大掛かりな支度をしました。それほどきついものではないのかもしれませんが、備えあれば憂いなしです。


<隣はもう鹿児島県出水市>

<県境付近>

 鹿児島県との県境付近から海方面に入り、袋地区茂道のとある甘夏みかん農家さんの畑を貸してもらって花摘み。山の斜面一杯に甘夏みかんの木が広がっています。


<甘夏みかんの木が広がる>

<みかんの木>

<みかんが生っています>

<受粉のために蜂を育てている>

 甘夏みかんは普通実の方(=いわゆる甘夏みかん)の方に目がいきますが、花から何か作れないかということで始まったのがこの化粧水作りだそうです。農商工連携は地域活性化の切り札とも言われているもので、農林漁業者と中小企業者が互いに連携して新しい商品を作り、共に儲かる仕組みを作ろうというもの。ネロリ花水はその事業に選ばれています。卍先生とここの方達がお知り合いで、僕らもモニターとしてネロリ花水をいただいており、今回はその関係もあって実際に現場がどうなっているのかということも含めて見学に来ました。


<甘夏みかんの花=ネロリの原料>

<甘夏みかん>

 やり方は簡単で、甘夏みかんの花を摘んでいくというもの。単純作業ですが、慣れると時間を忘れて集中してしまいます。しかし、初めて10分くらい経ったところで突然の大雨。今日は一日良い天気という予報だったにも関わらずの大雨に、一同一目散に小屋に非難しました。通り雨だったようですが、雨が止むまで農家さんのご好意に甘えて柑橘系の果物を何種類かご馳走になることに。農薬を使っていないことから、見た目はあまりよくありませんが、味は良いです。みずみずしいおいしさがたまらない。


<農薬を使わず育てたグレープフルーツ>

<グレープフルーツをいただく>

 雨が上がったので再び花摘み作業を再開。しかし雨が降ったあとだけあって、花を摘むごとに水滴が垂れてきて大変でした。作業自体はそんなにきつくないものの、腕周りや顔、頭が濡れ放題です。結局雨が降ったこともあって、実質的な作業は1時間程度でしたが、面白い経験になりました。作業がきつくなくてよかった。


<みかん畑から海が見える>

<全員でこれだけとれました>

 再び車に乗り、近くの茂道港へ。漁村集落である茂道は特に水俣病被害が酷かった場所で、200名を越える水俣病認定患者を出しています。今では海も綺麗になり、そんなことがあったとは思えないような場所のように思えます。メチル水銀が原因であることが分かり、漁業が規制されていた時期、茂道では生活の活路を見出すために多くの漁師がみかん栽培を始めたそうです。だから山間にはみかん畑が広がり、今回の農商工連携事業にもつながっています。

 しばし茂道の漁港を眺めた後、昨日旅館に来ていただいてお話を伺った杉本雄さんが営む杉本水産へ。農商工連携の農林漁業者側の代表はこの杉本雄さんであり、胎児性水俣病患者を支援するほっとはうすの理事長でもあります。そして何より、2年前に亡くなられた奥さんの杉本栄子さんは、水俣病運動のシンボル的存在だった人。僕でも名前を知っていたくらいです。残念ながらお会いする機会がないままでしたが、パワフルな方だったそうで、一度話をしてみたかった。

 杉本水産でご挨拶と共に朝獲れたいりこを試食させてもらい、あまりのおいしさにその場で二袋買ってしまいました。やわらかいので酒のつまみにもよさそうです。無添加なので体にもよさそう。そして何より、一番被害の酷かった水俣の茂道で新鮮ないりこが食べられるようになったことが時の流れを感じさせます。


<茂道港>

<朝獲れいりこの選別中>

<今朝獲れたばかりのいりこ>

<絵はご主人が書いたもの>

 その後ははんのうれん(反農薬・自主栽培)の事務所を訪問して話を聞いたり、甘夏みかんの花の選別場を訪れて様子を見物させてもらったりし、午前中の日程は終了。ネロリ花水は僕はモニターとしてただでいただいてますが、正式な値段は1本5000円近く高価です。人件費と手間を考えれば仕方がないことなのかもしれませんが、もう少し安くなると一般庶民には買いやすくなるかと思います。もし興味がある方はこ ちらのホームページ をどうぞ。


<反農薬連合の略>

<農薬を使用していない野菜たち>

<中国の留学生達が甘夏みかんの花を選別中>

<甘夏みかんの花を蒸留すると化粧水に>

 

<水俣の山間地域を歩く>

 12時に茂道を出発し、今度は30分かけて山の方へ。午後は頭石(かぐめいし)という鹿児島県との県境に近い集落を案内してもらうことになっており、まずは公民館のような場所で昼食をいただきました。煮しめの昆布と油揚げ以外は全て集落内で取れたもので、まさに正真正銘の田舎料理です。地元のおばちゃんたちが作ってくれた素朴な味わいですが、おいしくて橋が進みました。たけのこを金平にするとは珍しい。特にサラダ玉ねぎのかき揚げは食べる価値ありです。


<90%以上が地元で獲れた「田舎料理」>

<本日のメニュー>

 食後は生活学芸員の方の案内のもと、頭石集落を見学。水俣市は「水俣市元気村づくり条例」を制定しており、対象地域を村丸ごと生活博物館に指定しています。目的は市のHPによれば「地域全体を建物のない博物館とし、地域の生活文化、自然、産業などを、住んでいる人が、訪れた人に案内、説明するもの」ということで、僕の理解が正しければ、グリーンツーリズムとかエコツーリズムのようなものでしょうか。頭石集落はこの条例によって第1号の生活博物館に指定された場所だそうです。

 頭石集落は平家の落人の里ということで、頭石という名前の由来も京都に由来するという話でした。確かに伝統的な石積みや京都から持ってこられた観音像など、平家の落人とつながるところは結構あります。集落全体としては典型的な中山間地域で、標高差があるので農業は大変そうです。しかし全体として元気な印象も持てました。平均年齢が50代後半と、他の中山間地域と比べて若いからかもしれません。田舎で不便な集落は本当は好きではないけれど、自分が好きにならなければ仕方がない、そのために活動をしているという生活学芸員の方の話は、恐らく本音だと思います。物事は何でも、好きなところを見つけてそれを伸ばすような格好にならないとね。否定したり嫌なところばかり見ていても何も始まらない。


<頭石元気村>

<れんげが咲き誇る田んぼ>

<頭石は「かぐめいし」と読む>

<地名の由来の頭石>

<棚田のある風景>

<馬さし場>

<平家の落人が京都から持参した観音様が祭られる>

<水俣市最高峰 大関山>

<綺麗な石積み>

<全く動じない猫発見>

 案内してもらいながら、村の散策は2時間ほどで終了。これまでは「水俣=公害・海の町」という公式が成り立っており、それは不変のものだと思っていましたが、その固定観念は取り除かなければいけないようです。水俣は海だけでなく、山もある街。水俣病に焦点が当たりすぎるあまり、山の方は無視されがちですが、山間地域を含めて考えてこそ、トータルな地域の持続可能性を考えることが出来るのではないかと思います。これまでの水俣研究にはその視点がなかったので、上手く論ずることができれば新しい論考になるかもしれません。

 それと関連した興味深い話。海岸部で水俣病が問題になっていたとき、山の人間はそんな問題が起きているとは全く知らなかった。海の人間は山の人間が何もしてくれないので、あいつらはそんなもんだと思って敵視した。そういった経緯もあり、山と海の人間が連携しだしたのはごく最近のことだそうです。個人的には行政との関連から、何か論じることができないかと考えていますが・・・。

 山を降りて、先述のほっとはうすを訪問。事務局の方から概要などを伺い、少しだけ施設を案内してもらいました。時間がなかったので、全部見ることができず残念ですが、これはいつかまた機会があれば。


<ほっとはうす>

<ほっとはうす内部>

 5時に旅館に戻り、5時15分から頭石とは別の山間部で地域活性化の取り組みを行っている方の話を伺うことに。この方は僕の大学の先輩でもあり、修士課程を出てこちらに引っ越してきたそうです。何かどこかで聞いた話のような。。6時からはその方を交えて夕食。今日も量が多くて、焼・煮・揚の魚三種料理と〆のご飯が食べられませんでした。というか肉がなく、ほとんど全てが魚なのは拷問に近いものもあります。まあ確かに魚は新鮮でおいしいけれども。


<本日の夕食>

<昨日に続いて焼・煮・揚の魚三種>

 食事をしていると、コーディネーターさんからのサプライズということで、地元熊本・水俣では有名な「やうちブラザーズ」がやって来ました。ばってん荒川ほどではないけど、かなり有名だそうです。そして何より、彼らは杉本雄・栄子夫妻の息子2人と甥。だから「家内」ブラザーズ。今日既に三ステージ目で、一つ前のステージでは2200人のお客さんの前でパフォーマンスをしてきたそうですが、僕らはたったの8人。たった8人のためにわざわざ来ていただき、申し訳ない限りです。内容は歌の他に、三人の掛け合い漫談や下ネタ系があり、特に下ネタ系のときの留学生Fさんの苦虫を噛み潰したような表情が面白かった。写真真ん中のボーカルの人が、この後ジャージから海水パンツにぎりぎりのラインで履き替えるのだけど、中国だとそんなことをすると即逮捕だそうです。日本でよかった。僕はステージに一番近い席に座っていたので、超S席でいいものを見せてもらいました。誕生日の記念にします。


<やうちブラザーズの皆さん>

 食事は8時に終わり、その後今日は最終日ということで、僕らの部屋で9時半頃から飲み会。地元の米焼酎を飲みつつ、鹿児島で買っておいた消費期限が昨日までのさつま揚げを食べつつ、わいわいとやりました。


<地元の米焼酎 とにかくかめ!>

<鹿児島で買っておいたおつまみ一通り>

 卍先生に僕の博論最終コミッティに入ってもらうようにお願いをしたところ、快く引き受けてくださってありがたい限りです。まあ、以前もお願いしているので今日は確認の意味も込めてですが。あとはやはり僕の学問上の敵は西の一大拠点にあるようで、そこに勝負を挑んでいかないとこの先の道は切り開けそうにありません。卍先生は「あんなのはすぐ倒せるはずだ」と言うけれど、相手は数で来るからなあ・・・。頑張らないといけません。30代の目標は、僕の分野で西方の敵を倒して、とりあえずこの分野でのトップに立つことか。

 明日もそこそこ早いので、11時過ぎに就寝。


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