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新潟・佐渡調査 2
2010年5月22日()  <佐渡(史跡視察、朱鷺保護センター、関係者懇談会、佐渡料理)>


<佐渡三昧 トキと能と寺社仏閣と>

 6時起床。昨日の日本酒が残っているようで、微妙な胃の痛みと頭痛がします。正直日本酒を飲みすぎた。しかし二日酔いという程ではなかったので、8時過ぎに1階レストランへ行ってバイキングの朝食を取りました。廃棄物研究関係でもお世話になっているS先生の隣になったので、いろいろとお話。先生は今年で86歳になられたそうですが、矍鑠としていて本当にお元気です。こっちが見習わないといけません。僕は胃が痛くてあまり食べられないので、せっかくのANAホテルの朝食が台無しになってしまいました。


<朝食会場>

<胃が痛いのであまり食べられない>

 9時過ぎにホテルをチェックアウトし、タクシーに分乗して新潟港へ。昨日訪れた朱鷺メッセの先、信濃川の河口が新潟港になっています。ここからが今回の調査の本番。佐渡に行きます。佐渡は僕も初めてなので、かなり楽しみです。佐渡への交通手段はフェリーかジェットフォイルがあり、フェリーだと2時間半、ジェットフォイルだと約1時間。自分一人の貧乏旅行ならフェリーでぷかぷか行くところですが、今回は調査なので優雅にジェットフォイルです。団体割引で安くなったとはいえ、片道4440円するので結構高い。昨日の二次会の料金をカードで払って、資金流動性を高めておいてよかった。


<佐渡行きジェットフォイルチケット売り場>

<ジェットフォイルのチケット>

<「翼走」というのは格好良い>

<ジェットフォイルに乗る>

 10時発の佐渡行きジェットフォイルに乗船。80kmで走行するので、シートベルトを締めなければいけません。海上だと周りに何も無いので、スピードが出ているのか出ていないのかいまいち分かり辛いですが、スピードはしっかり出ているらしい。しかし今日は霧がかかって視界不良ということで、佐渡が近づくにつれてスピードが落ち、時速60km程度の運行になりました。天気予報では晴れるといっていたんだけども。視界不良のお陰で、佐渡島は眼前にぼんやりと浮かび上がるように現れて、まるで鬼ヶ島のような雰囲気でした。気分はプチ桃太郎。


<佐渡が見えてきた>

<佐渡両津港に到着>

 定刻より10分程度遅れて佐渡両津港に到着。ここからは今回の受け入れである佐渡側のコーディネートにより、半ば団体旅行のような様相になりました。まずは両津港ターミナルにある海鮮横丁で佐渡での予定を打ち合わせしつつ早めの昼食。胃の痛みも回復し、朝もあまり食べてなかったので、個人的には腹が減って仕方がありませんでした。米どころ佐渡だけあって、白米が驚くほどうまい。味噌汁もアラや貝、エビと海鮮類がふんだんに入っており、なかなかのものです。ターミナルの食堂とはいえ侮れません。


<海鮮横丁で昼食>

<ご飯が驚くほどおいしい>

 食後は佐渡市のマイクロバスに乗り、佐渡の現状視察を開始。今日の午後は、「佐渡の文化と伝統を知る」という名の視察です。佐渡側からは佐渡市の職員の方、佐渡学の専門家の方なども乗車し、車中で佐渡の概要について話をしてもらいつつ佐渡島を巡るということになりました。まずは両津港近くにある、北一輝の生家跡を車中から見物。北一輝と言えば2.26事件の思想的首謀者として処刑された人物。佐渡の出身とは知らなかった。意外と言っては失礼だけど、佐渡の歴史にはかなりの有名人が絡んでいます。

 最初に訪れたのは、新潟大学が設置した「朱鷺・自然再生学研究センター」。今年度から新潟大学が佐渡島に設置した研究センターだそうです。もともとはワシントンホテルか何かだった場所で、その建物をそのまま利用しているとか。研究者の方からトキ保護の基本的状況と今後の戦略などについて話を伺いました。一時1匹までに減ってしまった日本のトキも、中国からの贈呈や繁殖の成功もあって、現在(5月21日現在)では193匹を越えるまでになっています。


<朱鷺・自然再生学研究センター>

<トキ情報>

<トキのぬいぐるみ>

<野生復帰ステーションのトキの様子>

 続いてトキの森公園・トキ保護センターへ。


<トキの森公園>

<日本最後のトキ、キンのモニュメント>

 環境省所管のトキ保護センターに隣接しているのがトキの森公園とトキ資料展示館。トキは非常にセンシティブな鳥なので、やさしいきもちで接して欲しいと書かれています。トキ保護センターの職員の方の案内のもと、まずは資料展示館を見学。トキが絶滅危惧種であることや、佐渡で飼育されている程度の情報は知っていましたが、そもそもトキとはどういう鳥なのかということは全く知らなかったので勉強になりました。本来は調査に来る前にきちんと勉強して来なければいけないのだろうけど。日本最後のトキで、2003年に死亡したキン(雌)の剥製と骨格標本が展示されており、いかにキンが大事にされているかということが分かります。38年も生きて、トキ保護の象徴だったからなあ。キンの内臓は今でも全て冷凍保存されているそうです。


<やさしいきもちで>

<トキ資料展示室>

<最後の日本のトキ、キンの剥製>

<キン(手前)とミドリ(奥)の骨格標本>

 観察回廊に出ると、遠目からですが現在飼育中のトキを見ることができます。思ったよりたくさんのトキがいて、本当にかなり増えて来ているのが分かります。3月には小動物に襲われて8羽死んだり、生まれた卵を自ら捨てたり、つい一昨日にはカラスに卵を持ち去られたりと、かなりの受難続きで心配でした。しかしここの様子を見ると、しっかりと飼育されているようです。


<飼育されるトキ>

<ぶれたけどトキをアップで>

<クロトキ>

<トキは神経質>

 トキは繁殖のために強制的にペアを作らされるそうですが、人間で言えばオジサンと少女という年齢差のペアになることもあるそうで、いやいやなかなか非常に(自主規制)ことだと思いました。種の保存のために子供を増やさなければいけないとはいえ、オジサンと少女とは・・・。この辺りはあまり報道されることのない事実だそうですが、一般的に知れ渡るとごく一部の団体なんかが騒いだりするのかもしれませんねぇ。

 見物後は敷地内にあったエダマメソフトを食べることに。こういうご当地ものソフトは大好物です。調査中なので若干気が引けましたが、卍先生が率先して買っていたので安心してこちらも買わせてもらいました。僕のソフトクリームだけ、作り方を失敗したようで頭を垂れています。まあ、米どころ佐渡のたわわに実ったコシヒカリを模していると考えればいいか。。エダマメソフトはほんのりと枝豆の味がして、なかなかおいしいです。期間限定のネクタリンソフトもおいしそうだった。


<佐渡特産の枝豆ソフト>

<枝豆の味がほんのりする>

 続いて清水寺へ。京都のそれは「きよみずでら」と読みますが、こちらは「せいすいじ」。808年に京都からの僧が布教に来た折に、京都の清水寺を模して建立したと言われています。山門から境内に続く道が鬱蒼とした坂道で、さながら熊野古道の大門坂のようです。


<清水寺仁王門>

<坂道を登って境内へ>

 坂道を登った先は広い広場になっており、そこから京都の清水寺を模して作られたという救世殿が望めます。佐渡名所100選に選ばれているそうですが、他に誰もおらず、寂しさを感じる場所です。ピクニックが似合う雰囲気の広場かと言えばそうでもない。恐らく一人で訪れていたとしたら、時が止まったとか、タイプスリップしたとかいった気持ちになるに違いない場所です。


<救世殿(ぐぜでん)>

<静かな敷地>

 清水の舞台を模した救世殿に上れるというので上ってみると、救世殿は半分朽ち果てかけたような建物でした。より物悲しさが増します。寄付によって舞台の下の柱の部分は新しくなっているそうですが、上の部分は床がメリメリと音を立て、今にも壊れそうです。だから下の骨組みが安定しているとはいえ、舞台に立つのも少し怖い。そんなに高さはないので、ぎりぎり飛び降りても何とかなりそうな感じではありますが。10万やると言われたら勇気を出して飛び降りるかもしれません。


<救世殿を下から>

<朽ち果てかけた救世殿>

<清水の舞台を模した舞台>

<お婆さん仏像>

 参道を降り、門前にある大銀杏へ。佐渡でも最大級の大銀杏で、「清水寺の大銀杏」として有名なのだそうです。


<大銀杏>

<銀杏の葉>

 大銀杏もよかったですが、個人的には清水寺周辺の風景が気に入りました。棚田と山が続いている風景。特にこの時期、田植えを終えたばかりの水を湛えた水田が続く様は画になります。そういう風景は車での移動中ずっと続くのだけど、写真がなかなか撮れずに終わってしまったのが残念です。佐渡は棚田は有名なので、今度は歩きながらじっくり散歩したいところ。

 続いて能舞台がある大膳神社へ・・・ということでしたが、時間が押している関係で車中からさっと見る程度に。佐渡は世阿弥が流された関係で、能が盛んであり、島内に32箇所もの能舞台があるそうです。これも佐渡の誇る独特の文化の一つ。

 大膳神社の近くにある阿仏坊妙宣寺へ。新潟県内唯一の五重塔がある寺院で、さっきの清水寺と比べても有名なようで、こちらはガイドブックにも載っています。宗派は日蓮宗で、1221年の開基。日蓮も佐渡に流されています。萱葺きの仁王門をくぐると、右手に日光東照宮の五重塔を模して建てられたと言われる五重塔が見えます。解説をしていただいた佐渡学の方によると、この塔にはところどころ完成されていない場所があるそうです。


<阿仏坊妙宣寺>

<萱葺きの仁王門>

<日光東照宮を模した五重塔>

<五重塔を別角度から>

 この地は元々佐渡本間氏の城跡である雑太城跡。1589年の上杉景勝による佐渡支配によって廃され、上杉氏の代官だった直江兼続によってその跡地が妙宣寺に与えられています。そのため妙宣寺の規模も大きく、広々しています。敷地内には日野資朝の墓も。1325年、後醍醐天皇と共に鎌倉幕府倒幕を企てたものの未遂に終わり(正中の変)、その責任を負って佐渡へ流罪となります。資朝を預かっていた佐渡本間氏は、7年後に北条高時の命によって資朝を処刑。遺体はこの場で荼毘に付されたそうです。佐渡は流刑の地だっただけあって、思いがけないところで中央の政治と繋がっている史跡が多くて面白い。


<妙宣寺山門>

<日野資朝の墓>

<番神堂>

<本堂>

 庫裏の大黒柱は15mという立派なもの。黒光りがすごいです。僕は最近大河ドラマを見ていないのでよく分からないのだけど、この辺りで直江兼続の撮影が行われたのか、庫裏には子供店長のしたり顔の写真が貼られています。彼は一体どんな大人になるんだろうか。


<萱葺きの庫裏>

<庫裏の立派な大黒柱>

 今日の視察の最終目的地である佐渡博物館へ。途中の車中で佐渡国分寺跡を見物し、それから国府川という川を通過。この国府川、あの曽我ひとみさんと母親が北朝鮮に拉致された現場だそうです。川を渡りながらその説明を受けたとき、車中は今日一番の盛り上がりでした。やはり学者先生はそういった時事ネタにご関心。しかしこんなのどかな川でねえ・・・。個人的には佐渡のどこかのお土産屋で働いているという、ジェンキンス氏に会ってみたかった。


<佐渡国分寺跡>

<拉致現場、国府川>

 そして最終視察場所の佐渡博物館。博物館の事務の方から概要の説明を受け、その後は自由に展示物を見物。歴史や自然を一通り知ることができます。佐渡は閉ざされている分、植生や動物の種類はそんなに豊富ではないらしい。あと佐渡は世界遺産を目指しているということで、金山・銀山に関する特別展も。金を取るのはなかなか大変そうです。


<佐渡博物館>

<佐渡の歴史を学ぶ>

<金山の歴史>

<金が混ざった石>

 もちろん博物館内にもトキに関する展示があり、剥製のようなものが展示されています。トキの目は、角度によっては結構怖く見えます。明らかに殺し屋の鳥の目です。くわばらくわばら。


<トキ募金のトキは可愛いが>

<実際は角度によっては目が怖い>

 博物館で今日の視察は全て終了し、宿泊予定のホテルに到着したのが夕方4時。マイクロバスに乗って移動しただけなのに、何だか異様に疲れました。やはり弾丸ツアーは体に堪えるということでしょうか。ホテルは「旅館浦島」という、一面ガラス張りという、外観からしてデザイン性を重視したホテルです。有名なデザイナーによって最近改装されたそうですが、正直なことを言うとデザイナーが遊び過ぎた気がしないでもありません。フロントから部屋までの距離が異様に長いし。あまりに遊びすぎて、ビフォーアフターの匠みたいになったら困るなあ。

 僕は特講Yさんと同部屋でしが、新婚旅行の二人が泊まるようなモダンな部屋で気恥ずかしいったらありゃしない。何もないのに顔が赤くなってしまいます。このホテルにはハリウッドスターのロバート・デ・ニーロも宿泊したそうですが、外国人には受けがよいのでしょうか。というか、ロバートデニーロは何で佐渡に来たのか?


<旅館浦島>

<浦島の廊下>

<お洒落なロビー>

<モダンなツインの部屋>

 このホテルにはテラスがあり、そこから目の前に広がる日本海を一望できます。まだ少し早い時間だったけど夕日も。天気が良いと、きっと綺麗な夕焼けを見ることができるのでしょう。


<テラスからは日本海が見える>

<まだ早いが沈み行く夕日>

 次の予定は午後6時からということだったので、あまりにも疲れてしまった僕はベッドに横になって少々仮眠。今日は単に船と車で移動しただけなのに、異様に疲れてます。マイクロバスの中が思った以上に狭かったからだろうか。それとも気疲れしたからだろうか。一番後ろの席で、両側を先生方に挟まれていたからなあ・・・。

 6時からホテルのレセプションホールのような場所で、佐渡市をはじめとする佐渡の方々との懇談会。僕はてっきり、昨日のような普通の会議形式のものを想像していましたが、受け入れ側の佐渡の皆さんの力の入れようか、そこそこの人数が集まって学会のような雰囲気でした。最初に会場に行ったときに、場所を間違ったかと思ったくらいだから。きちんとした受付があり、所属と名前がプリントされた名札を渡され、しかも会議の名前が「環境学者との集い」。環境学者ねぇ・・・。

 今日の「集い」は、主に今日視察したことを元に、遠路遥々佐渡に来られた19名の先生(←僕含む)に佐渡側の取り組みを知っていただくということらしく、佐渡市を始め佐渡の方々がどのような政策・取り組みを行っているかについて発表するというもの。佐渡市長が来られて挨拶をされたくらいなので、佐渡側の力の入れようが分かります。僕は基本的にヒアリングメモ係でパソコンをカタカタうっていましたが、いろいろと今後の研究材料になりそうな、面白い論点をいただけたような気がします。やり方によっては、プロジェクト関連で佐渡で一つ研究ができそうという話。

 7時半からは隣の会場に移って懇親会。立食形式でした。しかしこの料理の凄さにはびっくり。サザエや海老、佐渡マグロに鯛といった海鮮から、佐渡牛のすき焼きと、これでもかといったくらい豪快で豪華な佐渡料理が並んでいます。僕の目から見ても、魚の鮮度が新鮮です。どれだけもてなされてるんだ。僕のような若輩者がいただくのは申し訳ないと思いつつも、佐渡の日本酒とともにおいしくいただきました。役得ですねえ。ありがとうございます。

 えびしんじょうのふわふわ加減とか、マグロの新鮮さとか、食べるたびに一々驚いてばかりでしたが、一番驚いたのは佐渡牛のすき焼き。脂の乗り具合がちょうどよく、いくらでも食べられます。人数に対して量が多かったので、食べ放題と言っても過言ではなく、思う存分堪能させてもらいました。こういう夕食が続くのなら、調査も悪くないけど、また太るなあ・・・。


<夕食は立食パーティー>

<サザエや海老しんじょう>

<佐渡マグロなどの新鮮な刺身>

<佐渡牛のすき焼き>

<豪快な寿し>

<つくね焼>

<鯛の昆布蒸し>

<鯛の刺身>

 佐渡の方々や今回一緒になった先生方と名刺交換をして交流し、懇談会は10時過ぎまで。その後は余ったビールと高級日本酒をいただき、最年少であるD1Y君とY大H君の部屋で飲むことに。最年少の彼らの部屋だけは、トイレもシャワーもない和室でした。やはり年下は割を受けます。

 日付が変わった頃、部屋に戻って就寝。 


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