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2006年3月18日(土) 二日目 <出雲(出雲大社、日御碕)、松江(松江城)、松江泊>
<一畑電鉄で出雲大社へ>
6時40分起床。旅先で早起きですが、あいにくの曇り空です。
ホテルの朝食は7時から8時半まで。開始すぐの7時に行ったら、既に黒山の人だかりでした。現場で働いている風のおじさんが多かった。駅からの近さと、値段の安さもあって、こういう客層になるのでしょう。普通のホテルのゆったりした朝食とは異なります。7時15分にはほとんどすっからかんになってしまったんだから。
食事の内容はオードブル形式で予想以上。朝から腹一杯いただきました。値段とサービスを考えると、この旅行中に宿泊したホテルで一番よかったのがここです。ということで名前を記しておきます。「スーパーホテル出雲市駅前」。全国的に拡大しているホテルチェーンです、東京にも池袋や赤羽にあるみたい。もし旅先で見つけたら、最後の手段として結構お勧め。
さて、8時前にホテルをチェックアウトし、目と鼻の先にあるJR出雲市駅へ。が、JRに乗るのではなく、JRの隣にある、「一畑電鉄」という私鉄に乗って、今日最初の目的地である出雲大社へ向かいます。
<近代的な一畑電鉄出雲市駅> | <年代物の電車> |
「出雲大社前」までの切符を買って、8時1分の「松江しんじ湖温泉行き」に乗車。僕ら以外は、ほぼ高校生で埋まりました。高校生の足として活躍しているようです。
一畑電鉄はかなりの風情があります。相当なローカル線なのです。電車は東京の私鉄で使われていたと思われるもののお古だし、ホームが古い。そして出雲大社へ行くために、途中の「川跡」という駅で乗り換えたときのこと。何とホームを移動するのに跨線橋がないのです。じゃあどうするのかというと、踏切がない線路を跨いでホームを移動するのでした。こういうところがローカルの醍醐味だね。他にも車窓から正体不明のビニールハウスの大群が見えたり、「ようかん」という名前の駅があったり、この私鉄は乗っているだけで楽しめます。そして8時23分、出雲大社駅到着。この駅も想像通りレトロでした。ここで手荷物を預けて、出雲大社へ。
<出雲大社>
出雲大社駅から北へ向かって5分程歩くと、大きな鳥居が見えてきます。いや〜、でかい。
<出雲大社の正門鳥居> |
でかい正門鳥居をくぐってしばらく進むと、今度は松並木が始まりました。この松並木は日本の名松百選に選ばれているという、お墨付きの名松だそうです。確かに立派です。でも所々カビが生えているところや、倒れそうなのに倒れないようにつっかえ棒をしたりしてあって、管理とそして松自身が大変そう。
松並木を進んでいくと、出雲大社の祭神である大国主命の像がありました。右下の写真です、一見すると「アラーの神よ」のポーズをとっているように見えなくもありません。しかし彼は日本の偉い神様。イスラム教であるはずがない。まぁイスラム教にしても、日本古来の宗教にしても、神の啓示を受けるときなんかは自然と両手が上がってしまうのかもしれません。
<銅の鳥居と松並木> | <祭神、大国主命(オオクニヌシノミコト> |
銅の鳥居をくぐると、拝殿が見えてきます。
<拝殿 注連縄が大きい> | <拝殿を横から> |
噂には聞いていましたが、注連縄の大きさに驚きました。もうここまできたら縄ではないね。
さっき書いたように、出雲大社にお祭りされているのは大国主命という神様。この神様が天照大神に出雲の国を譲った時に、見返りとして建てられたのが、この出雲大社だそうです。僕は神話に疎いので詳しいことは分かりませんが、天照大神より上位の神様だということからも、ここの神社の歴史と重要さはわかります。
拝殿で早速お参り。普通の神社だと「二礼・二拍手・一礼」がマナーですが、ここ出雲大社では「二礼・四拍手・一例」なのだそうです。由来は「自分の分が2回、相手の分が2回で計4回」という説が有力だそうです。ここは縁結びの神でもあるんでね。あと、縁結びの神に対しては、10円の賽銭はよくないらしいです。「重縁」になるから、と。ということで、お賽銭は5円。
拝殿でお参りして、その後は境内を散策。まだ朝も早く、ほとんど人がいなかったのはよかった。
<本殿。1744年再建。中に入れません> | <古代神殿の柱> |
現在の本殿は1744年に再建され、平凡な高さです。しかし何と古代には96m、中世には46mの高さを誇っていたと言います。何年か前に柱の遺構が見つかったというニュースがあったので、ご存知のかたもいると思いますが、当時は相当に高かったんでしょうね。できることならタイムマシーンで古代に行って、その時代の出雲大社を見てみたい。
境内を散策するうちに小雨が降りだしました。仕方なく傘を差して移動していると、何とも奇妙な集団が現れました。大型バスで来ていたので、最初は修学旅行かな?と思っていたものの、よく見ると老若男女が入り混じっています。大人はスーツ、子供は学校の制服を着て、二列になって拝殿に向かっていきます。そして、全員でリズムを合わせて参拝。拝殿で参拝が終わると、また二列になって進み、今度は本殿の前で再びリズムを合わせて参拝—。一体この集団は何なんだ?「出雲大社にお参りする会」の皆さんなのか?その異様な光景に、周りにいた数少ない観光客も驚いていました。結局正体は分からず終いだったけど、一体何だったんだろうか・・・?
一通り境内を見物し終えたので、神古殿という博物館へ。後醍醐天皇直筆の巻物があったり、古い刀があったりと、重要文化財級の宝物が多く展示されていています。残念なのは国宝級のお宝が全てレプリカだったこと。いつもなら本物が展示されているけれど、現在東京で博物展を開催中なので、本物は東京に行っているんだと。何だよ・・・。
博物館を出ると、境内にはいつのまにか多数の観光客(主にご年配)。観光バスでどっと来た団体客が増殖していました。ご年配の方(特に女性)が群れると、やかましいったらありゃしない。厳かな雰囲気で神社を散策するなんて感じではなくなります。もう来るのが少し遅かったら、このうるさ方とバッティングしていたからね。朝早い時間に訪れておいてよかった。「早起は三文の得」という諺がこれほど納得できるものだと思ったことはないなぁと思いつつ、次へ向かいます。
<日御碕>
9時55分。出雲大社前からバスに乗り、次に目指すのは日御碕(ひのみさき)。ここにある日御碕灯台は、日本で一番高く、なおかつ「世界の灯台100選」に選ばれているというので、これは行かないといけません。バスは海沿いのくねくねした崖道を進んでいき約25分、終点日御碕で下車。
日御碕に着いた時点で結構雨が強くなっていました。しかも、ここは海の側。風が強くてたまりません。しかし、そんな中、海沿いの遊歩道を進みます。せっかくここまで来たので。
最初に見えたのは、真っ赤な楼門が目を引く日御碕神社。詳しい歴史は知りませんが、徳川家光が建てたらしいです。しかしこの楼門、下鴨神社のそれと非常にそっくりです。
<日御碕神社> | <遊歩道から日御碕の港> | |
<海岸沿いは岩がごつごつ> | <ごつごつ> |
遊歩道を歩いていくと、経島という岩の島が見えてきました。それと同時に、ウミネコの鳴き声が大音量で聞こえてきました。経島を見てみると、無数のウミネコが!その密度たるや、まるで朝の中央線上りのようです。しかも鳴き声がすごい。何でも経島はウミネコの繁殖地として有名らしいのですが、僕は何も知らなかったので本当に驚きました。
<経島> | <もうちょっとアップで。白いのがウミネコ> |
ウミネコに驚きつつ、遊歩道を更に先へ。もうここまで来たら、雨交じりの風が気持ちいいです。。途中、焼サザエや焼イカを売っている店もあったのですが、ことごとくパス。焼サザエ3個500円はやっぱり高いと思うね。実家に帰ればタダで食べられるものに金を出すなんて、そんなことはできませんぜ。とは言いつつも、やっぱりサザエうまそうだな・・・とか考えていると、目の前に白い建物が。おぉ、あれが日御碕灯台か。
<世界の灯台百選 日御碕灯台> |
日御碕灯台は上ることができるので、入場料150円を払って早速上ります。灯台の中は狭いので、階段は全て螺旋階段。内部は所々ギャラリーになっていて、日本にある灯台の写真や海上保安庁の情報が貼られていたりします。それにしても螺旋階段が長くて疲れます。喘息と診断される前の僕だったら、絶対発作が出ていたというくらい長いです。さすがに日本一の高さを誇る灯台だな・・・と思ってギャラリーを見ると、
「日御碕灯台、日本で一番高い灯台(*石造りでは)です。」
というポスターがあるじゃありませんか。何、その注釈は。注釈つけて一位なのかよ。ということで、ちょっとがっかりしたけど、世界の灯台100選には違いないし、気を取り直して上り続けました。5分くらい階段を上り続けると、ようやく頂上へ。
あいにくの天気だったので眺めは今ひとつでしたが、日御碕が一望できる眺めは素晴らしい。晴れてたらさぞ夕日が美しいことでしょう。
<灯台の光源> | <灯台からの景色> |
日御碕灯台を降り、隣にあった無料の展示室のようなところを見学していると、またしてもやってきましたご年配の団体さん。上る・上らないで大声で揉めています。僕は上らないほうがいいと思いますよ、結構きついから。まぁ、この団体さんが来る前に上っておいてよかったよ。
出雲大社に戻るバスの時間も考えて、遊歩道を引き返しました。経島の近くを通るとウミネコの鳴き声がやっぱりすごい。灯台と経島。この二つがあるだけでも、また晴れた日に来てみたいと思います。11時39分のバスに乗り、再び出雲大社へ。
<出雲名物「割り子そば」を食べる>
出雲大社のバス停で降りると、ちょうど正午。昼食を食べることにしました。昼食は、出雲といえば割り子そば。ということで、バスターミナル近くにある「八雲」という店へ。
僕は五色の割り子そば(トッピングあり)を、すのノーマルな三枚そば(トッピングなし)を注文。スタンダードは三枚らしいですが、腹が減っていたので五枚を頼んでしまいました。
しばらくして割り子そばが到着。「五色そば」は、そばの上に5種類のトッピングが乗っています。大根おろし・鰹節・天かす。生卵・とろろの五種類。それに、そばつゆを適量かけていただというのが割り子そば。そばつゆは鰹のだしがたっぷりと出ていて、普段食べているつゆよりも少し甘めです。そばはちょっと黒っぽいですが、これはそばの皮も同時に挽いているためらしいです。ざらざらとした感触が結構うまい。
5種類の中でおいしかったのが、とろろ。とろろとそばとつゆの絡み具合が絶妙でした。やっぱりそばにとろろは合うね。あとは生卵。そばがマイルドになります。五色を平らげ、最後にそば湯もいただき、満足した昼食でした。
ちなみに値段の方は、ノーマルな三枚の割り子そばが630円とお手ごろなのに対し、僕が食べた五色の割り子そば1470円しました。倍以上と結構高めです。
<五色の割り子そば> |
<旧大社駅>
そばで満足し、バスターミナル前にあった島根物産品売り場を眺めた後、歩いて旧大社駅へ。近いかな、と思っていたら、歩いて20分近くかかってしまいました。
<国鉄・JR 旧大社駅> |
旧大社駅は1990年(平成2年)に大社線が廃止になるまで現役だった駅。廃線になったのはたった16年前のことなんですね。昔は神道のお偉方や皇族が出雲大社に参拝する際にも使われた、由緒正しき駅だそうで、それは駅舎の荘厳さからも見て取れます。戦前・戦後を通して、東京や大阪直通の特急列車が走っていたというのだから、出雲大社がどれほど重要視されていたかというのが分かるというもの。
そんな大社線ですが、利用客激減によって1990年に廃線になってしまいました。確かに出雲大社までは歩くと結構な距離があるし、一畑電鉄の出雲大社駅のほうが便利です。惜しまれつつ廃止になった大社線ですが、大社駅だけは当時の姿のまま残されているというので訪れてみたわけです。廃線という古めかしい響きが好きなのです。
<改札。上の時刻表が時代を感じさせる> | <駅車内も立派に保存されています> | |
<歴史ある駅表示> | <気分はスタンド・バイ・ミー(?)> |
駅舎の外観だけが保存されているのかと思ったら、内部もホームも線路も当時のままに保存されていて驚きました。この感じ、いいですね。思わず廃線の上を歩いてしまったよ。似非スタンド・バイ・ミーです。
<松江へ>
再び一畑電鉄の出雲大社駅へ。14時01分の電車に乗り、次の目的地&今日の宿泊地である松江へ向かいます。
<松江へ> | <ようかん駅> |
途中乗ってきたのも、朝と同じくやはり高校生でした。何でこのローカル線がなくならないかと言えば、やっぱりこの高校生の存在が大きいのかもしれません。土曜日なのにこれだけの人数が乗ってきたということは、平日はもっとすごいに違いない。
出雲と松江の間にはあの宍道湖があって、宍道湖の南側をJRが、北側を一畑電鉄がそれぞれ通っています。せっかく旅に来たのだから、JRよりももっとローカルな私鉄に乗ってみようという気持ちがむくむくと湧いて、それで一畑電鉄に乗りました。あと、一畑電鉄の駅に、日本一長い駅名を持つ駅があるというのも、乗ってみようと思った理由です。
宍道湖の側を通ることは通るのですが、あいにくの雨でよく見えません。天気がよかったら対岸も見えるんだろうけど、今日は空と湖の境すらはっきりと分かりません。宍道湖の風景を楽しみにしていただけに残念です。風景が見られないなら松江まで寝ておけばよかったのですが、これが座席が熱くて寝られません。。暖房はそんな効いていないのに、足元のヒーターが異様に効いているのです。これはもう我慢との戦いだったけど、何度火傷しそうになったことか。。もうちょっと弱くしてちょうだい!と文句を言いたかったんだけど、ワンマン運転なのでそうもいかず。。
終点である「松江しんじ湖」温泉の一駅前、そこが「日本一長い駅名」の「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」駅です。確かに長いです。でも何てことない、ただの駅でした。電車内でのアナウンスでも、「次は〜、ティファニー庭園美術館前〜」としか言わないし。もっと「この駅は日本一長い駅名で有名です」とか言ってくれればいいのに。
聞いた話ですが、この駅が生まれる前に日本一長い駅名だった、熊本の「南阿蘇水の生まれる里」駅と、今でも熾烈な言い争いをしているらしいです。「『ルイス・C』の『・』まで文字数に含めるのは卑怯だ!」とか何とか。確かに「・」は読まないもんねぇ。個人的にどうでも・・・(以下略)
15時2分。出雲大社から約1時間で終点「松江しんじ湖温泉」駅に到着。
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今日の宿は駅前の「東横イン」。何かと世間を騒がしているホテルですが、安いので泊まります。安ければ多少のことはいいのです。東横インはJR松江駅前なので、一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅からは少々歩かなければいけません。
雨の降る中、宍道湖大橋を渡ります。松江の代表的ビュースポットと言っても過言ではない宍道湖ですが、今日は本当にだめです。見えません。夕日を見るのを楽しみにしていたんだけどなぁ・・・残念だけど、夕日はまた次の機会に。
<宍道湖の様子を表す電光掲示板> | <宍道湖大橋から宍道湖・・・見えない> |
歩いて20分、ようやく東横インへ到着しました。フロントでチェックインして荷物を預かってもらい、再び外出。
<松江城>
時間も時間だったので、とりあえず松江城へ。歩くと時間のロスが大きいので、市営の観光ループバスを使うことにしました。一回乗車でどこまで行っても200円。こういう観光客を意識したバスというのは、どうしてこんなに鮮やかな色なのでしょうか?僕は恥ずかしくてたまりません。
<市営の観光ループバス> | <バスの中はメルヘンチック> |
松江城に到着。てくてくと石段を登ってくと、松江城天守閣が姿を現しました。
<松江城> |
松江城は、建設当時の姿のまま残る全国12城のうちの一つです。ちなみにその中で国宝に指定されているのは姫路城・彦根城・松本城・犬山城の四つ。さらに世界遺産に登録されているのが姫路城。松江城は残念ながら国宝ではありませんが、それでも全国12城なので、大変学術的・文化的価値のある城であるはずです。外から見ると5層ですが、石垣の部分が地下になっていて、内部は6層ということになります。
武家屋敷・小泉八雲記念館との共通入場券920円を購入して、松江城内部へ。内部は松江のお殿様であった松平家代々の遺品が展示されています。そして最上階へ。最上階からの眺めはお見事!雨が降っていてもそれなりによい景色でした。昔松江のお殿様は、ここから自分の領地を眺めて「うんうん」と頷いたに違いない。ここは今まで行った城の中でもトップクラスでいい城でした。
<天守閣から松江市街> | <同じく市街地を眺める> |
<物産と夕食>
天守からの眺めに見入っていたら、いつの間にか閉館時間の5時となりました。どこからともなく蛍の光が聞こえてきます。急かされるようにして外へ。
時刻は5時過ぎ。夕食の時間にはちょっと早い。でもほとんどの観光施設は5時で閉まっている。さて、どうしようか・・・と松江城の周りを歩いていると、「島根ふるさと館」という建物が見つかりました。おぉ、これは島根県の物産品館。是非とも入って名物があれば購入しよう。
ふるさと館は1階が名産品売り場、2階が島根県の各市町村の情報展示コーナーとなっていました。まずは1階で名物を物色。島根では「あごのやき」という、トビウオのすり身をちくわのように焼いたものが有名で、ちょっと試食してみました。う〜ん、これは「ちくわのよう」というか「ちくわそのもの」だな。。あとは和菓子が有名な松江。「山川」という有名な落雁風菓子を試食したのですが、どうにも湿気ていてげんなり。と思ったら、あとで調べてみると山川は最初から湿気ている、そういうお菓子なのだそうです。こりゃまた失敬しました。他にも宍道湖で取れるシジミを使った商品や、ちょっと変な商品まで多数。
<蜆あめ 味はいかに???> | <牛のふんふんクッキー> |
個人的に面白かったのは、1階よりも2階。2階は各市町村の解説と名産品が並べられていて、手際よく島根県の勉強ができます。島根県も結構市町村合併が激しいんだねぇ。
ふるさと館の営業は6時までらしく、2階を見物していたらまたもや蛍の光が聞こえてきました。本日二度目です。はいはい、早く出ますよ。その前に、1階で島根の地酒とあご串を購入。宿でのつまみにします。
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外もかなり暮れてきました。夕食です。あーでもない、こーでもないといいながら、迷った挙句、途中で見つけた居酒屋に入ることにしました。店はせまかったものの、おでんや刺身がおいしかった。そして忘れてならないのが、松江名物「しじみ汁」。しじみのちょっと苦い出汁が出ていて、体が暖まる・・・。
<しじみ汁> |
とまぁ料理はおいしかったのですが、この居酒屋に来ているお客さんが面白かった。いや、面白かったって言ったら失礼なのだけど、とにかく小さな居酒屋で、カウンターには同伴出勤と思しき方もいらっしゃるのです。一人でちびちびと飲んでいる常連さんもいらっしゃるのです。そしてほとんどの方がツケにしているのです。何だか来るところ間違ったかなぁとも思ったのですが、料理がおいしかったのでよしとしましょう。
帰りはホテルまで歩いて帰り、明日も早いこともあって早めの就寝。明日は境港へ向かいます。
<夜の宍道湖大橋> |
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