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上海・嘉興調査 3  
2009年9月16日(水) 三日目   <上海(虹口地区散策、下水処理施設見学、上海・杭州料理)>


<日本租界があった虹口地区>

 本日の予定は午後からで、午前中はフリータイム。せっかくなので有志で観光でもしようということになっていました。集合は朝10時にロビー。しかし、朝目覚めて時計を見ると何と時刻は9時53分!同室のK君ともども、ぎりぎりの時間まで寝てしまいました。先生方もいるというのに、遅刻してはまずいので、本当に急いで5分でロビーへ。こういうとき、化粧や準備が必要な女性ではなくて本当によかったと思います。

 言い訳をすると朝10時(日本時間にすれば朝11時)まで惰眠をむさぼっていたわけではなく、前夜のすっぽんでカッカして寝られなかったのと、それならついでに議事録メモの手入れをしようとパソコンに向かっていたらいつの間にか朝4時半になっていて、それから寝たので寝過ごしそうになっただけです。決して10時間も寝たわけではありません。

 というわけで何とか10時間に合い、総勢6人で上海駅へ。当初は上海随一の観光スポットである豫園(よえん)に行こうかという話でしたが、あまり時間がないのでホテルから近い虹口地区に予定変更。虹口地区は戦中頃最大で10万人の日本人が住んでいた日本租界だった場所だそうです。さらに晩年の魯迅が過ごした場所としても有名らしい。


<上海地下鉄3号線>
 
<地下鉄だけど地上鉄>

 地下鉄3号線上海駅から2駅の東宝興駅で下車。駅前は静かな住宅街と言った感じで、庶民の生活が垣間見れる一角になっています。電線から紐を吊るして、そこに洗濯物を干すという、かなりアクロバティックな家もありましたが、どう考えても効率が悪い気がしてなりません。というかあの高い位置にどうやって干したんだろうか。中国は基本的に女性物の下着でもお構いなく外に干してあるので、目のやり場に困ります。


<生活感あふれる街>
 
<アクロバティックな干し方>

 生活感あふれる通りを抜けると、急にお洒落な街並みになりました。ここは多倫路文化名人街。1920年代から30年代にかけて、多くの文化人が暮らしたエリアだそうです。明治から昭和初期あたりにかけて作られた洋館群が多く、さっきまでの庶民的な通りと比べるとかなりお洒落な感じです。道もきれいでいかにも観光地、という感じ。地元の花嫁さんらしき人が、ドレスを着て写真撮影するような場所なので、中国の人にとってもお洒落な街ということなのでしょう。


<多倫路文化名人街>
 
<多倫路の入り口に当たる門>

<古い洋風建築>

<エキゾチックな教会>

 多倫路文化名人街には文化人の銅像がそこかしこに立っています。しかし中国では有名かもしれない人達でも、日本人である僕には誰が誰だか全く分かりません。文化的素養がなくて残念。多分、日本でいうところの徳富蘇峰とか滝廉太郎とかいうレベルの人達だとは思いますが・・・。

 

 多倫路名人文化街のメインストリートには古い集合住宅があり、そこを見るのを楽しみにしていました。が、またしても絶賛改修中のようで、全面竹の足組みに覆われています。外灘に続いてまたも工事中とは・・・。上海万博め。

 

 多倫路文化名人街を抜けて少し歩くと、古い集合住宅が続く一角に。その辺りには魯迅を初め中国の作家と交流を持った内山完造の「旧内山書店」があり、現在では中国工商銀行として使われています。


<古い集合住宅入り口>
 
<旧内山書店>

 さらに進むと日本の長屋の集合住宅地のような場所になり、その一角に魯迅旧居が。この辺りの長屋アパートは1930年代に日本企業(多分三菱)の手によって建てられたようで、当時はたくさんの日本人が住んでいたのだろうと思います。魯迅も内山完造の紹介でここのアパートに移り住み、1932年から生涯を終える1936年までを過ごしたようです。


<魯迅が晩年を過ごしたアパートの一角>
 
<魯迅が過ごしたアパート>

 せっかくなので8元払って中を見学。魯迅が過ごした部屋とか、魯迅の息子の部屋とか、魯迅が亡くなったベッドとか、ほぼ当時のままで再現されていました。ちなみに係員に「ノーフォト」と言われたので写真はなし。係員はたどたどしい日本語で解説してくれますが、こちらの質問する日本語は分からないようで、質問と答えが完全にずれていました。

 最後は近くにある魯迅公園へ。生前の魯迅がよく散歩をした場所だそうです。都市型公園といった趣で、広場では中年中国人の皆さんが社交ダンスに勤しんでいます。これが朝だったら太極拳ということになるんだろうけど。この公園には魯迅の墓があるということでしたが、距離が結構ありそうだったので諦めて帰ることにしました。魯迅と言えば中学三年生の時に国語でやった「故郷」しか知りませんが、他にもいろいろ読んでみたいもんだと思います。こういうところにくるとそういう欲求が出てくるから困る。


<魯迅公園>
 
<魯迅記念館>

<魯迅公園で社交ダンスを踊る人>

<魯迅公園の橋と蓮>

 帰りは魯迅公園のそばにある「虹口足球場」駅から。「足球場」とはサッカースタジアムで、上海でもサッカーは人気があるそうです。虹口足球場駅はまだ新しいのか中国らしからぬ綺麗さで、多摩ニュータウンの駅のような感じがします。中国の地下鉄は次の電車が次とその次の何分何秒でl来るのか、モニターで知らせてくれるのがありがたい。


<地下鉄三号線の高架>
 
<虹口足球場>

<遠くに高層ビル群が見える>

<虹口足球場駅>

 再び上海駅へ。初日にFさんから「上海駅周辺は危険」と聞かされて、最初は近付くのも恐る恐るでしたが、二日連続で地下鉄を使ううちに段々と慣れてきました。人間の慣れというものは恐ろしい。昼食は駅近くの「李先生」というファーストフード店で。麺類のファーストフード店のようで、中国全土に380店あるそうです。テーブルくるくるの高級中華に若干飽きていたので、こういう庶民的な食べ物は気分転換になります。

 僕とNC総研のIさんが牛筋麺(22元)で、他のみなさんは加州牛肉麺(15元)や香辛牛肉麺(15元)。加州というのはカリフォルニア州のことのようです。あっさりとした味でするするといけました。日本のラーメンと違って、汁に対して麺の割合が多く、ぱっと見だと伸びている麺のようにも見えます。薄味もおいしいとはおいしいですが、ラー油を入れると味が引き締まってよりおいしいです。やっぱり昼食ぐらいだとこういうのがいいねぇ。ただ一緒に頼んだオレンジジュースはこれまた激甘で困りました。どうして普通の水もしくは無糖のお茶がないのだろか。


<上海駅に戻ってきた>
 
<上海駅前の人だかり>

<李先生>

<特製牛筋麺(220元)>

 こうして3時間半の観光を終え、1時半にホテルに戻って一旦休憩。朝シャワーを浴びる間もなく出てきたので、シャワーを浴びたりネットに接続したり少し横になったりしていたら既に3時前でした。時間が経つのが早い。。

<下水処理施設見学>

 午後は上海の下水処理施設を見学する予定になっており、3時にロビー集合。ややごたごたしつつ、貸切マイクロバスに乗って上海駅近くにある下水処理施設へ。そこで案内されたのは博物館のような、二階建の展示室でした。中は意外と綺麗で、上海を横切る蘇州河の歴史と汚染状況、浄化作戦などが良く分かるようになっています。上海の河川汚染は70年代くらいからかと思っていましたが、既に1920年代には汚染がひどかったとのこと。


<展示館>
 
<意外と最新式の展示室内部>

<20世紀頭には綺麗だった川の水が>

<1920年代でこの黒さ>

 日本の展示館に負けず劣らずの綺麗な展示で、モニタールームで大掛かりな蘇州河の歴史と汚染・再生の歴史を見ましたが、何というか、「私たちは未来に向けてこんなに頑張っています」という共産主義お得意のプロパガンダに思えてなりませんでした。恐らく、日本側の訪問者としては河川被害の状況と、それによって住民が被った健康被害を知りたかったと思うのですが、そういう記述はほとんど出てきません。絶対に水俣病のような健康被害が起きているはずなんだけどなあ・・・。よく言えば未来志向、悪く言えば臭いものには蓋をするということで、真相は藪の中です。中国っぽいと言えば中国っぽいですが。


<上海の街は水路が多い>
 
<日本人でも理解できる>

<二人ともこの辺の出身>

<下水処理施設模型>

 展示室の後は実際に蘇州河沿いを見物。下水処理によって川の水はかなり綺麗になったそうですが、それでも僕の見た目ではかなり汚い川のように見えました。豪雨の後みたいな色をしています。それでも随分きれいになったそうで、以前は臭くてどうしようもならなかったらしい。川沿いにマンションが立っていますが、以前は川からの悪臭のために人気が出ず、再生事業が始まってから一気に部屋の値段が跳ね上がったそうです。一坪20万元だったかな?上海の富裕層が住むマンションらしい。今の僕じゃあ手が出ない。


<蘇州河と高級マンション>
 
<川の色は正直あまりきれいではない>

 この後はいよいよ下水処理施設の見学・・・と思っていたら、それはないそうで、何か肩すかしをくらった気分になりました。うーん、実際にそこを見たかったんだけれども。中国では見学は厳しいので、仕方がないことなのかもしれません。一応上下水道に関しては昔勉強したことがあるので、行政面も含めて日本との比較をしたかったのだけど。中国研究はこの辺が難しい。

 6時前にホテルに戻り、一旦休憩のあと再びバスに乗って夕食会場へ。今日は南京西路にある「蘇浙匯 黄浦店」という上海料理+杭州料理(多分)の店でしたが、店のフロントからして中国らしからぬシックな雰囲気でした。そして案の定優雅な個室へ。今回の上海での食事のコーディネートは全て留学生のFさんによるものですが、さすがにセレブリティなだけあってよい店を御存じです。というか、日を追うに連れて店のランクが上がってきているような気がします。この店は高級っぽい割にはカジュアルで割と安いのが売りだそうですが、こう言うのを見ると上海での格差は日本のそれとは比較にならないほどあるんだろうなぁと思ってしまいます。


<中国らしからぬシックさ>
 
<高級っぽいですねぇ>

 卍先生が薬を飲むために水を注文すると、330mlのエビアンが出てきました。中国ではエビアンは出回ってないので、この店が独自に輸入しているそうです。そういうこともあってか、お値段何と25元(約375円)!日本の3倍もするじゃないか・・・。全然「割と安い」じゃないぞ。ビールは輸入物で、一本18元。これも中国の一般的な店に比べれば高い方だと思いますが、水には参りました。卍先生は「ビールで薬を飲むのはちょっと・・・」ということで水を頼まれたそうですが、エビアンで薬を飲んで「よし、飲んだ!」とおっしゃり、そのまますぐビールを口に運んでおられて、それだったらビールで薬を飲んでもあまり変わらないんじゃないかと・・・。

 料理も日を追うごとに量が増えているような気がします。なので簡潔に。A2は一見アワビのように見えますが、これは大豆で作ったアワビもどきです。味もアワビそっくりで、何人かが本物のアワビと間違えていました。本物のアワビは中国でも高いので、こういうのはありがたい。C2は昨日も出てきた茹でむき海老。中国人はエビが好きらしい。A5はこの店の名物という鴨肉の燻製。若干癖がありましたが、噛めば噛むほど味が出てきて、饅頭と一緒に食べるとおいしいです。A6は恐らくフカヒレのスープ。あっさりしていておいしかった。一般的に上海料理は味が濃いですが、ここの料理は割とあっさりした味付けで、疲れた胃には助かりました。でも、量が多いので食べ過ぎた。

ABC
1
2
3
4
5
6

 でも本当に割とリーズナブルだったらしく、ビールや紹興酒を飲んで一人当たり2000円ちょっと。確かに高級な割にリーズナブル。今後上海で用事があったら、この店で接待しよう。

 食後は一昨日も歩いた南京西路から南京東路を散策。雨がポツポツと降りだしましたが、繁華街の夜景は綺麗です。

 

 なかなかタクシーがつかまらなくて大変でしたが、何とか捕まえてホテルに戻り、シャワーも浴びずに就寝。


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