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東京見聞録
2005年3月12日() 二日目 <フェリーで与那国へ、祖納集落散策>


<日本の最西端 与那国島へ 時々

 今日はいよいよ日本の最西端である与那国島へ向かいます。与那国へは石垣からフェリーで約4時間。130キロの道のりです。与那国島も八重山諸島のうちの一つとなってはいるものの、他の島と比べてひとつぽつんと離れているところにあります。距離で例えるなら石垣西表間は東京横浜間くらい、石垣与那国間は東京静岡間くらいです。そのくらい離れています。そして他の八重山諸島とあまりに離れているので、与那国島だけで一つの独立した「与那国町」を形成しているのです。

 朝8時に起きて、2月にも朝食を食べたところで同じ八重山そばを食べ、フェリー乗り場へ。与那国行きのフェリーは離島桟橋から少し離れたところにありました。


<与那国行きフェリー よなくに>

 与那国行きのフェリーは週二便しかありません。それに対して石垣与那国間の飛行機は毎日飛んでいます。ただ飛行機で行くと片道1万円近くかかってしまうので負担が大きい。そこで日程を合わせてフェリーで行くことにしました。が、これが恐怖の始まりだったのです・・・。

 フェリーは10時発、2時着の予定です。乗船券を買ってフェリーに乗り込むと、中には普通のカーペットの席の他に寝台席が。日中のわずか4時間しか運行しないのに、何故?と、この時点では思ってました。まだ寝台が空いていたのでとりあえず場所を確保しておいたのですが、寝台がある意味が後々わかることになります。

 10時前、定刻より早めに出航。最初のうちはデッキに出て遠ざかりゆく石垣島を眺めていました。が、この日の気温は13度。しかも風が強く今にも雨が降りそうな天気。石垣がそれなりに遠くなったところで寝台に戻って休むことにしました。


<波をかき分けて進むフェリー>
 
<フェリーの乗船券>

 寝台に戻って横になっていると、突然激しい揺れが。何というか、今まで経験したことのないような揺れが始まったのです。僕は生物をやってないんだけど、生物で言うなら船が「八の字ダンス」(確かそういうのあるよ?ね)を踊っている感じ。寝台は2段になっていて、僕は上の段で寝ていたんだけど、何度も寝台から振り落とされそうになるし、体が中に浮いて天井にぶつかりそうになるわでもう大変。腕をつっかえ棒のようにして体を壁に固定していないとどうしようもならないのです。。寝てるのに体に力を入れて必死こいて落とされるのを防ごうとするから、疲れることこの上ありません。寝てたのに体力を使ってしまいました。

 石垣島近くの、八重山の島々が密集している近辺の海は「内海」と言って非常に穏やかです。ところが一歩外に出ると「外海」となり、波が急激に高くなります。与那国に行くにはどうしてもこの外海を通らなければなりません。そして今日は風が強いというかなりの悪天候。

 こんな調子だから船酔いしないはずがない。そういえば出航前に船員さんが各寝台にの下段のところに洗面器を配っていたので何なんだろうと思ってはいたのですが、こういうことだったのか・・・。汚い話ですが、僕は幸いにもリバースには至らなかったものの、他のおじさんとかが膨らませた口を手で押えながらトイレに駆け込むのを見ていると、こっちまで気分が悪くなってしまいました。何度もからゲップが出てきて、ひやひや。でも何とかリバースはしなかった。よく頑張った、おれ。

 とまぁこんな調子で4時間以上。嵐のせいで船は遅れ、ようやく与那国に到着したのは定刻より1時間半以上も遅れて3時半過ぎ。着いた時には「万歳〜」と叫びたくなりました。ほんと生きててよかった・・・。ちなみにすのさんはそんなに酔わなかったそうな。あれだけの揺れで何ともないなんて、本当にうらやましい限りです。

 与那国島の別名は「どなん」と言いますが、これは「渡難」というところから来ているそうです。つまり、与那国に渡るのは難しい、と。今回はそれを身をもって体感したのでした。

<与那国到着>

 ようやく日本最西端の島、与那国島へ到着。しかしさっきまでの船酔いでそれどころではありません。与那国の地に降り立っても、まだ揺れているような感じがします。ていうか与那国は暴風です。

 今日、明日と泊まる民宿の人が迎えに来てくれていて、早速車に乗り込みます。フェリーが着いた久部良(くぶら)という集落から、民宿がある祖納(そない)という集落までは約5キロあり、車で迎えに来てくれることになっていたのです。車に乗り込んで宿の人に話を聞くと、今日はさすがにフェリーは欠航すると思ってた、とのこと。地元の人がそこまで思うくらい、今日の海の状態はひどかったみたいでした。全く、大変な時に来てしまったものだ。。

 今日、明日と泊まる宿は「さきはら荘」という民宿です。さきはら荘は与那国町役場のすぐ裏手という、町の中心部にあります。何でもすのさんのお兄さんが昔泊まったことがあるらしく、すごく感じが良かったとのことなので泊まることにしたのです。ただ今はヘルパーさんが誰もいないらしく、奥さんが一人で全てを切り盛りしているということでした。だから今回は夕食が出ません。そりゃ全て一人でしないといけないとなると大変ですよね。

 宿について一息ついてから、与那国見物へ。といっても4時を過ぎていたので、祖納の集落を見て回ることにしました。小雨がぽつぽつと降ってはいたけど、周ってきました。


<与那国水道管理センター>

 水道管理センターの壁を見て後で向かったのは与那国民族資料館。資料館というと普通は大きな建物があって・・・などとイメージしますが、ここはおばあさんが一人で切り盛りしている小さな資料館です。しかも入館料100円で、一つ一つの物、事について、そのおばあさん−池間苗さんが詳しく説明してくれます。御年85歳だというのに、1時間以上も立ちっぱなしで一つ一つ丁寧に説明してくれました。

 女学校時代に台湾に何度も渡った話、祖納のナンタ浜が縮小していった話、戦後になって与那国の人がどんどんと減っていった話、自分の子供の頃の生活の話、などなどなど・・・。正直な話、行く前は大したことを期待してなかったんだけど、色々な話を聞くことができて本当にいいところでした。資料館の開館時間は5時までなのに、4時半に入って全部説明を聞き終わったのは5時半。わざわざ延長までして説明してくれました。ありがたやありがたや。ここはお勧めですよ。


<与那国の昔のゆりかご>
 
<展示品の数々>

 資料館のあとは一旦宿に戻って夕食へ。の前に、宿の奥さんと話をすると、すのさんが「前に兄が泊まったことがある」と言うと奥さんも覚えていたらしく、喜んでいました。

 夕食は近くにある居酒屋「女酋長」でとることにしました。では以下で食べたものの写真をどうぞ。 


<イカスミのそうめんちゃんぷるー>
 
<ラフテー(豚の三枚肉の角煮)>

<渡り蟹の唐揚げと泡盛(どなん30度)1合>

 夕食をおいしく食べて8時ごろ宿に戻ると、宿の奥さんから「折角だから泡盛でも飲みませんか?」と。嬉しいですね。泡盛を何杯か頂いて話をしているうちに、ぞくぞくと宿泊客の皆さんが帰ってきました。で、みんなで泡盛を飲む。与那国に20年間通っている人、会社の休みを利用して一泊だけで与那国に来た人、夫婦で来た人・・・。色々な人がいます。民宿に泊まるっていうのはこういうのがあるからいいですね。

 そういえば今日のフェリーで一緒に来た人は、カーペットの方の部屋にいたらしく、部屋の端から端まで飛ばされた、と言っていました。そして嘔吐していた人が多かったと。やっぱり寝台に寝てて正解だった・・・。。

 ということで楽しい宴会も酒がなくなったので11時でお開き。明日は与那国一周観光に出かけます。


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