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くるくるバスの成功と将来を考える
コミュニティバスの運営に必要なバランス感覚

住吉台団地

写真は2005年4〜8月撮影

【ご案内】くるくるバスについての経緯やルポについては、ルポの 「悲願は急坂を越えた〜神戸くるくるバス」 をご覧下さい。


神戸市東灘区でスタートした「くるくるバス」は、住民、NPO主導による「手作り」感覚と、公的な金銭的支援を受けていないということから注目を集めています。
その経緯及び現状については別稿のルポとしてまとめた通りですが、ここでは論説編としてくるくるバスを考えて見たいと思います。


●注目を浴びるくるくるバス
くるくるバスの運行主体は、住民、NPO,事業者、行政の協働を謳う「東灘交通市民会議」です。
とはいえその運行開始の経緯から、住民及びNPOの働きが大きいことは衆目の一致するところであり、行政の福祉対策、地域活性化対策などでスタートしている他の地域のコミュニティバスとは一線を画するものであることは確かであり、ゆえに全国から「手作り」のコミュニティバスとして注目を集めています。

しかし、ここで注意したいのは、住民の熱意、努力だけではバスは走らないと言うことです。
つまり、くるくるバスは利用を順調に伸ばしているとはいえ、採算ラインギリギリ、直近までは採算割れの運営であることは事実であり、採算が取れない事業が継続しているからには、採算割れの部分を誰かがサポートしていることになるからです。
もちろんくるくるバスの場合は採算ラインまであと一歩のところまで漕ぎ着けており、採算ラインのクリアは確実視されていますが、一方でこの先のサービス拡充と言った展開を考えると再び採算ラインが遠のくケースも考えられるわけで、事業としてのセンスが求められます。


●求められる「事業者」としての自覚
住民主導、NPO主導という言葉には、福祉的な響きや、各種サービスの受益者サイドの正当な要求という印象を受けます。しかし、一方ではそれは「ライバル」が存在する「営利事業」という側面があり、ライバル事業者との調整が必要になります。
くるくるバスの場合も、住吉台住民の声を背景にしている反面、これまで市バス渦森橋や赤塚橋のユーザーだったことから、既存市バス路線の乗客を奪う存在に他なりませんし、JR住吉駅の停留所を設置するにあたり、既存事業者である神戸市交通局、阪神電鉄、神戸フェリーバスとの調整に時間がかかり、結果として社会実験中とは逆に駅出口から一番遠い場所を確保することになっています。

JR住吉バス停
手前の屋根付きは市バスと阪神バス
少し置いて神戸フェリーバス
くるくるバスはバスが停車しているあたり
森橋の市バスバス停(渦森台からの山下り)
この先を右手に入ると300段階段がある


運輸業界においても事業者がビジネスチャンスと見て参入するケース(杉並区の京王バス、関東バス松ノ木線)もあるわけで、住民だからといってもコンペティターとして扱うべきケースになることもあります。
この点については見落しがちな話ですが、住民、NPOだからといっても無条件で通るものではないわけです。例えばくるくるバスの社会実験の受託者であるCS神戸は、1999年から神戸市社会福祉協議会から委託を受けて店舗運営をしてきた「神戸ふれあい工房」につき、 委託先公募で選に漏れて 2003年度限りで運営から手を引いていますが、このようにNPOといえども「事業者」として「洗礼」を受けることもあるのです。


●採算を巡る問題
採算が取れない以上、誰かがその損を被ることになります。
くるくるバスの場合、行政からの財政的支援は現時点では受けていませんし、住民や利用者が出融資を行ったと言う話も聞きません。また、財政支援を選定とした福祉路線ではなく、あくまで事業として成立させることを目的としています。
しかしながら採算割れに甘んじている現状、結局は受託者であるみなと観光バスが被っている格好になるのですが、採算の問題、と言う事業における最重要課題に対してどういう備えを取っているのでしょうか。

この点については神戸市TDM研究会で、赤字になった場合についての質問に対する 東灘交通市民会議の座長の答弁 を見ますと、「良き交通事業者」の存在を挙げ、みなと観光バスが赤字でも2年程度は事業を継続すると言うことと、黒字化を確信しているということを挙げ、赤字が恒常化する可能性の低さを前提にした事業であることを示したうえで、赤字になった場合には皆で解決策を考えていく、という対応を述べています。

もちろん足下は採算ギリギリとはいえ、これまでの傾向を考えると黒字化が確実である以上、こうした懸念は杞憂に過ぎないとも言えますが、スキームとしての赤字回避策や赤字補填策をもっていないということも事実です。行政による財政支援スキームがないということは、みなと観光が赤字を負担することを意味しますが、私企業であるみなと観光がどこまで赤字を容認出来るのか、そういう面への目配りがなされているのかと言う問題があります。


●みなと観光と言う事業者の功績もまた大きい
黒字化を確信しているとはいえ、当初の赤字を容認してまで先行投資する事業者はなかなかいないものです。その意味で手近にそういう「フロンティア企業」がいたということは、このプロジェクトが成功する大きな鍵になっています。

岡本−六甲アイランド線のみなと観光バス

ただ、これも時の利というか、絶妙なタイミングであったことも事実です。
単独運行の阪急岡本駅南−六甲アイランドに続き、新神戸駅−三宮−六甲アイランドの路線を日交シティバスと共通運行するなど業務拡張期にあった同社ですが、マイクロバス中心のラインナップが災いし、新神戸線で積み残しを出してしまい、相対的に大きい車両を用いる日交便に客が流れがちだったようです。

そこで小型ながら路線バス仕様の車両を投入して巻き返しを図っており、余剰となった小型車両の活用が問題になったことは想像に難くありませんし、だからこそくるくるバス単独での採算に関して寛容な姿勢が取れるとも想像出来ます。

神戸ベイシェラトンを出る新神戸線の路線車日交シティバスのサブローバス

また、「本土」側は市バスの縄張りであり、参入は難しかったところへの社会実験というのは同社にとってはまさに渡りに船だったのでしょうし、こうした様々な条件が重なったことが「良き交通事業者」の登場につながったのだと考えます。


●しかし手柄は誰のものでもない
結局、くるくるバスの「成功」とは、当たり前のことですが関係者の協働の賜物であり、誰彼の手柄と特定出来るものではありません。
その意味では社会実験当時には、今はいませんがバスに便乗し、また、停留所で寒風に吹かれながら案内に努めていた各大学からのボランティアがいたように、誰彼が作り上げたと簡単に割り切れるものではありません。

バス関係の研究や実践活動で有名な名古屋大学の加藤博和助教授は、その サイト に収録されているプレゼンテーション資料「規制緩和に対応した地域公共交通網維持の秘訣とは?」の中で、自治体、運行者、住民、専門家の「四位一体」のパートナーシップとバランスが肝心と述べています。

利用する側の住民とそれをサポートし、行政などとのパイプになるNPO、バスを運行する事業者、そして行政サービスの観点からサポートし、最終的な財政支援の担い手となる行政、その誰かが欠けても、誰かが突出しても事業は成功しません。
くるくるバスの「成功」は、決して俗耳に入りやすい「住民の手作り」だからというだけではなく、役者が揃い、かつそのバランスが良好であるがゆえの成功なのです。


●くるくるバスのこれから
先述の神戸市TDM研究会での答弁で、くるくるバスの運行開始により地域住民の1割が自家用車を手放したとありますが、俄かには信じ難いその数字の真偽はともかく、くるくるバスの目的はそういう環境面でのモードチェンジなのでしょうか。

「山、海へ行く」と言われた神戸市の開発は、背後の山地を削り、海を埋め立てることで、山地と海面の両方を開発すると言う画期的なものでした。
住吉台に隣接する渦森台もそうした造成地のひとつであり、山ひとつ西側の鶴甲(つるかぶと)とともに、その土砂は神戸市の東部各工区の埋立地になったのです。
(余談ですが、住吉川の広い河原は、かつて渦が森から魚崎浜まで土砂運搬のダンプを通す専用道だった名残です)

住吉台から東部各工区の埋立地方向を見る

こうして出来た山麓の住宅街と、臨海部の工業地帯は実は一心同体と言えるでしょう。
しかし、1960年代に開発されたこれらの住宅街や工場地帯は、時代が下るにつれて寄る年波は隠せない状態になって来ました。
渦森台や住吉台や東部工区に限らず、市内の重化学工業中心の工業地帯は一時期「時代遅れのオールドエコノミー」とまで言われましたし、六甲山麓の住宅街は住民の高齢化が進み、高齢者対策に追われるようになって来ています。

その工業地帯は経済構造の変化に必死になって追従してゆき、なお多くの企業が空洞化が叫ばれるなか神戸に生産拠点を維持したままで、震災の被害は受けましたが、新しい時代について行くべく変貌を遂げつつあります。
当然、一心同体の住宅街も新しい世代への代替わりを遂げるべき時期に来ています。それが出来なければ現在の街並みは近い将来滅びるだけであり、くるくるバスも絶対的な利用者が減少してしまっては、公的な補助を手厚く受けて存続するか、運行を取り止めるしかなくなります。

ですから、くるくるバスのこれからは、単に公共交通シフトでよしとするのではなく、クルマも便利、バスも便利と、住吉台に新しい住民を呼びこむためのツールとして存在することを目標とすべきであり、そのツールを活かして、住吉台をどうすれば再生出来るのか、という目標に貢献していくと言うところに将来のくるくるバスの位置付けがあるのです。

中高年層が目立つ現状をどう変えていくか...





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