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ムーンライトながら 青春の旅路
(その2)



眠れぬ夜が明け、名古屋に到着


特記なき写真は2006年7月撮影

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●「ムーンライトながら」の問題点
平日を中心に乗客が減少し、多客期でも本便だけの運行になる日が増えましたが、そうなると席に溢れる人が確実に出るわけです。
深夜帯ですから区間利用者を含めて全員着席が理想ですが、よしんばそれは無理だとしても、底を打つ浜松での立客がなくなるようになればいいわけです。
この数字が悩ましく、おそらく1両増結すれば充分と言うレベルであり、3両編成単位で組成される「ムーンライトながら」にとってはかえって難しい対応です。

「大垣夜行」時代は湘南電車の一員で、通勤客も多く乗り、中には寝過ごして名古屋方面まで連れて行かれたという笑い話のネタにもなっていましたが、小田原まで全車指定席になり、直前を先行する小田原行きが設定されたことで、通勤需要は小田原以遠の少数を除けば消えました。
しかし、朝を迎えてから始発電車としての任務は今も同じで、早朝から座るどころかデッキに座り込んでいるため乗るのも難しい状態があるのは問題です。上りも名古屋口での通勤電車になるのですが、全車指定席ではありますが、豊橋あたりまでの通勤客については満席でも立席扱いで指定券を発行して乗車させているようです。

全車指定席化による最大の問題は、指定券がシーズン中はすぐに売り切れて乗るに乗れないと言うことです。自由席だと当日の早い時間から並ばないといけないと言うことを考えれば良し悪しですが、1ヶ月以上前に予定が決まっていないと購入できない、見込みで購入して払戻が面倒なのでそのままにする、という問題が出ています。
また需要がピークになる特定の時期には、オークションで売り捌くことを目的にした購入も最近は多いようで、事前にあらゆる手段を尽くさないと乗れない、つまり気軽に乗るというには程遠い列車になっています。

指定券売り切れを伝えるスクロール

また、車両は特急型車両になりましたが、結局は「夜行鈍行」であり、立客の存在、途中駅での乗降などもあり、車内の雰囲気は落ち着きとは程遠い状態です。
そうした状況に加え、昨今の治安の悪化傾向もあり、安心して乗れるかと言うとこれもそうとは言えない状況ですし、久しぶりに乗車して思ったのは、車内の雰囲気がギスギスしているということ。かつての「大垣夜行」時代は同じボックスの旅人同士で打ち解けたりすることも多かったのですが、今回見ていて思ったのはトイレに立つことすら躊躇いがちというか警戒心を持った人が多かったです。
「大垣夜行」時代には浜松などでの長時間停車中には、座席に時刻表などを置いて皆ホームに出てしまい、車内がガラガラ、ということもあったのですが、このあたりは始発駅での順番待ちも含めて、マナーの低下、というか誰かが座っているところに座ることはしない、他人の分まで順番取りをしないというような暗黙の了解というか「仁義」の部分が廃れたこともあるのかもしれません。

治安に関連して、もともと東海道本線に夜行鈍行が残ってきた理由の一つ、というか影の理由に、いわゆる「マル救」(生活保護者など困窮者の乗車券を半額にした制度。きっぷに丸に「救」の字のスタンプを押したのでこの名がある)客への対応と言う側面があり、日本の三大都市圏間を安価に移動できる公的支援的な性格がありました。今は長距離移動に対する補助は消えたようですが、その名残りなのか、ホームレスに近い風体の乗客がまだ見られますし、今回の乗車時にもそのような乗客が私の座席の横の通路に座り込んでおり、安心して乗車すると言うには程遠いです。

このように、夜行列車でありながら快適性などは二の次で、時間的制約か、経済的制約(お金がない、ということだけではなく、よりやすく移動したいと言うニーズ一般)で利用していると言うのが現状です。

●変質する「ムーンライトながら」
上記の通りお世辞にも快適、安全と言い難い状況にもかかわらず、東海道本線に夜行鈍行が残り続けてきたのはなぜか。1968年10月改正で東京−大阪の夜行鈍行(143/144列車)の廃止が発表された際、世論の猛反発に当時の石田国鉄総裁が、利用者の意を汲んで「大垣夜行」として存続させたと言うエピソードが有名ですが、ひとえにこれは気軽に、安価に乗れる夜行列車のニーズが根強かったからです。

学生運動華やかな頃には活動家がよく利用したこともあり、また、階級闘争史観から見ると最下位の鈍行列車ということもあり、「人民列車」と言う異名をとった時期もありました。
そうした「特殊」な層の利用は例外としても、庶民派の夜行列車として支持を集めてきたことは事実です。

しかし、「ムーンライトながら」になった時点で、「気軽さ」が失われました。シーズンオフには空席も多く、気軽に乗れますが、需要の多い時期には1ヶ月前に予定を立てて指定券を購入しないと乗れない、小田原からなら乗れてもまず座れないとなると、社会人を中心に足が遠のきます。そういう意味で客層がますます偏って「特殊な列車」という感じが強まっています。

また、「鈍行」ゆえさまざまなニーズに応えているはずですが、深夜における小駅の通過は昔からありましたが、通過区間が徐々に拡大しており、下りは143列車時代やその後しばらくは金谷からほぼ各駅停車だったのが、浜松から各駅になり、「ムーンライトながら」になってからは豊橋から各駅と、深夜帯のほぼ全部が通過運転になりました。
上りもかつては名古屋を21時台に発車し、静岡まで各駅だったのが、1986年11月の改正で2時間ほど繰り下がり、豊橋まで各駅になり、さらに「ムーンライトながら」になってからは名古屋から通過運転と、「鈍行」とは程遠くなっています。

一方で、安価な移動と言う意味では夜行高速バス、さらにはツアーバスの発達により、青春18きっぷでの利用にも匹敵するような格安な移動が可能になっています。
「ムーンライトながら」が全車指定席で、拠点間移動に傾注するようになるにつれて、高速バスとの性格の差異が薄れて来ていることは間違いありません。その優位性を支えてきた青春18きっぷの価格競争力ですら危ぶまれる状況に加え、治安面での不安(これは悪化もあるが、時代の推移による許容度の違いも大きい)を鑑みると、「ムーンライトながら」の敬遠が始まったと見てもいいかもしれません。

実際、「ムーンライトながら91/92号」については指定券の取得が比較的簡単であるにもかかわらず、今夏のように運転日数が大幅に削減されるように利用が落ち込んでいます。一方で「ムーンライトながら91号」が運転されない日に乗車するともうこりごり、と言う状況ですから、事態は悪い方向に進んでいるともいえます。

「ムーンライトながら91号」の横サボ


●「ムーンライトながら」の今後
かつての「大垣夜行」時代は、鉄道趣味、いや、鉄道旅行を楽しむ乗客が数多く見られました。しかしそうした「鉄っちゃん」の数は減少しており、今の主流は「ムーンライトながら」を純粋に移動手段として利用している人が大半です。
こうなると、他に快適性、経済性で勝る移動手段が存在すれば、「ムーンライトながら」を見切ってそちらに転移することも充分に考えられます。

確かにシーズン中は混み合いますが、シーズンオフの状況は厳しいようで、急行「銀河」のように寝台サービスも無い座席夜行では高速バスとの差別化も図れません。
373系車両もまだ10年選手とはいえ、昼夜兼行で酷使されていることもあり、このままだと遠くない将来に車両老朽化といった外的環境を契機に何かしらの見直しをする時期が来るのは確実でしょう。

その布石とも見られるのが、2006年1月に運行を開始した「ドリーム静岡・浜松号」でしょう。
時間調整して一夜明けてからの到着よりも、一刻も早く帰宅できる「ムーンライトながら」のほうがこの手の需要には合ってるとは思いますが、それはそれとしてこれまで「こうした需要があるから」とされていたエリアに代替手段が登場したのは大きいです。
ただ、同時期に豊橋などへ向かっていた「伊良湖ライナー」が廃止されており、豊橋へは「ムーンライトながら」しかなくなっていましたが、8月1日から豊橋鉄道とケイビーバスのペアで練馬・中野・新宿発着で復活しており、駒はそろっています。

こうしてみると、青春18きっぷの時期以外では、沼津までの「最終電車」と、豊橋からの「始発電車」(上りはその逆)を手当てすれば、充分に代替可能なメニューが揃ったわけです。この区間に関しては鉄道側が停車駅を既に絞っていることもあり、強いて言えば沼津までに短縮しても、富士さえ手当てできれば全停車駅の対応が可能です。

東京駅の乗車口案内


●青春の旅路は今いずこ
鉄道好きに限らず、多くの人が利用して、またその名を知っていた「大垣夜行」。それが斜陽を迎えるのも時代の趨勢と言ってしまえばそれまでですが、そう言い切るには忍びないものがあります。

なぜにこうなってしまったのか。
時代の変遷が若者を夜行列車を敬遠させるようになった、というのは俗耳に入りやすいですが、ではなぜ高速バスに設備が劣る廉価版が出来てそれが好評だったり、さらに環境の悪い夜行ツアーバスが隆盛を極めているかと考えると、居住性にその理由の多くを求める論理は必ずしも正しいとはいえません。

「夜行離れ」として包括的に語れる現象は実は無いのではないでしょうか。夜行に対する支持は、時間的制約、経済的制約(移動費用と別に宿泊費を出すのが惜しい)からまだまだ充分にあるのです。

青春18きっぷと言う商品を武器に、多くの需要を掘り起こした「大垣夜行」と「ムーンライトながら」。しかし、どこかでニーズを読み間違えて、時代から取り残されたのです。
それが何故かと考えた時、安心感や清潔感と言うような面も確かに大きいでしょうし、それへの対策を鉄道も取り得たのを怠ってきたツケともいえますが、実は373系化という一世一代のサービスが実はその最大の理由ではなかったのか。そう考えざるを得ないのかもしれません。

特に指定券の問題は、購入できる層とそうでない層を峻別してしまい、ごく一部の「マニアックな層」(これは「鉄道マニア」と言う意味ではない)の専用列車として認知されるきっかけにもなっており、良かれと思ったサービスが却って徒になったのかもしれません。

その存続が世論により左右されるまでの存在だった「大垣夜行」。無名の夜行鈍行の存廃がそこまでの影響を与えたというのは、誰にも身近な存在だったということが大きかったのです。
その経緯に忠実に、よしんば夏は蒸し暑く、冬は木枯らしが吹き抜けるホームで長時間待っていたとしても、誰もが思い立てば乗れた「大垣夜行」だったからこそ、身近な存在として認識されていたのではないでしょうか。

「ムーンライトながら」がその愛称を含めて参考にしたであろう「ムーンライト(えちご)」などの「ムーンライト」シリーズは、そもそも優等列車である急行列車をその起源としており、実は「大垣夜行」とは生い立ちも性格も違っていたのです。
ゆえに実は悪かろう安かろうで充分だった。中途半端に背伸びをしたために、利便性が下がるとともに、本来は気にしなかったような欠点も目につき、本来の利用者の支持を失い、変質していったともいえます。

青春の旅路を運ぶ主役を高速バスなどに譲り渡して、今ひとつの時代が終わろうとしているのかもしれません。

発車まで約20分。旅路に想いを馳せる時





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