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一般財源化が招く道路整備停滞への懸念
道路特定財源の一般財源化に反対する(その2)




さて 別稿 で道路財源の一般財源化について、主に税金のあり方の面から批判してきましたが、今度は道路整備という側面から道路財源の一般財源化を批判していきます。

●道路整備における道路財源
国税として徴収され、国の道路整備の財源となっている揮発油税をはじめ、国税として徴収され、国から地方に譲与される地方道路税や、石油ガス税、さらに自動車重量税はそれらの財源を地方に譲与する根拠となる税法に、都道府県道ではなく市区町村道への投入が規定されています。このほか地方税である軽油引取税は都道府県道、政令市道に限定されていますが、それ以外については限定はないばかりか、都道府県ではなく市区町村の財源と明記されているケースもあり、分配先ごとに投入する税金を分けていることが道路財源の複雑さに拍車を掛けている様です。

こうしたわかりづらい状態から、自動車ユーザーが歩行者、自転車も利用する道路に関するコストを負担している、と言うタックスペイヤーとしての主張に対するカウンターとして、道路財源のうち地方税は都道府県及び政令市の道路関係に使途が限定されており、一般の市区町村道については道路財源は入っていない、と言う批判が生まれる余地があることは否定出来ません。
確かに市区町村道の整備は一般財源が占める比率が大きいのですが、言うまでもなく歩行者や自転車による生活道路としての利用が多いことと、これも一部の自動車専用道を除いて歩行者や自転車による利用がある直轄国道、都道府県道における道路財源による負担の大きさとのバランスを全体で取っていることによるわけで、一部だけ、片方だけを捉えての批判は全体を見失っています。

さらに地方の一般財源には総額2兆円に上る自動車税、軽自動車税などの自動車関係諸税が入っており、総合的に考えれば、市区町村道への一般財源の投入は、生活道路として自動車ユーザーに限らない利用に対応するインフラとして当然の話であり、同時に道路財源の投入や、一般会計への自動車関係諸税の寄与を考えると、自動車ユーザーがただ乗りをしているような批判は失当と考えます。

●一般財源化により何が起こるか
現状は道路財源の収入は国、地方に複雑に分配されてはいますが、基本的に道路関係に使われています。
つまり、道路財源をあてにした道路の予算が付かないといいつつも、その分はどこかの場所で道路の整備や意地に充てられているわけであり、全体的に見れば負担と受益がバランスしています。

ところがこれが一般財源化されるとどうでしょうか。
納税者から見ると負担は確かに変わりません。しかし、その使途を見ると、福祉、文教、環境や社会保障、安全保障など様々な分野が口を開けて待っているわけで、道路関係もそうした分野の一つになってしまいます。
それでも有益な分野に回るのであればまだしも、一般財源に余裕が出来たからといって、無駄な冗費に流用されない保障はないわけで、これまで道路整備に関して熟知していた国交省による配分だったものが、財務省による配分に代わることで、道路整備の意義や重要性を理解しないまま配分されてしまう可能性もあります。

暫定税率という高率の税金を負担していても、その分はどこかで納税者の受益が約束されているという前提で受忍していたわけですが、一般財源化により、穴のあいたザルというか、どこへ行くのかもわからないけど、自動車のユーザーと言う特定の国民に、本則以上の税金を負担させられるという事態になっては納税者としても納得がいきません。

●地方の道路整備はどうなる
11月30日の朝日のオピニオン欄に、長野県泰阜村長が道路財源の一般財源化により、地方の立ち遅れた道路整備が立ち行かなくなると言う批判に立った論文を寄稿しています。

「平成の大合併」により、地方の小規模な自治体は次々と合併されていきますが、これは国による「三身一体の改革」の一環でもあり、地方が自立することを求められているため、自立出来る規模の自治体になる必要があるわけです。
ところがこれにより広域合併を余儀なくされると言うことは、行政サービスにおける道路による移動機会が非常に増えるわけです。これまで近所だった行政サービス拠点が広域合併により遠くのかつての隣町の中心になっているからです。
泰阜村は合併はしていないものの、村内唯一の幹線道路である県道は狭隘で、県道などを使って広域流動で頼る国道に出ても、その国道がまた整備状況が悪いと言う状況を村長が指摘していますが、広域合併となると、同一自治体の中でこうした問題が多発するのです。
泰阜村から南に進んで、離島以外では日本一人口の少ない村で有名だった愛知県富山村も11月27日に隣の豊根村に合併されましたが、都深山村と豊根村の中心を結ぶのは峠越えの林道クラスの道しかなく、富山村だったエリアはいきなり豊根村の「辺境」になったのです。

そうした中で、地方税分に加え、国税から地方への譲与分が規定されている道路財源が一般財源化された時、これの財源措置如何では地方交付金が減らされているだけに、一般財源として地方が道路に予算を割ける金額が激減することすら考えられます。
狭い地域で平和に暮らしていたのに広域化させておいて、移動しようとしても道路の整備もままならないというのでは、地方を干殺しにするようなものでしょう。

●幹線道路の整備も暗雲
道路関係四公団が10月に民営化されましたが、もともと高速道路整備を目的にしていた公団が分割民営化されるにあたって、最も批判を浴びたのが高速道路の整備主体が今後どうなるかと言うことでした。

これについては、完全民営化論者からは批判が強かったのですが、民営化された旧公団は、国が新規建設の区間を指定する制度が残っていますが、これについては採算制を考慮することになっています。
ですから不採算(社会資本としての必要性と経営面での採算制は一致両立しない)路線については事実上新会社が建設することは考えづらく、一部の有料道路計画では新会社の引き受け拒否を見越して直轄事業にしたものもあります。

この流れで出てきたのが、国費で整備・建設するいわゆる「新直轄」のスキームです。
整備計画があるが新会社に指定出来ない区間につき、国が国道として整備するこの制度、高速道路がかすりもしない鳥取県の県都鳥取市に向けて整備計画がある中国横断道佐用鳥取線などが名乗りを上げています。
しかし、このスキームの原資は道路財源です。つまり、一般財源化されて、財務省が不要と査定したらおしまいです。納税者から見たら、鳥取への高速道路のほうが何倍も有益であっても、財務省の胸先三寸で決まってしまいますし、これまで数多の批判を浴びたような「無駄遣い」事業に転用される可能性すらあるわけです。

その危険性もさることながら、道路公団等民営化において、採算を重視するがあまり、不採算の地方や、建設費が莫大な大都市圏での幹線道路の整備が全く進まないのでは、と言う批判に対する回答の前提であった道路財源が「消える」ということはだまし討ちに等しいです。
その一方で国交省は11月26日に、新会社との間で新規建設などを協議する「連絡協議会」の設置を年内に設置する方針を固めましたが、そのメンバーに旧推進委の猪瀬直樹、大宅映子の両元委員を起用する方針とあっては、新会社による建設はおしるし程度でしょう。そして国による建設は財源を召し上げでは、最悪の結果になりそうです。

●「もう十分」と言えるのか
道路財源に関しては、その潤沢な資金を前に、「道路整備はもうたくさん」「無駄な道が多過ぎる」という批判がセットになることが多いです。
しかし、地方においては自然地形も交通も無視した合併をしないと規模の面で生き残れないと言う厳しい現実があり、合併された住民に旧村を捨てろといわないのなら、道路を整備するしかないのです。
また、幹線道路にしても東九州、山陰や東北の日本海側のように対面通行の一般国道しかないエリアがまだあるわけですし、大都市部の環状道路整備や一般道路の改良など、「もうたくさん」「十分」とは到底言い難いと指摘出来ます。

こういう状況において、道路財源をより効率的、戦略的にに配分するのであればまだしも、一般財源化することで、必要な資金すら回ってこないリスクに晒すことは妥当でしょうか。
財務省の配分が常に正しいのであればまだしも、無駄な補助、無駄な政策の予算がつく反面で、社会保障、福祉はもちろん、安全保障ですら削られている現状を見たら、こういう懸念が外れる可能性は低いと考えます。

「税金」の意味から道路財源を考えたら、一般財源化するのであればいったん廃止して改めて課税するという解決策もありなのですが、「道路整備」の意味から考えると、一般財源化は無論のこと、現行システムの効率的な運用はあっても、廃止は問題といえます。





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