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北海道旅行記2005(その2)


ようやく函館に辿り着き、温泉と酒肴を楽しんで「はまなす」に乗り込みました。実質2日目は道南のマイナーなエリアを巡ります。

雪まみれの函館山線気動車(倶知安)

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<2日目行程>函館(「はまなす」)札幌(函館線)小樽(函館線)長万部(ニセコバス)寿都(ニセコバス)岩内(中央バス)小樽(JRバス)札幌(「まりも」)釧路


●函館山線、雪の進軍
2日目の朝はハイケンスのセレナーデで目覚めました。楽しく美味しいお酒も少し過ごしたようで、頭がすっきりしません。急行「はまなす」は千歳線から函館線に入り、札幌へのラストスパート中です。かつては道内の夜行列車が札幌を出ると苗穂に運転停車して荷物車を連結していたことは遠い昔。高架線に駆け上がって6時7分、札幌に着きました。
乗り換えは6時53分の小樽行きを予定しています。小樽8時7分の2932Dに乗るので、座れる程度の時間に小樽に着けばいいのです。時間があるのでラチ内コンコースに遮風板で囲われたストーブコーナーがあるので、そこで暖を取りながら待ちます。やはり二日酔いのようで、動く気力が起こりません。

札幌駅コンコースのストーブコーナー

そろそろとホームに上がると120Mは既に入線中。721系の車内は席もさらっと埋まっていて景色を眺めると言う話ではなさそうです。
仕事納めは過ぎましたが、金融機関を中心に今日はまだ営業日。小樽への通勤を考えると混み合うのも無理はないです。
暖かい車内、転クロに座ると眠気が先に立ち、3月改正で正式に廃駅になった張碓付近の景勝も夢の中で、朝里付近で海を少し見た程度で電車は小樽市内に入っていました。

721系電車(小樽)(1991年12月撮影)かつての51型客車(小樽)(1992年11月撮影)

このコース、9年前まで連年のように年末に渡道していた頃は、なんとかの一つ覚えのように快速「ミッドナイト」から小樽に出て、山線のディーゼルカーで長万部と言うコースを繰り返していました。雪の峠越え、そして尻別川の枯れた風景が心を打ち、通っていたのです。
初期の頃は小樽までは51型客車と言う時もありましたが、711系、そして721系にと時は流れたものの、山線区間はキハ40で不変でした。
かつては20分くらい前には入線していたのですが、今は直前の到着のようで、留置線で出を待っているのはキハ150の単行。キハ40に比べると短尺化され、さらに片側のボックスが2人用と座席定員が減少しており、入線を待つ行列の長さを見るとちょっと厳しい道中になりそうです。

小樽で転線据付を待つキハ150系

8時7分、小樽出発。車内はやはり立客が出る盛況。倶知安かニセコが目的と見られる観光客も目立ち、倶知安あたりまでは増結がほしいところです。三角市場の裏手を進むとここからもうオタモイの峠越えですが、並行するR5は地下道を併用したバイパスに変わっています。キハ40よりは軽やかに上りますが、やはりクルマには敵いません。
小樽市街地の中を進みながら駅はなく、峠を越えた7.7km先の塩谷でようやく停まります。SL時代はこんな20パーミル超の勾配区間で停車したら後が大変ですが、今は高性能の気動車の時代、駅を置いてもいいはずですが。

沿線の木々は氷雪のオブジェ

夏は海水浴で有名な蘭島も雪に埋もれています。そして余市に着くとまとまった降車があり、立客はなくなりました。これだと単行でも已む無しかなと言う感じですが、昨日の江差線を思うと複雑な心境です。
ここからしばらくは平野を行き、然別からは再び峠越えです。キハ150の後尾は巻き上げた雪がこびりつき全く見えません。沿線の木々が樹氷のようなオブジェになっています。銀山を過ぎるとサミット。R5の稲穂峠とほぼ並行している難所です。坂を下った小沢はかつて岩内線が分岐していましたが、この小沢を谷に再び峠を越えて倶知安へ向かいます。
9時18分、倶知安到着。9分停車ですが、乗客のほとんどがここで降りました。

後部を見ると全く見えません

ホームに出て雪だるまのような列車を眺めて見ました。倶知安を出ると蘭越までの間、尻別川の流れを楽しむ時です。
ところが堤防も無い自然地形のまま雪を割って流れる姿を期待していたのに、この冬の寒さはそれを許さず、川は凍結し、そのうえに雪が積もっています。厳しい自然のなせる業ですが、これは残念。
ニセコでは残っていた数少ない乗客が降りるとともに、今度は長万部に向かうであろう旅行者が結構乗ってきました。ちょうど流動の分水嶺と言う感じです。

レールも雪に埋もれて...(蘭越)

目名の峠を控えた蘭越で交換待ちの小休止。前方の線路は雪に埋もれて軌条がどこにあるかも定かではありません。3時間前に2926Dが通って以来の列車になる2933Dがやってくるとようやく鈍く光るレールが姿を現しました。
上目名の駅跡を見たかったのですが、雪に埋もれた状態では無理。峠を越えると熱郛を経て黒松内。ここからは長万部方面との結びつきが強いのか、乗客も多いです。蕨岱の峠を越えると山線の5つの峠を踏破しました。雪の量がガクッと減り、青空が広がると長万部到着は11時13分。小樽からは3時間余りかかりましたが、内容の濃い汽車旅でした。

晴天の長万部に到着


●風の街へ
長万部の改札は自動ドアでした。もちろん自動改札ではなく、出札との仕切りが自動ドアというだけですが。
ここからは周遊きっぷをいったん仕舞ってバスの旅です。今来た道を戻る格好ですが、黒松内を経て寿都に出て、雷電海岸経由岩内に向かい、余市経由で小樽へと言う行程。雷電海岸を中心とする日本海の荒々しい眺めは、1986年の初渡道、さらに前回1996年にも楽しんでいますが、前回行程のあやで入り損ねた寿都温泉ゆべつの湯で一風呂と言うのも楽しみです。

バスの発車は12時ちょうど。駅前のロータリーにある停留所は瀬棚行きの函館バス専用ですが、20年前に寿都の追分(厳密には黒松内町域)から長万部までニセコバスで来たときにはロータリーに入ったような記憶があります。
寿都方面行きのニセコバス、さらに函館行きの函館バスは駅前の旧R5の路上発と、せっかくの駅前ロータリーを活かさないのはなぜでしょうか。

瀬棚行きの函館バスかつての瀬棚駅。後方は名勝三本杉岩(1986年8月撮影)

11時39分に出た瀬棚・三本杉岩行きのバスは10人以上とまずまずの乗車。さすがに日本海側のまとまった集落である瀬棚への幹線交通だけあって乗っています。かつては瀬棚線が長万部の南、国縫から分岐していましたが、その記憶も薄れてきています。
ついで旧国道のバス停を43分発の函館バスターミナル行きが発車。函館ターミナルまでだと3時間をわずかに超える一般道経由としては稀有の長距離バスで、一度お手合わせ願いたいのですが、いまだ叶いません。ただ乗客が数えるほどと苦しいのが見て取れます。少ない需要をJRと取り合っていると言う感じです。

そうやってバスを待っているうちに、すぐ下手の駐車場に待機しているバスが現れ、これが12時の寿都行きです。ならば駐車場をバス停にしてくれればいいのにと思いますが。
かつては一般路線車だったのに、今は観光タイプの車両。中央バスの高速路線ばりの旗のようなエンブレムには愛称ならぬ運行区間が記されています。

寿都行きの愛称標ならぬ行先標

6人の乗車で出発しましたが、ラジウム温泉で名高い二股までで3人降車。寿都どころか黒松内までの運行の意味すら問われます。蕨岱でR5から道道5号線に入ると、それまではアスファルトが見えるレベルの除雪だったのが、圧雪状態の除雪に変化しました。実はここにもはしご湯でも、と気になっていた黒松内温泉前に立ち寄りましたが乗降無し。黒松内の町内に入り、駅前などで数人乗りましたが、かつての寿都鉄道のルートを辿って寿都に入る流動は相当細っています。
太平洋側の長万部は晴れていましたが、蕨岱の峠を越えるとやや怪しくなったものの平穏。黒松内で乗ってきた地元のご老人が「久しぶりに晴れましたね」と言うくらいですから運が良かったようです。

黒松内へ向かう国道5号線

日本海に沿って松前、江差から積丹と通るソーランラインことR229に合流する地点が追分。20年前は岩内線代行バスに乗り、岩内からどうやったら長万部に早く出れるかを模索した末に発見したルートで、追分で岩内からの寿都行きから寿都発の長万部行きに乗り換えました。おかげで瀬棚線に乗り継げ、効率よく回れた想い出の地です。正面には日本海が間近に見えますが、実はここはまだ黒松内町。ところが西も東も寿都町で、別に飛び地と言うのではなく、国道からさらに浜手、海岸線の300m内側に町境があると言う変わった地勢です。

R229を左手に取り、遠くに見える風車群がゆべつの湯。しかし近くに見えても案外と遠く、5分はかかりました。
ここで1時間半ほどの待ち合わせを活かして入浴休憩です。ここ寿都は風が強いことで有名で、風力発電など風を町おこしにしています。シンボルキャラクターの「風太くん」もあるのですが、同名の千葉市動物公園のレッサーパンダの知名度に大きく水を開けられています。
降りたのは私だけですが、寿都市街地に帰る老人がぞろぞろと乗り込んでおり、最終コースはそれなりに乗っている格好になったようです。

ゆべつの湯に着いた寿都行きに乗り込む人々

その寿都温泉は食塩泉でよく温まりました。露天風呂は雪は舞うは時折名物?の突風が吹くわとあまり良いコンディションではないですが、楽しめます。内風呂もガラス張りで眺めがよく、源泉風呂、大風呂と繰り返し、夜行の疲れと二日酔いを癒しました。
長湯して昼食を取るといい時間です。見るとニセコバスが走っており、もう少し時間があるはずなのに、と玄関に走るとこれは黒松内温泉行き。寿都から追分まで10分前を行くダイヤで、田舎で10分雁行とは思わなかっただけに騙されました。

●あゝ雷電海岸
あらためて15時前のバスに乗ります。こちらも長万部からのバス同様、観光タイプの車両ですが、車内は結局私以外には1人ずつ入れ替わりに乗っただけと気勢が上がりません。

上述のようにいったん黒松内町に入り、いよいよ雷電海岸に向かいます。この区間は日本海の荒海と山が海に迫る奇勝織り成す景勝地とあって、だからこそ冬の旅に織り込んだのです。圧雪状態の国道を進むとやがて前方に岩山が迫ります。20年前は函館山線経由の夜行鈍行41列車からの乗り継ぎで、寝不足とあってうろ覚え、10年前は年末と言うのに至極穏やかだっただけに、今回は楽しみです。

国道229号線を行く

時折吹雪く中、しばし鉛色の日本海を左手に淡々と進みます。寿都町から蘭越町に入るとここは朝方眺めた尻別川の河口です。
そしてここを過ぎるといよいよ雷電海岸の景勝地なんですが、ところがバスの行く手には真新しいトンネルが口をあけています。しかしまだ未供用のようで海岸を巻いて進みましたが時間の問題です。そしてすぐにバスは非常に長いトンネルに吸い込まれてゆきました。そして抜けた先ははや雷電温泉。かつては海沿いに短いトンネルや覆道、洞門を穿って進んでいた区間ですが、一気に長大トンネルでパスしてしまっていました。

前方に真新しいトンネルが...

再びトンネルを経て、やや落ち着いたあたりでようやく海岸線に出ましたが、すぐに長大トンネルに入り、抜けると雷電海岸の特徴ある奇岩、弁慶の刀掛岩は後方はるかに霞んでいます。結局、ほとんどの区間がトンネル化してしまったようで、この10年の歳月と言うものを思い知りました。
ただ、観光客にとってはありがた迷惑なこの改修も、地元の利用者にとっては大型車が満足に通れない細道の改修でもあり、また、天候による支障もなくなるわけで、観光客がとやかく言う話ではないです。特に同じ国道229号線の積丹半島東部の豊浜トンネルで1996年に岩盤崩落があり、トンネルの巻き出し部を直撃してバスと乗用車が埋まり、20名の死者を出していることもあり、明かり取りのような断崖直下の開口部も取らずに一気に抜けるようになったのでしょう。

弁慶の刀掛岩10年前はこんな感じ(寿都行き車内から)(1996年12月撮影)

開発局の資料を見ると、20年前に存在した現行のトンネルはわずかに1つ。10年前も3つに過ぎません。雷電温泉を挟むメインの区間が闇に消えたのは1999年から2002年にかけてであり、景勝は結局記憶のかなたに消えてゆきました。おそらくこの区間を再び辿ることはないかもしれません。

トンネル区間を過ぎると岩内の街の続き。漁労で生計を立てている集落が続きます。
天気はいつのまにか吹雪模様となり、見通しも利かず薄暗くなっています。海から離れて岩内の市街地に入るところで、運転士が無線で位置を報告しています。営業所からは岩内ターミナルを1分接続の高速いわない号札幌行きが接続を取る旨連絡があり、こちらも一安心です。おそらく時間の見極めがつくこのポイントで接続の確認を取っているのでしょうね。

吹雪の岩内市街に入る

旧岩内駅前がそのまま中央バス、ニセコバスの岩内ターミナルになりましたが、20年前は岩内駅の駅舎などをそのまま使っていましたが、10年前の時点で新しいターミナルが出来ていました。
バスは回りこむようにターミナルに入り15時37分岩内到着。案内に従って隣の高速いわない号に乗り換えました。もう一人の乗客も乗り継ぐようで、接続の確認が重要というのが分かります。

岩内ターミナルに到着岩内駅をそのまま使っていた頃(1986年8月撮影)

●鉄路が消えたバス街道
1分接続ですがやや待っての発車です。同じ塗装ですがこちらは親会社の中央バス。後部にはトイレもあり、乗り継ぎのバタバタでトイレに行けなかったのですがこれで安心。車内は10人強と、中途半端な時間にしては乗っています。
高速バスですが、クローズドドアにはなっていないようで、市街地で早くも降車する客が続出しています。反面、逆に乗り込む人もおり、結局岩内市街地を出た時点では10人強のままでした。

市街地のSC前にある停留所には無骨な待合室が

この岩内は第一次廃止対象路線となり1985年に廃止された岩内線が、函館山線の小沢と岩内の間を結んでおり、札幌からの急行「らいでん」が3往復ほど、線内は普通で直通してました。
日本海に面した漁港として、また積丹半島の西の玄関口として拠点性があり、特に昔はニシン漁で栄えていました。1954年の洞爺丸台風のさなかに発生した岩内大火は、のちに映画化された水上勉の「飢餓海峡」のモデルにもなりました。

そう書くと今は寒村という感じですが、寿都方面から来ると街と言う印象が強いです。人口は2万人弱ですが、北海道の幹線筋から外れた街としては多いほうです。
その岩内、鉄道がなくなって不便になったかというと、実は廃止前からメインの交通機関は中央バスの高速いわない号でした。
余市、小樽での乗降も可能で、倶知安方面に出る時以外は国鉄を使うまでもない利便性を誇っていました。
現在は1日15.5往復で、岩内発6時18分(小樽7時55分、札幌8時50分)から、岩内21時47分着(札幌19時15分、小樽20時20分)までと、多い時間帯は40分ヘッドです(春〜秋は10分所要が短い)。さらに小樽−岩内−寿都の急行便が3往復、倶知安へも11往復と、北海道の地方都市としては異例とも言える手厚い公共交通が確保されているわけで、鉄道の廃止で街が廃れたとはいいがたいケースです。

岩内からの公共交通といえば高速「いわない号」

バスは共和町から国道5号線に合流します。難所の一つ稲穂峠を越えますが、函館山線の小沢−銀山−然別]ほどの峻険さを感じないのはやはり一級国道の強みでしょうか。
余市の市街地が近付くと交通量も増え、積雪もあってか渋滞します。年末の買出しなのか賑わう市街地を抜けると、時折除雪作業車とすれ違います。黄色い回転灯を点けたローダーが常に作業している感じで、朝方の雪に埋もれた鉄路と比較すると、凍結による事故の懸念もあり、冬こそJRと言いながらも、主役は確実に交代しているのかもしれません。

余市からは鉄道がオタモイの峠越えに挑むべく内陸側の高台に向かうのに対し、国道は海沿いを行きます。ただ、改修前の雷電海岸に毛が生えた程度の未改修トンネルがあり、ここでも難渋です。余市まで札樽道の延伸計画がありますが、ここはあってもいい区間です。
鉄道がオタモイの峠を越える区間を、国道5号線はアンダーパスで一気に市街地に向かいますが、塩谷からはや4車線区間と、羊腸の小径のような印象を与える鉄道とのギャップが激しいです。
余市の混雑での遅れが取り戻せず、小樽駅前到着は10分遅れの17時25分ごろ。バスターミナルのある駅ロータリーを挟んで向かいの路上停留所に到着し、雪が半分解けてぬかるむ横断歩道を小走りに駅に向かいました。

おまけ画像。20年前に岩内に向かう際に利用した41列車
(カーペット車)(1986年8月撮影)

●そして札幌
ここからは地下鉄宮の沢駅行きの国道5号線経由のJR快速バスを考えていたのですが、15分発でアウト。ちょうどJRの高速札幌行きがおり、これは周遊きっぷで乗れるので飛び乗りました。
ただ乗るや否や、道路事情が悪く、大幅に遅れるとの案内が入りましたが、まさか特急「まりも」に間に合わぬことはあるまいと腹をくくりました。
出発してみると、さっきまで乗っていた高速いわない号がターミナルへの入線に手間取りようやく札幌行きの乗り場につけたところで、うまく先発の、しかも追加不要で乗れる便をキャッチした格好です。

札樽道までの市街地は降雪、積雪で恐る恐る進むクルマで渋滞しており、小樽ICで国道5号線バイパスから直結の札樽道に入るとようやくスピードが上がりました。
ただ、高速道なのに路面は真っ白というか圧雪状態。そこを平然と飛ばすのだから肝を冷やします。潮見台、新光と新興住宅地然とした名前の本線停留所でも乗降があり、手稲付近の札幌西ICで一般道へ。丸山経由便なのでここからは一般道です。
渋滞とまではいかぬものの流れが悪く、よく考えたらICを降りて早々に降車すれば地下鉄宮の沢は近かったのですがそのまま居座り、最後は時計台の前から札幌駅前ターミナルに入る北行き一通の通りが路駐や駐車場待ちのクルマで身動きがとれず、ターミナル着は25分遅れになりましたが、この最終コースのアプローチは要改善です。

さて「まりも」まで4時間ほどあり、寝台券を取っているので時間は充分にあります。
ラーメンを晩飯にすることにして、取り敢えず大通、ススキノ方面に行って街を冷やかして見ました。
札幌駅が高架化で北側に引っ込んだ跡地に立つのがステラタワー。展望台があるようですが低く垂れ込めた雪雲と言うこともありパス。ロッカーに荷物を預け、街歩き用に安い傘を買って地下鉄に乗りましたが、南北線の車両は2扉と3扉の2種類があるんですね。

ススキノ

札幌らしい風景としてススキノの交差点や大通公園のイルミネーションを見ようと出かけましたが、北斗随一の歓楽街であるススキノは、歓楽街でありながら、表通りは家族連れも多い繁華街と、渾然とした街で、一本路地を入ると怪しげな店も多い三宮の雰囲気に似ています。
ただ、表通りに属するエリアにも怪しげな店が堂々と構えているあけっぴろげさはススキノの勝ちでしょうね(笑)
歩いているだけで客引きが五月蝿いのは仕方がないとしても、折からの雪模様に乗じてか「決めないと遭難するよ」と言う台詞には笑いましたが。

雪に煙るイルミネーション(大通公園)

一回りしてお馴染みのニッカの大看板を見て、大通公園まで戻るとイルミネーションが輝いていますが、公園内は雪が多くて入る気になりません。雪をおしてさらに歩き、時計台近くのラーメン屋で夕食を摂り、駅に戻りました。
「まりも」まではまだまだ時間があるなか、することもないし動く気にもなれず、例のストーブ前で暖を取りながらボーっとしてました。雪のせいでダイヤが少し乱れているようで、札幌行きの特急に数十分の遅れがでている案内を聞く中、やがて道内各地への夜行列車の案内が聞こえてきます。

「オホーツク」寝台車のエンブレム(1992年11月撮影)「利尻」は閑散としていました

急行「はまなす」を見ると寝台車1両、座席指定車2両増結の10連で、いよいよ帰省ラッシュのピークと言う感じです。3月改正で流氷シーズンだけの臨時列車になった特急「オホーツク」が出ると「まりも」の入線です。そして追う様に初夏だけの臨時になった「利尻」も入線しましたが、20年前の夏のような熱気は見られませんでした。

「まりも」の自由席に乗り込む人々



(その3に続く)




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