このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



北海道旅行記2005(その1)


2005年暮れに北海道に行って来ました。
神戸から北海道となるとまあ通常は空路ですが、道内で鉄道に乗るのが目的と言うこともあり、北海道ゾーンの周遊きっぷを仕立てました。周遊きっぷを巡る顛末は 「無賃送還を体験する」 に詳しいですが、片道航空利用可といいながらも割引が無きに等しい時期ゆえ、コスト面からも鉄道での往復にせざるを得ない状況でした。
そこでチョイスした手段が例の寝台特急「日本海1号」でしたが、空路が選択肢に無い状態になると、関西からの渡道において「日本海」は俄然価値が出てきます。旧態依然の「2段ハネ」よりも東京経由新幹線乗り継ぎのほうが、と言うかもしれませんが、白昼堂々新幹線を2本、さらに在来特急を乗り継ぐことを考えると、日本海縦貫線経由の寝台特急でも「楽」なのです。

9年ぶりとなるせっかくの渡道、有意義に過ごしたいと思っていたら、幸い年末に休暇を取ることができたので、道南だけの予定を膨らませて、道東に足を伸ばしてみました。ついでというか、この4月20日に廃止になった北海道ちほく高原鉄道にも回る余裕が出来、14年ぶりの道東に加え、19年ぶりの池北線と、独身時代どころか学生時代まで回顧する久しぶりの大旅行になりました。

以下、その様子をお気楽に書いてみましょう。なお、北海道ちほく高原鉄道については 別稿でご紹介 しております。

北海道に上陸した「スーパー白鳥」(木古内

その2へ進む   その3へ進む


今回の行程は、本来は大阪(「日本海」)東能代(五能線)川部(奥羽線)青森(「スーパー白鳥」)木古内と言う出だしでしたが、羽越線事故の影響で「日本海」が運休になっていたので、新大阪(「のぞみ」)東京(泊)(「はやて」)八戸(「スーパー白鳥」)木古内という行程に変更しました。
木古内からは、木古内(江差線)江差(江差線)木古内(「白鳥」)函館(「はまなす」)札幌(函館線)小樽(函館線)長万部(ニセコバス)寿都(ニセコバス)岩内(中央バス)小樽(JRバス)札幌(「まりも」)釧路(釧網線)網走(石北線)北見(銀河線散策)池田(根室線)帯広(「スーパーとかち」)札幌(「はまなす」)青森(普通乗り継ぎ)池袋、という行程で大晦日夜の帰省先に転がり込む予定でした。
いい年をして車中3連泊(当初案なら4連泊)というのは無謀ですが、往年の「カニ族」を思えばまだ軽いかな、と向こう見ずな旅立ちです。

●朝の新幹線で北上
12月28日朝、東京駅新幹線ホームは静かでした。仕事納め当日で、帰省ラッシュは夕方から本格化するだけに、嵐の前の静けさでしょうか。これから乗る「はやて・こまち3号」も全車指定席とあって並ぶ必要がないこともあるのでしょうが、それにしても新幹線開業前の東北方面の「帰省ラッシュ」を思うとウソのような光景です。

各方面行きの表示がカラフルな東北・上越新幹線ホーム

7時24分に到着した「なすの254号」が通勤客を吐き出し、車内清掃が済むと折り返し36分発の「はやて・こまち3号」になります。車内は思ったよりも混んでいません。サイバーステーションではこの列車は満席と案内されていましたが、結論から言うと終点まで空席を少なからず残しており、ひょっとしたら「日本海」「トワイライトエクスプレス」の振り替え対応にブロックしていたのかもしれません。
上野、大宮と停車して乗客を乗せますが、大宮の乗車が多く、近郊からの需要と埼京線経由での東京西郊からのアクセスの多さがうかがえます。大宮を出ると列車はスピードを上げ、関東平野越しに見えていた富士山がだんだん小さくなるとともに、北関東〜南東北の山々が迫ってきます。

「はやて」の車内は空席も目立ちました

次の停車駅は仙台です。朝の下りは宇都宮や福島あたりに停車して需要を拾ってもと思うのですが、東京からの客に占有されないようにと言う配慮でしょうか。仙台止めの「Maxやまびこ」から仙台で接続するダイヤになっていますが、宇都宮からだと大宮よりも早く乗る必要があるわけで、難しいところです。
在来線が松川から金谷川の坂を駆け下るあたりは長大トンネルで一気に抜けて福島盆地に躍り出るのですが、このトンネルを抜けると雪の量が一気に増えました。沿線はこのあと再び仙台など太平洋側を行くわけですから、よけいに目立ちました。

雪のない仙台雪が目立ってきた盛岡

9時17分、雪が見えない仙台着。半分近い乗客が降車しましたが、入れ替わりに同じくらい、いや、心持ち多いのではという感じの乗客が乗り込みました。そういえば時間的に仙台を拠点にしてのビジネス需要にちょうどいい感じのダイヤです。
再び雪が目立った盛岡を出ると空気輸送の趣。トンネル道中ですから気だるいですが、ここから八戸がわずか39分と言うのも隔世の感があります。今回は出だしが思わぬ事態に見舞われた感じでしたが、そのせいで数多く数える渡道で実は初めてになるオーソドックスな東北新幹線からの乗り継ぎ、しかも未乗だった盛岡−八戸に乗れたのだから分からないものです。

新幹線八戸駅八戸駅コンコース(新幹線改札)


●青函ルートの今
10時39分、八戸到着。この新規区間はいわて沼宮内、二戸、八戸と地平駅なのも異色です。
跨線橋に上がりコンコースにでると、そのまま在来線ホームに出る改札がありますが、青い森鉄道の案内表示に「青春18きっぷではご利用になれません」とわざわざ注記があるのはなんともという感じ。在来線側の改札には追加料金が必要な旨の掲示もありますが、そこに新幹線経由の運賃料金と所要時間を添えてあるのはちゃっかりしてます。三セクの賃率ゆえ、新幹線経由の特急券+乗車券と500円しか違わないとなると、どうせ追加するなら新幹線に流れるのは必定でしょう。見方を変えればかなりえげつなくもあり、分離したうえに通過流動はペンペン草すら生えぬほどいただくというのも大人げないというか...

あと450円で新幹線に乗れますよとのお誘い

接続は10時50分の「白鳥3号」ですが、485系3000番台、年増の厚化粧と言うか姥桜ですからあえてパス。
1時間以上待って12時16分の「スーパー白鳥9号」にしました。
しばし流動を見てましたが、新幹線の乗客は少ないように見えても10両の編成全体ではやはり多いようで、連絡改札は到着列車があると滞りがちです。仙台の入れ替わりなどを見ているだけに評価が難しいですが、少なくとも八戸はやはり通過点と言う流動が多いようで、後はそれが東京から来るのか、仙台など東北各地から来るのかと言うところでしょうか。

凍てつく751系

11時38分発の「つがる7号」を見送りがてらホームに出て、「スーパー白鳥」を待ちます。自由席の札の前には狙い乗車の人もいますが、ごくわずかで、北海道へ向かう人は指定券をきちんと持っている人が大半なんでしょうか。一方で「つがる7号」も満席とは言いがたい状況で、輸送力が過剰なのか。
前運用になる上り「スーパー白鳥14号」が雪の影響で12分遅れの到着となり、接続の「はやて9号」の乗客が先にホームに現れたので到着時にはホームは混乱状態です。凍りついた前頭部が気候の厳しさを見せ付ける789系電車が入線し、車内清掃を終えて乗り込みますが、5連とあって立客も大勢です。
1本前の「はやて」で着席狙いとならないあたりにこれらの乗客の足の短さが見えますし、混んでると言っても5連ですから、往年の「はつかり」が12連、13連で超満員だったことを思うと、たいしたことが無いのかもしれません。

「スーパー白鳥14号」到着

そのまま12分遅れで発車しましたが、次の三沢ではや大量下車。その先の小川原付近では地吹雪がひどく徐行モード。さすがに羽越線の事故があったばかりですから慎重です。この冬は記録的な豪雪禍ですが、年末はこの日からしばらく穏やかな天気になる予報で、何とか無事であって欲しいです。
遅れは20分以上に増幅して、野辺地、浅虫温泉と過ぎると自由席も座席定員程度。こうなると年末で5連で切り抜けられるという事実が気になるなか、鉛色の陸奥湾を見ながら青森に着きました。

ここから向きが変わります。車内は7割がたが降りてしまい、乗り通すのは乗車した車両で10人いるかどうか。椅子の向きを変えるのに乗じて座席を変えて、陸奥湾を望むほうに移動しました。青森からは弘前方面なのか、それとも青森からなのか、20人くらいが乗ってきており、全体でもそこそこ乗ってきます。その中に台湾か韓国か、日本語が流暢な中高年のアジア系の観光客の集団が乗り込みました。おかげで車内は6割程度と様になった格好ですが、東京からの新幹線を含めて、渡道ルートと言うよりも区間利用の集大成と言う面が強いです。
その集団、一昔前の日本人の団体を見る感じでしたが、車販を呼び止めての買いっぷりのすごいこと。アルコールにおつまみ、さらには弁当と、金に糸目をつけない感じで、思わぬ「福の神」の光臨に車販の女性も援軍を繰り出して注文に応えていました。

青函トンネル(青森側坑口)(1992年11月撮影)

この列車は蟹田、木古内に停車して、しかも普通列車とも接続するので、青春18きっぷの青函区間特例を使うには都合の良いスジですが、蟹田ではそういう乗客は見かけませんでした。新中小国信号所を過ぎると海峡線区間。スピードを上げてトンネルをいくつか抜け、ひときわ長い警笛を鳴らして青函トンネルに入りました。
青函トンネルに入るとトンネル内の気温の関係で窓ガラスがさっと曇り、溶け出した雪が窓の外を滝のように流れ落ちます。50系や14系の「海峡」時台から変わらぬ光景で、位置や深さの案内が出るのも変わりません。
ただ、闇の中を延々と進むだけですから面白みに欠けることは間違いなく、瀬戸大橋線などのように路線自体が観光資源にならないのが難点です。

竜飛海底駅(1989年11月撮影)快速「海峡」当時の海面下240mの表示(1989年11月撮影)

この列車は海峡駅見学を終えた乗客を拾うために吉岡海底に停車。10人程が乗ってきましたが、この吉岡海底駅も新幹線工事のため、3月改正で定期列車の停車はなくなり、団体列車の運用も5月の連休までとなっています。竜飛海底駅の見学は続きますが、新幹線開業後にこのユニークな海底駅が復活するのは微妙で、竜飛海底も含めてどうなるのでしょうか。

「次は 吉岡海底」。この表示も今は昔

海底トンネルを抜けると北の大地。夏だと地勢が明らかに違うのですが、今は雪に埋もれており目立った差異は見られません。松前線跡の築堤が見え、スピードを落とすと木古内。定刻だと14時38分ですが、20分近い遅れを引きずってました。

雪降る木古内駅ホームで客扱い中の車掌北海道新幹線に寄せる期待は大きく...


●時の止まった江差線
昔からの狭いホームを特急対応(特にフル編成時の「日本海」対応)で長く伸ばしたホームは雪が積もっています。雪質がパウダースノーなのが北海道らしいところ。接続の4174Dは15時1分発で、本来なら少し時間があるのですが、すぐの発車です。
函館行きの125Dは5分くらい遅れての発車ですが、単線区間を抱える海峡線ですからこうした遅れはすぐに全体に波及します。

4174Dはキハ40系の2連。700番台を名乗っており、北海道(極寒地)用のオリジナルである100番台から改造点があったようです。
2連つないでいながら車内は閑散。2両で20人もいるかどうか。なぜに2連なのか不思議ですが、運用の都合でしょうか。それとも冬季の北海道では峠越え区間の馬力不足をカバーするために2連運用にするというケースを聞いていましたが、それでしょうか。

木古内で発車を待つ4174D

雪原の中をのんびりと進みます。神明を出ると渡島から檜山への峠越え。林の中をうなるように上り、サミットを過ぎて下りますが、二重窓越しに変化の無い風景を見ているうちに舟をこぎます。実はこの区間、江差線の存続を願って「天の川駅」が作られていたのですが(イベント対応で乗降はできない)、あっけなく見落としてました。
湯ノ岱からは再び集落が散見。上ノ国はそこそこの集落で、過ぎると車窓には荒れる日本海が広がり、やがて台地の上の江差駅に着きました。木古内から1時間6分、イメージ的にはかかった感じですが、42kmもあるんですよね。内地の感覚ではすぐそこのように見えますが、スケールが違うようです。

早い夕暮れに沈む江差駅江差追分のレリーフがあった頃(1986年8月撮影)

江差滞在わずか8分で16時15分に4177Dとなって折り返すのですが、駅員がいるのが奇跡のようです。
駅舎正面には20年前は江差追分関係の飾り物があったはずですが、今はなにもありません。江差の中心街から函館へのバスがあり、札幌方面は八雲へのバスがあるわけで、もちろん自家用車利用が主流と言うことを考えたら、数少ない公共交通利用に占める江差線のポジションの低さがうかがえます。江差から松前と道南観光の回遊ルートにすれば、という思いもありましたが、松前線があった時代に両地を結ぶバス路線は無く、今はありますが、木古内−松前−江差というバス乗り継ぎも、さらに鉄道との接続も話にならないのでは声を上げるのも無駄という感じです。もっとも、函館から松前、江差と観光をして回るとそもそも1日仕事という懐の深さもあるのですが。

道南とはいえ雪は深く...

4177Dは輪をかけて閑散。上ノ国から湯ノ岱でその数少ない乗客が降りると、私ともう一人旅行者らしい人を除けば1人しかいません。それと運転士1人が2連に乗ってる人の総てです。
日も暮れた峠越え、深夜のような雰囲気ですがまだ17時です。ローカル線の旅で一番滅入るのが、宿に向かったり夜行列車に乗るための宵の口から夜半の移動で、都会の電車なら賑やかな時間帯なのに、少ない乗客で重苦しい雰囲気が漂っているからです。

木古内に17時20分に着くと函館行きは1時間18分待ち。普通列車だとさらに21分後です。普通列車に乗る前提だと、江差を2時間近く後に出たバスが10分程度後に函館に着くわけで、これでは使いようがありません。
逆に青森方面の接続は上々で、八戸行き「白鳥34号」が7分待ち、今日は運転してませんが「日本海4号」が19分待ちです。余談ですが八戸乗り換えで「はやて34号」に乗れば東京着が23時8分。江差を16時過ぎに出て東京日着とは時代が変わったものと思いますが、本州連絡優先でダイヤを組んでいるわけでもないでしょうから、残す気があればもう少し考えて欲しいものです。

松前線から見た開業前の津軽海峡線(1986年8月撮影)


●函館の夜と夜汽車
日も落ちた木古内ですることもなく、待合室でひたすら待ちます。海峡線開通時に橋上駅に改築されており、暖房は石油ファンヒーターですが、さすが道内のそれは強力で暖かいです。
窓口の様子を見ていると、年末と言うことで長距離の移動需要が多いのか、札幌へのきっぷを問い合わせる人がぽつぽつ出ています。電話で予約して取りに来るケースもあるようで、駅員も利用者も手馴れています。
ただ、格安の企画券が年末年始が使えないと知らずに来る人も多く、その人はノーマルチケットで行く決断をしていましたが、人によっては違う交通機関を選択することもあるでしょうね。

昼過ぎのダイヤ遅れを引きずってるようで、「白鳥19号」は10分程度遅れていました。やって来た485系3000番台の列車は2両増結の8連で、車内は満席状態ですから午後になって帰省ラッシュが始まったようです。
ドアが開いて、と、氷結していて半開きまでしか開きません。手でこじ開けて乗り込むと幸いデッキそばに空席がありました。ところがそのデッキとを仕切る自動ドアが不調で、車掌がしばらく悪戦苦闘してもだめで、「故障」の紙を張り出すとなぜか回復。極寒の地を行く485系は相当ガタが来ているようです。

上磯を過ぎ、海越しに函館山が見えると函館は近いです。やがて家並みが増えると五稜郭。そして市内をごろごろと走り19時23分に10分ほど遅れて函館に着きました。木古内では氷結で半開きだったドアですが、函館で開く側は青森か浅虫温泉以来とあって完全に氷結して全く開きません。何とかこじ開けてようやく降りられました。
対面には19時44分発の札幌行き「スーパー北斗23号」が待っていますが、降車客の大半は頭端式ホーム先頭の通路へ向かっており、函館までのようです。さすがに函館を通す利用はごく少ないのでしょうが、せっかく海峡線に「スーパー白鳥」、函館線に「スーパー北斗」と言うエースを投入しながら、スーパー同士が接続するのは上りの1回だけで、あとは旧型とのたすき掛けになっているのはどうでしょうか。ボロが絡むなら使うまでも無い、と考える人はごく少数でしょうが、乗り通しのインセンティブを少しでも与えないと、来るべき新幹線時代に鉄道利用と言う発想が人々から消えているかも。

函館に到着した「白鳥19号」対面には「スーパー北斗23号」が待つ

函館駅は連絡船時代はそのまま桟橋に線路が繋がっていた名残で跨線橋で駅本屋と繋がっていましたが、その必要が無くなり、駅の位置も微妙に変わって、頭端部の通路で改札へ向かうバリアフリー構造になっています。
風情や旅情があった旧駅舎も姿を消しましたが、地元の人にとってはボロかった駅が新しくなったことのほうが喜ばれているようです。
その駅舎、商店も垢抜けた店が並んでいますが、深夜の「はまなす」までの間ロッカーに荷物を預けようとロッカーコーナーに行くと、22時までの表示に呆然。0時以降は料金が追加になるのは承知していますし、終夜開放の駅ですからロッカーは使えると思ってたんですが、これはいかに。「はまなす」と「北斗星4号」の乗客など眼中に無いということなんでしょうね。

取り敢えずそれでも荷物を預けて身軽になって街に出ます。駅舎の位置が浜手に下がってしまい、駅前のバス乗り場、特に通りにある電停までが遠くなりました。駅前十字路で曲がる電車がいったん駅本屋前まで入ってくれると便利なんですが。
雪を踏むうちに靴が湿ってきました。ちょっとした傾斜でも凍て付いた道は滑って危ないです。電車乗り場に行くとこの時間、どっく前行きと谷地頭行きは20分ヘッドと大変です。皮肉にも電停の自動アナウンスや広告が日中の十字街までは5分ヘッドと誇らしげに言ってるだけに、観光都市が宵の口でもうこの豹変というのは苦しいです。

電車に乗って向かった先は谷地頭の市営温泉。電停から足を滑らせながら辿り着くと9年前とうってかわって綺麗に改装されています。フロント向かいに旅行者対応の大型ロッカーがあるのを見て、これなら駅に預けなければ良かったと臍を噛みました。
二階に上がって更衣室を抜けると温泉の内湯部分は昔と同じでしょうか。湯船もカランも古臭く見覚えがあります。赤茶色の塩分の濃いお湯は昔通り。ただ露天風呂が新設されており、肌を切る寒風の中、雪を見ながらの露天風呂もなかなか乙でした。

夜更けの谷地頭で発車を待つ函館市電

温泉で火照ったとはいえ湯冷めしないように電車の時間をにらみながら温泉を出て谷地頭から函館駅前に戻ります。ロッカーから荷物を出し、松風町の炉辺焼屋へ。9年前までは毎年のように渡道しており、その折には必ずといっていいほどこの店に寄って深夜の快速「ミッドナイト」まで時間つぶしをしていましたが、9年経つと店の構えが変わってました。
幸い覚えていた大将と話しながら杯を重ねましたが、聞くと秋に改装したそうです。中心街はだいぶしんどいようで、数軒手前にある空き地も先年火事を出したっきりそのままになっている故とのことで、新幹線函館延伸まで持てばいいのですが。

在りし日の快速「ミッドナイト」(1996年12月撮影)多客期には自由席も連結していた(1991年12月撮影)

0時閉店ですが、「はまなす」乗車なら少し過ぎてもいいよ、と言う好意に甘え、北の味と酒を堪能しました。陶然として0時半過ぎに駅に向かい、1時13分の「はまなす」の到着を待ちます。発車は23分ですが、函館からの乗客が思ったより多く、20人程度はいた感じです。
1ヶ月前に予約したので正規の指定席車「ドリームカー」に乗れたため、グリーン車用をさらに改造した深々と倒れるリクライニングシートに身を埋めると、深夜ゆえ椅子の向きを転換する人もおらず逆向きも何のその、発車を待たずに眠ってしまいました。


(その2へ続く)






お好み旅行記TOPに戻る

Straphangers' Eyeに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください