このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





夢が迎えた終着駅
ふるさと銀河線の終焉を見る(その1)



エル・アルコン  2006年5月22日




旧国鉄の特定地方交通線から第三セクターとして再生したはずの北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線。しかし、転換後17年と言う長くもあり短くもある生涯を2006年4月20日に閉じました。

使命を終えた鉄道の終焉と言うのはたやすいですが、延長140kmに及ぶ長大路線の廃止は、国鉄の分割民営化前後では日常茶飯事とまでは行かずとも珍しくも無い話でしたが、既に「国鉄改革」が歴史的存在になりつつある現在においては大きなニュースとして捉えられたようで、その終焉に向けた過熱振りは道内ローカルのみならず、全国ニュースでも取り上げられました。

2005年末、 別稿 で辿った北海道旅行の途中にその最後の姿を見るべく訪れましたが、1986年夏以来19年ぶりの乗車がお名残乗車になってしまいました。以下、その時の様子と若干の考察を述べてみましょう。

永遠に走り続けることは叶わぬ夢に...(日ノ出)


※この作品は「交通総合フォーラム」とのシェアコンテンツです。

特記なき写真は2005年12月撮影

その2へ進む    その3へ進む


●ふるさと銀河線の来た道
2006年4月20日、北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線は、国鉄池北線以来96年、1989年の廃止転換から数えると17年の歴史を閉じました。

かつては北見、網走へのメインルートとして「網走本線」を名乗っていましたが、1932年の石北線の開通とともにその座を譲りました。その後も「本線」の名だけは残っていましたが、1961年に北見で名称が分断され、旭川からの石北本線と池北線という最終形になりました。
なおもともと道内の長距離列車は準急ですらないケースが多く、網走本線〜池北線もそうした路線の一つだったようで、古い時刻表を見ても長距離鈍行はあっても優等列車の設定が見当たりません。

そのため優等列車は1962年に帯広−陸別・北見の準急が都合2往復設定されたのが最初となっており、その後準急の急行への全面格上げで急行化され、陸別折り返しが廃止になって1往復が孤高を保つのみであり、沿線のめぼしい観光地も無いことから、「カニ族」が大挙して押し寄せた北海道ブームにおいても有数の地味な線区でした。

その急行も1980年には消え、1985年に旧国鉄の特定地方交通線に指定されてた時点である程度運命が定まったかに見えた池北線ですが、1989年に道内唯一の第三セクター転換路線として、北海道ちほく高原鉄道によるふるさと銀河線として再出発しました。

地味に過ぎる路線ですが、北見口の需要が相当数あったのが物を言った格好で、訓子府、いや、置戸までの部分存続でも充分事足りたと思われた中、全線が存続しました。
反面、主要幹線筋を除けば留萌とここだけと言う市制を敷く紋別市を抱える名寄本線は、都市間輸送が期待出来る遠軽口など池北線が残るのなら、という感じもしたんですが、全線がバス転換されています。

紋別駅(1986年8月撮影)

レールが残ったはずの池北線は転換路線としては下北交通、のと鉄道能登線に次ぐ廃止区間という不名誉な結果となり、バス代替に賭けた名寄本線は、廃止当時に遠軽から紋別まで鉄道が8往復+遠軽発2本(遠軽−中湧別はその他1往復)、バスが15往復だったのに対し、今はバス10往復(湧別までは20往復+遠軽行き2本)と、本数は減少してますが、湧別までは概ね1時間に1〜2本、紋別までは朝晩は1時間に1本と利便性としてはまずまずですし、沿線の中核である紋別には浮島トンネルおよび高規格国道経由で旭川、札幌へ7往復の高速バスが走るなど、公共交通の質という意味では明暗を分けています。

一時は高規格化、高速化による石勝線経由での北見、網走への高速化に活路を見出そうとした時期もありましたが、投資額の負担問題、さらにメインルートからはずれる事になる石北線の存廃問題もあり、実現には至りませんでした。
そして廃止を届け出て1年、2006年4月20日の運行をもって長い歴史に幕を閉じました。

●北見から置戸まで
2005年の年末、昼前に 別稿 の通りふるさと銀河線に乗るべく北見駅に降り立ちました。
道北の拠点として、また北見駅をはさんで東側が高架、西側が地下トンネルとユニークな連立化で知られる北見ですが、駅前にあまり活気があるようには見えませんでした。
網走から北見への道すがら、新興住宅地をカバーすべく道内としては異例とも言える短区間で駅が設置されているあたり、国道39号線に沿って新市街が形成されつつある様子がうかがえましたが、もともと駅を拠点とした計画都市であることが多い道内の街にも、内地のようなスプロール化が進んでいるのでしょうか。

全長140kmで、3410円という運賃設定にもかかわらず簡素な自動販売機が構内にぽつんとおいてあります。傍らには鉄道事業の廃止届についての掲示があり、廃止が現実であることを呼び起こさせます。
100km超の区間は途中下車が出来るのですが、券売機発行で大丈夫なのか心配で、かつ高額紙幣しかなかったこともあり、北見駅の窓口で購入しましたが、2日間有効の文字はありますが、下車前途無効の文字はなくひと安心です。

北見駅前の本社

駅前に出て見ると、社名を掲げた洒落たビルがあります。どうも本社のようで、廃止になるような鉄道会社にしては過ぎた施設でさすが三セクと思ってよく見ると、サッポロビールのビアガーデンの文字を消した跡が。どうも跡地利用のようで、こうなると倹しい努力のように見えるから不思議なものです。
駅売店を冷やかしますが、北見の名産というとハッカと玉ねぎくらいとあって、旅客のお土産になりそうなものは素朴なハッカのお菓子がメインです。目を引いたのはチョロQ、といっても銀河線の車両ではなく、というか車両系ではなく、今をときめく旭山動物園の動物たちのそれでした。

北見駅跨線橋の乗り場案内

1本前の快速から2時間40分途絶えての発車となる744Dは単行。銀河鉄道999のイラスト車で、前面に鉄郎、側面にメーテルと、お馴染みの松本零士氏のイラストが鮮やかです。車内にはこれもお馴染みのネコのミーくんのイラストもありますが、「車掌さん」は見当たりませんでした。

北見駅停車中の999車その車内。後方のドア部との遮風壁に「ミーくん」

これに乗っても池田に抜けられるのは2本あとの列車なので、「鉄」系の乗客は見当たらず、地元の乗客、それも中高年層がほとんどです。ボックスが埋まる程度で12時ちょうど、北見を出ましたが、北見盆地を軽やかに進む気動車は、正直言って単調に過ぎます。

26分で訓子府到着。立派な駅舎がありますが、この時間帯は無人。地域のホールになっているので駅としての機能だけではないというのはわかりますが、それでも不釣合いな感じです。
ここで北見行きと交換で6分停車ですが、北見に向かう列車にはこちらと違い若者の姿も目につきます。

訓子府停車中。左が立派な駅舎

交換を終えて再び進みます。
20年前に道内を巡った際に気づいたのですが、他の地域が正規の駅とあまり変わりが無いのに、当時の湧網線や名寄本線のそれは気動車1両程度の板張りの粗末なもので、駅名標も規格外のものでした。駅名標も規格品ではなく、なぜに、という感じでしたが、今ふるさと銀河線から見る一部普通列車が通過する元仮乗降所の駅は、まさに当時を思い起こすような構造。駅名標こそふるさと銀河線のものですが、待合室すらないような構造はまさに停留所です。

これでも国鉄の仮乗降所
(1986年8月撮影)

訓子府から10分ほどで境野に着きました。ここで降りてみます。
雪煙を上げて置戸へ去ってゆく744Dを見送って、昔ながらの木造駅舎の建て付けの悪い引き戸を開けると、駅舎と言うか飲食店というか、風情は確かにありますが、年末休みなのか営業していない状態では気が滅入るような光景です。

境野駅

駅前へのこれも建て付けの悪い引き戸を開けると、目の前には国道が。そして右手には新しい公民館のような建物があります。
住民センターのようで、サークル活動に使うような部屋がいくつかあるほか、休憩所とトイレは公開されており、暖房も程よく効いている館内にお邪魔しました。

境野に到着する749D

744Dが置戸で折り返して来る749Dを待っているのですが、ちょっと早めに駅前のバス乗り場を通過する置戸から北見への北海道北見バスに乗って、西訓子府か西富を訪問しようかと思ったんですが、居心地の良さに結局749Dまで待ってました。
休憩所にはふるさと銀河線の時刻表が貼ってましたが、置戸町バージョンでも池田接続での札幌連絡を謳っていました。
その749Dは車両も運転士も744Dと同じ。片道切符で途中下車した人間が戻ってきても、もはや日常茶飯事なのか気にもしない感じ。訓子府では学校行事があったのでしょうか、高校生らしい集団で混み合いましたが、青年層も見られるのが近郊鉄道という感じです。

日ノ出駅舎。左手が待合室、右手がトイレ。時計は故障

境野から14分ほどで着いた日ノ出で、またまた降ります。
先程境野へ向かった際、小振りながら明るい駅舎が見えたので、ここで降りようと決めていたのですが、ホームと反対側はセメントサイロがそびえる工場でした。
駅舎は見た感じの通り居住性がよく、ちょっと休んで列車に乗るとか、列車を降りて迎えを待つと言った小休止と言う意味ではちょうどいい感じです。
ここでも見たような顔の「鉄」が写真を撮ってましたが、さっきからの行き来で何度も見たのも当然、クルマであちこち回っているようで、列車で行き来するような奇特な人はいないのでしょうね。

日ノ出の駅名標と「メモリアル・レール」

ホームに出ると、「ふるさと銀河線応援団 メモリアル・レール」と書かれたモニュメントが目に入りました。「ふるさと銀河線が永遠に走り続けるよう私達も応援します」とあり、募金者の名前が入ったシールが貼ってあり、全部合わせるといくつになるのでしょうか。日ノ出だけでなく他の駅にもあり、全体では相当な数になるようですが、これだけの熱意をもってしても数字にはならず、結果として残せなかったという現実の厳しさにはやりきれないものすら感じます。
そういえば「999」仕様の車内には松本零士氏のサインとともに、「夢をだいて走る宇宙」「夢は終着駅に必ず着く」と書かれていましたが、「夢」の行く末は願いが叶う時ではなく、まさに永遠の「終着駅」という終末を迎えることになってしまいました。

「夢は終着駅に必ず着く」...ええ、着いてしまいました

749Dと上常呂で交換した746Dに乗ります。これで行ったり来たりは終了し、終点置戸で池田行きの714Dに乗り継ぐ単純な?1本落としの行程になります。
区間運転の車内は実に長閑です。北見盆地の外れ、やや丘陵が増えて来ると終着置戸に到着です。池田までの切符を境野まで使った格好になっていますが、降車時に日ノ出−境野だけ支払うとか言い出すとまたややこしくなるので、境野−置戸を二重払い?しました。
まあ、たいしたことはない、というか、三角表を見ていて気づいたのは、池田までは通しで買うよりも置戸で切ったほうが90円安いということ。置戸までも訓子府で切ると10円安いですし。

ノーマル塗装の車両(訓子府)


その2へ続く  



交通論の部屋に戻る


Straphangers' Eyeに戻る


交通総合フォーラムに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください