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夢が迎えた終着駅
ふるさと銀河線の終焉を見る(その2)



エル・アルコン  2006年5月22日



昼下がりのふるさと銀河線(置戸)


※この作品は「交通総合フォーラム」とのシェアコンテンツです。

特記なき写真は2005年12月撮影

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●置戸で思ういまむかし
今から20年前の夏、国鉄池北線時代に乗り通していますが、札幌からの夜行急行「大雪3号」を北見で降り、始発の池田行きに乗りました。3連のボリュームに驚いた次の瞬間、後ろ2両は置戸止めという案内に、半ば回送だったと気が付きました。

急行「大雪3号」(網走)
(1986年8月撮影)

夏と言うのに暖房が軽く入ったキハ22に揺られて置戸に着き、切り離しのための長時間停車を活かして駅前に出ると、北海道らしいトタン屋根の小型駅舎の前に小さな街が広がっていたことを思い出します。
駅舎を写真に撮ろうとしたら地元の女子学生でしょうか、見知らぬ旅人のファインダーに笑顔で振り返ってくれました。あれから20年、彼女たちも立派な大人の女性になっている頃ですが、故郷を後に都会に出たのか、地元で頑張っているのでしょうか。

当時の置戸駅(1986年8月撮影)

ホームには網走管内最初の鉄道(1911年)であることを示す碑文と、何やら謂れのありそうな枝振りの良い松の木がありました。見ると尾崎紅葉の金色夜叉といえば熱海の海岸、ダイヤモンドに目が眩んだお宮を足蹴にする貫一で有名ですが、なぜか長田幹彦が書き継いで舞台もいきなり置戸にという荒唐無稽?な続編があるそうです。その熱海の松と瓜二つの松という設定がこの「ゆかりの松」という碑がありましたが、網走管内(その後旭川局になる)最初の碑よりも目立ってました。

その碑と松の位置は駅舎側だったように記憶していたのですが、今見てみるとそれがあるのは駅舎の反対側。当時の雑誌の写真を見ると、やはり駅舎の左隣に碑と松が並んでおり、移植、移設したようです。

碑と松は駅舎の反対側に...

それにしても超有名小説の「続編」というと、あやかり本かバッタもんか、と思うところですが、書き継いだ長田幹彦も当代一流の文士ですし、夢二装丁の続編本が立派に残るくらいですから分かりません。長田幹彦が道内を放浪していた縁で置戸が舞台になったのでしょうが...

さて、駅前の角にある蕎麦屋がそこそこ名高いと言うことでそこで遅い昼食にしました。
1人というのに立派な小上がりに通されて冷たいトロロを頂きましたが、これが美味。「ゆかりの松」といい、鄙には稀な名所名物がある街です。もっとも、北見の高架線からロードサイドの支店が見えましたから、軸足はそちらにシフトしているのでしょうね。
ちなみにどうも私で昼の営業はおしまいだったようで、危ないところでした。それにしても昨年後半は蕎麦屋の「最後の客」になることが多く、それもこの置戸、さらに丹波篠山に奥出雲と地方の名代の蕎麦屋ですから運が良いといえば良いですが、紙一重の繰返しでした。

置戸の「目抜き通り」

食後、フィルムを買おうと商店を見ると、少し先の写真屋とのこと。見るともう少し先にコンビニがあり、そこまで歩きました。ゆったりとしたメインの通りに交通が少ないなと思ったら市街地はバイパスが出来ているようです。通りに面した町役場の鉄道の存続を訴える看板が虚しいです。駅前の寒暖計は氷点下6度から8度を行ったり来たり。氷点下20度だなんだという話からすると「暖かい」ですが、それでも一日でもっとも暖かい時間帯での数字、内地ではまず無い話です。

置戸町役場駅前交差点。後方の寒暖計は氷点下6度

再び駅に戻ります。
20年前の駅舎と比較にならぬ大きくて明るい駅舎。町のホールにもなっているようですが、訓子府でも感じたのと同様、ここまで立派なものが必要だったのか。
吹き抜けを見下ろす上のフロアに人影はなく、広いホールの椅子に所在なげに座る人がちらほら。片隅には軽食を出す店がありますが、ありきたりな感じで中途半端です。
国道がバイパスしている町の中心のこの施設、「道の駅」として活用するでもないのです。

置戸駅外観

時間を持て余し、館内にある観光案内を読んで見ます。
少し入ったところに勝山温泉という温泉があるようで、行ったり来たりとしていなければバス便もあり、ひと浴び出来たようです。ふるさと銀河線に並行する北海道北見バスの路線は北見から訓子府、置戸を経てこの温泉のある最奥の集落まで入っており、少ないパイを食い合っているのでしょう。

置戸駅舎内部。吹き抜けを取り巻く回廊も...


●置戸から池田まで
15時16分発の714Dの時刻が近づいてきました。
ホームにはふるさと銀河線の規格品の駅名標がありますが、主要駅にはどうも星占いを書き添えていたようです。全線の主要駅で12星座を網羅するという仕掛けなんでしょうが、星座ごとの運勢判断の文章はかすれてしまい、判読不能なものあり、かえって侘しさを募らせます。

よく見ると置戸は「かに座」

やってきたのはまたまた「999」です。違いは車内の混み具合。久しぶりの直通列車とあって空きボックスどころかボックスに2〜3人は座っています。車内は「鉄」が多いですが、家族連れやグループでふるさと銀河線の旅を楽しんでいるという旅行者も多いです。まあ形態は様々ですが廃止ということでのお名残乗車がメインということには代わりがありません。
取り敢えずロングに席を占めましたが、それならと腰を上げて運転台横でいい歳をしてかぶり付くことにしました。

置戸を出ると峠越え。池北峠に挑む鉄路はこころもち緩やかに見えます。
もともと険しくないと言うこともありますが、「網走本線」としての貫録でしょうか。蒸気時代に幹線として建設されたわけですから、勾配や曲線に余裕があるようです。このあたりは九州の肥薩線と似ているわけで、あちらも旧鹿児島本線としての由来ゆえ、大畑のループや真幸のスイッチバックを除けば、築堤で勾配を緩和した堂々たる面があります。

サミットはこの辺り(置戸→小利別)

置戸を出てすぐに人家が絶え、サミットをはさんで人跡未踏の地のような峠越えが20分近く続きました。
小利別では「鉄」らしき降車客がいましたが、陸別で交換する快速「銀河」で折り返すのか、2時間後の716Dで進むのか、定かでありません。私はこのまま714Dから「スーパーとかち12号」につなぎますが、今夜の「はまなす」乗車であれば716Dから「スーパーおおぞら12号」で南千歳乗り換えで帰れるので、小利別に降りるという手はありました。まあさすがにそこまではという思いがありましたが、今にしてみれば降りてもよかったかもしれません。

陸別に到着したのは15時53分。7分停車で快速「銀河」と交換です。
ここでの降車が多く、座れました。見ていると降車客には一般客が目立ちました。十勝と北見の支庁境が置戸との間にあり、地域間の流動はない、というのが定説ですが、確かに広域流動は皆無に等しいのでしょうが、ミクロで見ると置戸近辺で対札幌を池田経由で案内していますし、陸別から置戸や北見へ買い物や通院という流動はあるようです。陸別は十勝側ですが、帯広と北見を比較すると、池田乗り換えで必ずしも接続がよくない帯広よりも北見のほうが行きやすいでしょうし、運賃も安いです。

往年の陸別駅(1986年8月撮影)

交換シーンを撮影して、と言いたいところですが、同じことを考えてか先頭部に陣取る人が多く、結局撮りませんでした。駅舎部分は「道の駅、オーロラタウン93りくべつ」となっており、観光物産館、開拓者の記念館、宿泊施設が併設されており、ここに泊まって氷点下30度を体験するというのもいいかもしれません。

「道の駅オーロラタウン93りくべつ」兼「陸別駅」

クリスマスの名残か大きなリースが飾ってある小洒落た建物は「道と鉄道の駅」という触れ込みですが、ホームに出ると昔からの「陸別駅」が残っています。このあたりは道の駅の案内に整備主体と事業費の出元についての説明がありますが、一体のように見える道の駅ですら市町村振興、地方道路予算、農林関係予算とエリアによって峻別されており、鉄道関係の部分も一括整備するわけにはいかなかったのでしょう。

左下に予算別の整備区分が...

16時ちょうど、陸別発車。冬の夕暮れは早く、薄暗くなってきました。
そういえば仮乗降所上がりの駅の写真を撮っていなかったことに気づき、次の薫別の写真をかぶり付きから撮りましたが、ここまで来ると旧北見局内のような簡素なものではありませんでした。まあ薫別自体はその道には有名な秘境駅のようですが。

薫別駅

このあたりからは足寄町に入ります。かつては、というか今もですが松山千春の出身地として有名で、昨今はあの鈴木宗男議員の出身地としても有名になっています。そういえば生家は大誉地だそうですが、そこに「鈴木踏切」があるや無いやで話題になりましたが、北海道のような人口希薄地域では、字名もなかなか無く個人宅が立派なランドマークになるわけで、踏切を「66km地点踏切」にでもしない限り、最寄のランドマークである個人宅名を拝借するしかないわけです。その最たる例がバス停で、「鈴木家前」「鈴木宅前」というような命名が茶飯事なのです。

その大誉地を経て足寄に着いたのは16時38分。20年前の比較もあって降りてみたい気もしましたが、そのまま乗車。
都会のような駅ですが、ホールと展望塔併設だそうで、橋上駅ではありません。もし橋上駅だったらかの事件の頃は何を言われていたことやら...
そして2つ先の本別で715Dと交換のため7分停車。足寄と半々に振り分けてくれたらと思うのですが、ここの目玉は昔懐かしい木造の跨線橋。白熱電灯に照らされたその雰囲気はまさに汽車の時代です。ただ駅舎は新しく立て直されており、このギャップもまたすごいです。

本別駅の木造跨線橋

完全に日も落ち冷え込んできているのですが、先程から窓辺に肘を持たせかけていたらセーターが貼り付くような感じを覚えます。窓が汚れているのか、と最初は考えたのですが、これがどうも窓の凍結で、人いきれで曇った窓の水滴が、日没後の冷え込みで凍っているのです。このときセーターの細かい毛が一緒に凍結して貼り付いたようです。
それではたと気づいたのですが、ふるさと銀河線の車両は北海道仕様の定番とも言うべき二重窓ではありません。デッキも無く、二段式の開閉窓で厳寒期の午前中や深夜に耐えられるのでしょうか。車内の暖房をガンガン焚けば良いとは言え、あまりの寒暖差はガラスの強度を下げますし。

凍り付く普通の二段サッシの窓


本別を出ると右手にナトリウムランプが煌々と輝くエリアが見えます。先程仙美里のあたりで見えた道東道のインターのようです。「宗男道路」とか喧しい道路ですが、やはりというか国道自体の通行量も少ないので、ヘッドライトの灯りが見えません。ただ、名誉までに言うと、通行する車両はありました。
窓も凍り、闇の中を走る714Dのゴールが近付いてきました。窓の外を5分差で乗り継げない「スーパーおおぞら10号」の灯りが流れ、しばらく根室線と並行すると17時34分、池田に到着です。

運賃表示の最終形...

車内の運賃表には全駅分の運賃が並び壮観ですが、3410円という金額が平然と並んでいるのもすごいです。
降車時、乗車券を回収して乗車記念証を兼ねた乗り継ぎ券を配布しており、乗車券を収集している人には厄介な関門ですが、普通の旅行者には良い記念でしょう。

ホームに降り立つと、999塗装の車両をバックに記念撮影をする人、記念に車両の写真を撮る人と、思い思いにおそらく最後になるであろうふるさと銀河線との別れを惜しんでいる姿が印象的でした。

別れを惜しむ旅行者に見守られて(池田)


その3へ続く



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