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北海道旅行記2005(その3)


雪の札幌からは「まりも」で道東に向かいます。3日目は釧網線からちほく高原鉄道を巡る旅。そして「はまなす」からの乗り継ぎで帰京しました。 ちほく高原鉄道の乗り歩きは別稿 ということにして、それ以外の様子です。

雪を払って出発進行(網走)


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<3日目行程>札幌(「まりも」)釧路(釧網線)網走(石北線)北見(ちほく高原鉄道乗り歩き)池田(根室線)帯広(「スーパーとかち」)札幌(「はまなす」)青森(東北線)八戸(青い森・IGR)盛岡(東北線)一ノ関(東北線)仙台(「仙台シティラビット」)福島(東北線)郡山(「やまびこ」)大宮(湘南新宿ライン)池袋


●「まりも」の一夜
23時発の「まりも」は183系気動車に寝台車を2両連結している北海道独自スタイルの夜行列車。普通車を2両増結した7連ですが、自由席も特に混乱はない感じです。
今宵の宿はその寝台車。普段はケチな私が張り込んだなというところですが、冬季の「まりも」は寝台料金が3000円ポッキリになるサービスをしており、繁忙期指定席との差額は2290円に縮まりますから使わない手はありません。そのせいでしょうか、今宵満席の寝台車、ほぼ1ヶ月前の段階で上段しか空いていませんでした。

札幌駅で発車を待つ「まりも」

8年ぶりとなる寝台車に乗り込み、もう先客がいる区画に行き、とりあえず荷物を上げました。
そこからが難儀で、荷物を上げる前にベッドメークをすべきだったと悔やむような狭い空間でマットレスを敷き、シーツをかぶせ、毛布をセットします。明日は極寒の道東巡りなので、ここで耐寒装備に着替えもします。さらに備え付けの浴衣を羽織りと思わず足腰が攣りそうになるようなアクロバティックな動きを繰り返してようやく着替えも完了すると、車掌の検札。直後置いたはずのきっぷ入れがなくなって青ざめましたが、毛布をかけなおした風圧で飛んだのか、床に落ちており、無事回収。
カーテンを閉めるとのぞき窓もない空間では寝るしかなく、早寝となりましたが、余裕ある空間と言う触れ込みで32年前に登場した「2段ハネ」でこれですから、往年の3段寝台はどういう感じだったのでしょうか...

翌朝は白糠を出てあと20分程度という5時半の放送で目が覚めました。
洗面所に行くとデッキは身を切るような寒さ。身づくろいをしているうちに釧路到着の放送とあわただしい降車でした。
5時50分に到着すると接続の網走行き、根室行きともに地下道を通っての乗り換え。降車客が一斉に走るなか負けじと走って乗り込みましたが、大半は根室行きに吸い込まれてゆきました。
どちらもキハ54の単行ですが、根室行きは立客でいっぱいで発車しており、冬こそJRでも6時前から立たされるのではかなわないでしょうに、こういうときこそ増結して「鉄道の良さ」を知ってもらって、冬以外の利用につなげるべきなのに分かっていません。

4726D車内

●釧網線を行く
さて、釧網線を回ったのはいうまでもなく車窓の良さです。釧路口から入るとまずは釧路湿原の茫洋とした風景が車窓に広がるはずです。
しかし、満員で発車した快速「はなさき」に遅れること4分、5時59分に釧路を発車した4726Dの車窓は真っ暗です。道東の朝は早いはずで、夏場なら3時台から薄明るくなるのですから、冬至過ぎのこの季節でも6時なら明るくなっているという読みがありました。
しかし見事に外れたわけで、東の空がようやく白む程度。湿原は列車から見て西側ですから暗いままです。

白みつつある釧路湿原

東釧路を出てしばらくは新興住宅地が見え隠れしますが、20年前はもうこのあたりは湿原だったはず。湿原の縁に人間が侵食してきています。夏場は臨時停車する釧路湿原駅を挟んだ遠矢から細岡のあたりがハイライトなんですが、曙光すら得られません。
することも見るものないのでここで朝食。昨夜札幌で買っておいたカニ系の駅弁で、ズワイガニ、毛ガニ、タラバガニの三種揃い踏みという触れ込みの弁当で、朝から食うものかという感じはしますが美味しかったです。

湿原展望台から見た釧路湿原(1991年9月撮影)

そしてようやく白んできた頃、塘路に着きました。4721Dとの交換で5分停車なので外に出てみます。冷たく乾いた空気が肌を切りますが、感覚が麻痺したのか寒いとか痛いとか感じません。あとで気象台のデータを見るとこの日の6時から7時頃の気温は釧路で氷点下15度、この先の標茶で20度程度というわけで、おそらくここも氷点下20度程度だったのでしょう。

零下20度の世界(塘路)

タンチョウ飛来地の茅沼手前で「タンチョウも住民もSLの煙は嫌いです」の看板を発見した件は 別稿 で述べました。
そこそこ乗ってる乗客は鉄関係というよりも帰省客の装いで、結局標茶や摩周(弟子屈)で降りてゆき、硫黄山が噴煙を上げる川湯温泉でついに4人になってしまいました。

後方に川湯硫黄山間近では荒々しい岩と噴煙が上がる(1986年8月撮影)

湿原が終わってからは原野というより森林エリアを通る感じで、摩周の前後では獣道になっているのか、エゾシカの集団が直前横断したようで、列車は警笛を挙げて最徐行するなど、白一色に見えて飽きない車窓です。

エゾシカの集団

川湯温泉からは15分かけての釧北峠越え。鉄道にやや並行して国道391号線が並行していますが、番号を見て分かるとおりの脇街道であり、事実上鉄道が孤独に峠を越えています。自動車交通は観光ルートでもある藻琴峠や美幌峠を越えていくなか、原生林のなかを15分かけての峠越えは味があります。

釧北峠越え

ようやく緑に着き、札弦、清里町と進むと平野が開けて斜里岳や知床の連山が見えるのですが、今日は雲の中。網走支庁に入り流動が変わると乗客も少しずつ増えてきました。
8時31分に知床斜里着。3分停車で知床観光の客を受けるかと思ったらあまり多くなく、かわりに補習か塾でもあるのでしょうか、中学生の集団が大量に乗ってきました。騒がしく問題集を集団で解いていますが、ひときわ声が大きいのは姉御肌の女子生徒で、気の弱そうな男子生徒がいいように使われていました(苦笑)

鉛色のオホーツク海北浜駅付近

峠越えのあとのどかな田園風景というか中だるみ気味の車窓でしたが、ここからは最後のハイライト、オホーツク海です。
小清水の原生花園をはさみ、車窓にはオホーツク海が広がりますが、流氷にはまだ早く、白波を上げる鉛色の海が付いてきます。
駅裏がすぐ砂浜ということで有名な北浜は、防砂用の柵がちょっと障る感じ。20年前に来た時にはもっと汀に近かったように思ってましたが、距離がありました。

鱒浦を過ぎて海が去り、網走まで乗るかと思っていた中学生は仮乗降所あがりの桂台で下車したのは意外。市街地にはこちらが近いのでしょうか。最終コースになって空いてしまった4726Dは9時18分に網走に着きました。

おまけ画像。有人駅時代の磯分内駅
交換列車(急行「しれとこ」)を待つ駅長と牛


●ちほく乗り歩きの前後から
ここからは北見への移動ですが、9時半の特急「オホーツク4号」でも10時15分の4658Dでも接続は変わりません。ちょうどこの時間帯、日中最大、2時間40分の大穴に当たっているからです。女満別、美幌もかつて降り立った街でもあり、結局10時15分まで待ちました。
到着した列車を写真に収めようとしたら、雪まみれの最後部を作業員が箒で丹念に雪落としをしていました。そして「しれとこ」のヘッドマークを装着しており、折り返し釧路行きの快速になるようです。

雪落としの真っ最中網走駅構内除雪中

遠軽行き4658Dを待合室で待ってましたが、列車別改札をいいことに?、ホームに辺りかまわず雪を吹き付けるように除雪用のモーターカーが構内を除雪しています。屋根がないところだとホームもかなりの積雪です。

ようやく改札の時間となり案内に従って4658Dに乗るとキハ40の単行。半分程度の入りでした。北見までの1時間ちょっとの旅ですが、氷結した網走湖にワカサギ釣りのテントの花が咲いていたり、開発局による河川名の看板が、JR北海道の駅名標タイプだったり、いろいろ発見がありました。

網走湖のテントの花常呂川の駅名標ならぬ河川名標

DMVの試験をしていた西女満別ではモードインターの痕跡を探しましたが雪に埋もれているのか発見できませんでした。女満別を過ぎると高規格道路である国道39号線美幌バイパスと交差しましたが、この先も白滝からは道央道比布JCTへ向かって高規格道の整備が続いており、石北線自体のポジションも微妙になっています。
ちほく高原鉄道の高速化が石北線の衰退を招くとして却下された経緯がありますが、ちほく高原鉄道が消えても道路との競争、いや、道路との格差が開きつつあります。その中で唯一国鉄時代からのキハ183系原型車をメインにしている「オホーツク」の厳しさは募るだけといえます。

「スーパー」化もされず孤軍奮闘の「オホーツク」

北見市街は石北線の立体化で市街分断を解消していますが、東側が高架線、西側が市街地トンネルというのはユニークです。
ただ。列車頻度もさしてない線路を単行気動車が走る様を見るとそこまで必要だったかという気もします。それでも端野、愛し野、柏陽と2km前後で駅があり、住宅もそこそこあるのを見るとこれでいいのかもしれません。

11時21分に北見に到着してからは北海道ちほく高原鉄道を乗り歩き、池田に着いたのは日も暮れた17時34分。接続は既に停車中の2528D芽室行きですが、5分前に特急「スーパーおおぞら10号」が出ているのはいかがなものか。高速化はなりませんでしたが石勝線ルート接続をまがいなりにも謳っているというのに、厳しい現実です。
2528Dは「スーパーおおぞら10号」退避のおかげで乗り継げるという感じ。ちほく高原鉄道からの乗り継ぎ客を受け入れても座席がさらっと埋まっている程度。日没後の移動区間が多いものの、釧路から帯広で「狩勝」乗り換えで旭川、滝川に抜けられるというのに、ちほく高原鉄道関係を除けば鉄らしい顔が見えず、「乗り鉄」自体が減っています。

地上駅時代の帯広駅(1986年8月撮影)

30分ほどで帯広到着。予備知識なしで到着した帯広は2面4線の高架駅でした。そして驚いたのは階段下のコンコース、いや、コンコースがなく各島式ホームから降りたところに改札があること。宮崎駅のような構造ですが、高架下の商店街が東西にあり、その真ん中の細長い通路部分に改札が面しているという構造は、十勝の拠点駅としてはなんか寂しいです。
ちょうど18時18分の定時から10分ほど遅れて札幌からの「スーパーとかち9号」が到着しましたが、久々の帰省となった家族を迎えに来たのか、降車客も多かったけど、出迎えも多く、ざっと見で300人程度が集結してましたが、メインの改札とその前のコンコースという構造でないため、出迎える側も到着した側も落ち着かない感じで、そそくさと駐車場のほうに去って行きました。

通路の両脇が改札という味気ない構造


●「異質」な振り子気動車
その「スーパーとかち9号」の折り返しとなる「スーパーとかち12号」に乗りますが、まだ改札まで時間があります。
そろそろ土産を求める時期で、十勝銘菓、というか道内でも有数の銘菓となった六花亭のマルセイバターサンドを買い求めました。あとはネーミングに惹かれた?「防風林」、会社の土産にして職場で食すると、ゴーフルのようなお菓子で、防風林の樹木型に焼き固められていましたが、すごいネーミングです。

高架駅の帯広で発車を待つ「スーパーとかち12号」

19時10分に帯広出発。2両増結の7連でしたが、自由席はガラガラ。先頭車の次位がまた先頭車というのは、貫通扉付きながら高運転台の「特急型」先頭車では異様です。
サッポロクラッシックビールとつまみを買って乗り込んだのですが、座席前のポケットの車販案内を見ると内容が充実しています。各方面の特急列車ごとに上下で違えた特殊弁当があるようで、上り「スーパーとかち」は中札内の地鶏の梅肉焼きをメインにした洋風の弁当。JR系のホテルノースランド帯広とJR北海道の共同開発だそうで、やって来た車販ワゴンにそれを見つけて買い求めましたが、850円の値段とは思えない良い出来でした。

芽室、十勝清水と停車して新得に至りますが、この芽室、帯広まで乗った列車もそうでしたが行先になる列車が何本かあります。池田駅や車内で聞いて戸惑ったのですが、この「めむろ」の響き、根室に良く似ています。釧路以西で根室行きは存在しませんが根室線ですし、何よりも根室は名が通った地名ですから「めむろ行き」とは紛らわしいですね。
ちなみに芽室の先の御影で下り特急待ち合わせで運転停車しましたが、こちらは紛らわしいというよりも「御影で特急待ち」とは地元阪神のような感じに聞こえました。どうも3日目にしてホームシックでしょうか(苦笑)

新得を出ると狩勝越え。新狩勝トンネルまでのあいだ、雄大にカーブを切って高度を稼ぎます。昼間なら雄大な風景が広がり、旧線時代から日本三大車窓として親しまれてきた区間です。やがて遠くに新得の街の灯りが見えてきますが、連なる灯りが条里で区切られた北海道の街を描き出していました。

狩勝峠越えの車窓(1986年8月撮影)

新狩勝トンネルに入ると青函トンネルばりに窓が曇ります。そしてトンネル内で根室線滝川方面と分岐して石勝線に踏み出します。帯広を出てから快調に飛ばすキハ283系振り子気動車の歩みは快調で、狩勝越えも楽々越えました。そして振り子特有のぶん回すような揺れもさることながら、気動車とは思えないような金属質かつ高音のエンジン音が始終轟いており、これは気動車と分かっていながら、五感はそうであることをまだ受け入れていないようで、それだけ「別の乗り物」然とした走りなのです。

ただ、やはり何かしらの感覚が慣れないのか不快に感じる人もいるのでしょう。同じく帯広から乗車した子供連れがいましたが、札幌下車時にちょうどその席の前を通ったところ、子供でしょうか、戻していた痕跡がありました。
そこまでして早く走る必要があるのかと思う反面、バス、クルマや航空機との競合が激しい現状、屋台骨の都市間輸送を失ったら会社の存在自体が危ういわけで、そういうジレンマを抱えながらの爆走なんでしょうか。

「スーパーとかち」車内

列車は十勝清水から新夕張まで連続停車となります。スキー場とタワーの灯りが輝くトマムでは高校生らしいグループが下車。卒業旅行なのか、それにしては時間が遅く、何なんでしょうか。
途中すれ違った「スーパーおおぞら11号」は帰省のピークなのか、実に4連増結の10連での運行でも満員のようです。こちらは新夕張を出ると旧夕張線規格のカーブ区間となり、再び振り子の威力というか魔力に身をゆだねます。
21時を回った南千歳では降車する人も少なく、千歳線をひた走ります。上野幌あたりからはマンションや住宅街の灯りが連なる近郊風景となり、首都圏の電車駅のような新札幌に停車し、21時39分に札幌に着きました。

●離道、そして帰京
ホームに降り立つと向かいにはもう今宵の宿となる急行「はまなす」がいます。21分の待ち合わせですからいったんコンコースに下りてビールなどの夜食を買い込み、指定されたドリームカーに乗りますが、前夜同様の増結で10連。早めの予約が奏功して帰りもドリームカーです。
停車中に検札を終え、22時に発車。短いようで充実した北海道もこれでお別れです。指定席、寝台車は満席と繰り返す中、ドリームカーの乗客に苫小牧で降りた乗客がいたのは意外です。苫小牧からの乗客がいたのでうまくはめ込めたのでしょうが、通勤客然としたその姿は浮いていました。

札幌駅で発車を待つ「はまなす」

苫小牧を出ると車内も落ち着き、やがて眠りに落ちましたが、函館でアナウンスが入り、寝付けない乗客が19分停車をいいことに動き出したので目が覚めてしまいました。そのまま向きが変わって発車してからは眠ったようで、5時過ぎ、蟹田通過のあたりでのおはよう放送で起きました。

大晦日の朝となり、青森到着はまだ暗い5時35分。接続案内で、特急「いなほ8号」新潟行き、とあったので、羽越が開通したかと思いましたが、これは車掌のミスで、青森駅の案内は酒田行きということでした。
対面接続が「いなほ」で、八戸行き「つがる」が階段を渡って乗り換えというのは早朝からしんどい話です。5時52分発の「つがる2号」は空席をふんだんに残して発車してゆきました。

八戸手前での東北新幹線青森延伸工事

あまり深く考えずに6時10分発の八戸行きを待ちますが、電車ではなく気動車なのでオールロングの701系ではありません。当初は東青森か浅虫温泉あたりでひと浴びしてとも思ってましたが、疲れが出ており真っ直ぐ帰ることにしました。
それにしても入線が遅いと訝しんでいると、この列車は実は蟹田始発で322Dと1524Dは実は1本の列車でした。列車はキハ40系の4連で、ゆったりと八戸までを過ごせました。

くどいほど青春18使用不可青い森鉄道車両の盛岡行き

八戸で小休止して朝食を摂り、8時54分の青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道4522Mに乗車。くどいほど「青春18きっぷではご乗車になれません」と書いてありますが、わずかな+αで新幹線経由にされるくらいなら、青春18専用の割引片道券でも出せば良いのに。
そのせいか2連の電車は半分も埋まってませんでした。
ちなみに私のきっぷ(かえり券)は、「目時経由」、つまり青い森・IGR経由になっており、問題はありません。もっとも当初買えるか一瞬六甲道駅員が逡巡してましたが、「北斗星」「カシオペア」利用のケースがあるから買えるはずと尻を叩いて発券してもらった経緯があります。

東北新幹線が一瞥して去る(金田一温泉)

十三本木峠を越え、いわて沼宮内付近から乗客が増え、盛岡に着くころには立客多数。盛岡駅は山田線ホームに間借りしたような別改札になっており、駅ビルの階段をあがってJR改札に行くのはしんどい話です。乗り継ぎの一ノ関行きは既に満員でしたが、何とか空席を見つけて座りましたが、花巻であらかた降りてしまい、ロングでの詰め込みも致し方ないのでしょうか。
一ノ関でさらに仙台行きに乗り継ぎ。4連固定の701系というのも当初の趣旨を考えると邪道な編成です。昼時なので一ノ関の「うにごはん」をガラガラのロングシートで遣いましたが、900円とウニにしてはお値打ちなわけは、蒸しウニで、しかも添え物が頑張っているせいでした。

4連だとさすがに仙台まで余裕を保って到着。乗り継ぎ筋の目玉だから混むかなと思った15時の快速「仙台シティラビット76号」も455系の3連ながらガラガラ。13分前の白石行き普通が遅れていたのか岩沼で当たってしまい、そこからノロノロで快速のありがたみが薄かったです。
さらに719系の黒磯行きに乗り継ぎ、黒磯、宇都宮で乗り継げば池袋は21時6分、というところで、大晦日の日も暮れて何をやってるんだ、という思いが急に過ぎり、郡山で新幹線に乗り換えました。大宮までつなげば池袋は約2時間早い19時10分です。
ところが特急券を買って改札を通り、弁当でも買ってと売店を見るとほとんど売り切れ。まあ大晦日の夜ですから早仕舞いでしょう。残っていた「小原庄助弁当」は東北新幹線開業当時からの老舗駅弁ですが、新幹線の中で遣うと内容が貧弱。正月前、通常の材料がなくて手を抜いたのか、はたまた日頃からそうなのか。当時のコストパフォーマンスが良かっただけに残念です。

快速「仙台シティラビット」

その新幹線、「Maxやまびこ・つばさ122号」は遅れてました。山型新幹線の雪の影響だそうですが、下り線側も「つばさ」単独列車がホームに入っています。通過列車が一時的に入線したようで、乗れない旨を繰り返していますが、どうも福島駅構内の「単線」が悪さをしているようで、私がこれから乗る列車が出ないと「つばさ」を福島に向かわせても入線できないためここで抑止しているようです。
結局19分遅れとなりましたが、大宮では何とか予定の湘南新宿ラインに乗り換えて久々の北海道旅行は終了しました。
ちなみに、早朝に青森で見送った「つがる2号」に野辺地まで乗っていれば、後は普通乗り継ぎで同じ湘南新宿ラインだったようです。初っ端の気動車普通が小1時間電車より遅いということもあり、こういう結果になるのですが、まあ終わりよければ総て良し、雪害にも遭わずに無事に到着したということです。

まあ交通論とか難しいことを抜きにしたお気楽な旅行も良いものです。ただ、北海道となると次はいつになるのでしょうか。前回同様9年後だとしても行けるだけマシという気がしてくるのは悲しいところです...










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