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三江線「乗り歩き」
中国地方きってのローカル線である三江線。乗り通すだけでやっとと言う路線ですが、2005年秋、クルマと組み合わせて「乗り歩き」を楽しんでみました。2003年にも沿線をクルマで走っており、鉄道利用だけでは味わえない沿線を楽しんできました。
石見都賀駅での交換 |
※写真は2005年9月撮影
※2006年7月17日 補遺
●石見川本を経て美郷(粕淵)へ
別稿の
バスストップ
や
インター巡り
と組み合わせて江津の街に至ったのですが、有料ではない国道バイパスの江津道路から三江線に沿って走るR261の分岐がはっきりしません。
結局R9旧道に合流してから戻る格好で分岐するように見えたのですが、立体交差の場所に短絡路があり、すんなりR261に入りました。このR261、江津から川本まで三江線に沿った後、瑞穂、大朝、千代田を経て安佐(飯室)に至りますが、朝方バスストップ巡りをしたエリアで走ったのもR261、同じ道の両端を走ったわけです。
R261を行く |
江の川に沿って走っているはずですが、堤防が高く川面が見えません。三江線は対岸の左岸を走っていますが、もう少し眺めがよかったように記憶しており、ちょっと残念です。
川戸(桜江町→江津市)を過ぎると江の川が見えてきます。川沿いに行く単調なドライブです。因原でR261は右折側に道をとり江の川を渡って大朝へ向かいますが、県道40号線となったこちらの道も規格が落ちると言うこともさほど無い感じで進みます。
川本の手前で細い橋で江の川を渡り市街地に入ります。県道の表示に従って進みますが、地元のクルマはみな左手の路地に吸い込まれており、どうも駅前を回る抜け道があるようです。
川本のすぐ東方から川本方向を見る。右手に江の川 |
川本の街ですが、取り立てて栄えている感じもない小さな市街地であり、それが三江線沿線で最大の街であるところに三江線の苦境が見えます。狭い県道沿いに並ぶ市街地もすぐに果て、線路と交差しますが、川本までと違い、三江線も県道も左岸に位置します。
石見銀山を経て大田に向かう県道31号線を分けると、道路はてきめんに悪くなりました。このあたりの道路交通は広島、大朝から来るR261と、川本(因原)で分岐して大田に向かう県道と言うのが主要な流動であり、2005年6月いっぱいで廃止になったJRの高速バス(広島−江津、大田市)もそのルートでした。川本から邑智(美郷)に向かう三江線と県道は流動から外れたルートでもあり、三江線の線路が立派に見えるような江の川に張り付いた悪路が続きます。
三江線から見た県道 | 江の川に張り付く悪路 |
普通車同士のすれ違いもままならない悪路をいくかと思うと乙原付近では突然バイパスになっておりよく分からない状態。正面に名峰三瓶山を望みながら粕淵の街に入りました。
三瓶山 |
●木路原往復
大田から三次へ抜けるR375、さらに大田から三瓶山を経てくる観光道路、R54赤名へ抜ける主要道が集散する粕淵は交通の要衝、とは言っても流動の絶対数が少ないのでのんびりしています。
かつては邑智町だったのですが、大和村と合併して美郷町になっています。おもしろいのは同じ三江線沿線で大和村の南(広島県境側)にある羽須美村が瑞穂町、石見町と一緒に邑南町になったこと。三江線、R375よりも県道で瑞穂町(出羽)に抜ける流動のほうがメインだったということでしょうか。川本−粕淵の悪路と合わせて、流動に即していない路線と言うことが見て取れます。
商工会館に間借り?している粕淵駅 |
高台の新市街と言う趣の中心街から旧道を辿る格好で谷筋に下がった粕淵駅に向かいます。
商工会館と同居、というか駅が完全に間借りしている感じです。窓口があり、時間帯によっては開いてる感じですが、掲出されている廃止されて久しいJRバスの時刻表、時刻はさすがに消されていますが備考欄の表記が残っているのがわびしいです。
窓口。左手の掲出はJRバスのもの |
ホームに出ると1面の簡単なもの。それでも待合室があります。
13時17分発、浜原始発の6452D江津行きに乗ります。この列車は土曜運転で、平日は浜原着の448Dがそのまま450Dで川本まで行くのですが、下校対応なのか土曜だけ450Dを大幅に繰り下げる格好で浜原以西が6452Dとなっています。ちなみに川本からは平日も土曜も454Dとなっており、乗り通すには平日は川本、土曜は浜原で3時間ほど待たされます。
江津行きがやって来た |
やってきたのはキハ120の単行。JR西日本のローカル線標準車ですが、トイレの無いのが玉に瑕、と思いきや、乗車口の前にトイレがあるじゃないですか。どうも改造で取り付けられているようですが、未改造のものもあり、この後乗った列車ではないケースもありました。
浜原で3時間待ちとはいえまがいなりにも通し乗車が出来るスジですが、ガラガラです。私を除けば地元の人だけで都合4人です。
トイレが付いたキハ120 |
粕淵を出てすぐに第一江川橋梁で江の川を渡りますが、ここにかつて架かっていたのが粕淵第一鉄橋。「昭和47年7月豪雨」は江の川流域に大洪水をもたらし、1972年7月12日未明、三江北線(当時)は粕淵第一鉄橋など各所が寸断され、明塚−浜原間は1974年12月29日まで実に2年半に渡り不通になっています。
この大水害の教訓もあり、沿線の集落は高い堤防で守られており、三江線は集落入口の堤防のラインで閘門を通っています。粕淵の集落が小高い丘の上にあり、旧道沿いの駅が坂の下にあるのも、水害の教訓でしょうか。
第一江川橋梁 |
バイパスで抜けた乙原の集落は江の川が湾曲した跡の平野でしょうか、丹塗り色の石州瓦がまぶしい集落が印象的です。
滔々とした江の川の流れを見ながら竹を経て美郷と川本の境を越えると木路原。川本まで行ってもいいのですが、この名も無い小駅で折り返すことにしました。
石州瓦が美しい乙原の集落 | 竹駅 |
隣の竹もそうですが、小さな集落が駅前にあるだけ。ホーム上の上屋部分がありそこに椅子があるだけの駅。それでも掲載の運賃表に「大阪市内」に「東京都区内」まであるのは全国ネットワークの一員と言う意地でしょうか。
そして2005年4月の尼崎事故のお詫び文。アーバン区間と同じく9月のバージョンになっており、償っても償いきれない重大事故はこんな小駅にも影を落としています。
木路原駅 |
帰りは447D浜原行き。同じくキハ120の単行ですが、車内は似たり寄ったりのガラガラ。三次直通は1本後ですから地元の人しか乗りませんし、並行する県道が悪路で、交通量も少ないうえに、バス路線も川本−粕淵間にはなく(美郷町のスクールバスが粕淵から竹まで来ている。平日朝のみ川本駅まで入る)、流動の絶対数がないのです。
列車も「雨15」こそなかったものの、基本的に30km制限のようで、ほとんど放置された感じです。
ちなみに石見梁瀬駅の料金表、「潮」が「湖」になっているのはいかがなものか...
●潮へ
粕淵に戻り、再びクルマの旅です。
次の目的地は潮。駅近くに温泉があり、入浴して三江線に乗って、宇都井で折り返して、と言うプランです。
で、邑智郡エリアの情報サイトである
まめなかネット
でいろいろ調べてみたところ、粕淵は石見交通のバスがあるようです。R375経由と三瓶山経由で大田とを結ぶ路線があり、さらにR54赤名、そして三江線石見都賀付近を結ぶ路線があります。
最後の路線は石見都賀で備北交通の三次行きの路線と接続しており、本数は少ないし接続もいまひとつながら、バスだけでの通り抜けも可能になっています。
このバス路線がいい塩梅にあることが分かりました。潮にクルマを停めるつもりでしたが、石見松原に停めるとバスを使って潮に戻ることが可能で、1駅多く回れます。粕淵を出て向かった先はそういうわけで石見松原になりました。
さて浜原ダムを巡る旧道経由で浜原に向かったのですが、ダム湖のところで落石通行止。すごすごと引き返し、浜原へ。かつての三江北線の終点ですが、1975年8月30日の全通を記念する碑がありました。2年半の不通を経て間もない全通は沿線に明るい話題をもたらしたんでしょうが、陰陽連絡ルートとして脚光を浴びることは一度も無かった、あだ花のような開通ともいえます。
浜原駅。正面の石碑は全通記念碑 | 浜原駅停車中のキハ120 |
石見都賀方面に向かうバスがいましたが、本来は11分も差があって鉄道の浜原止からは乗り継げないはずのバスですが、遅れていたのでしょうか。そもそも接続すれば数少ない交通機関同士が補完する良い関係なんですが。
R375を行き石見松原へ。駅入口の看板を見て、バス停の位置を確かめると駐車場所を探します。国道沿いに適当なスペースが無く、いったん路側の駐車帯にとめて駅のほうへ歩いて偵察したところ、細い道を行けば何とか駅前に入れそうで、そこにはスペースもありました。
やれやれと安堵して潮温泉に戻ります。温泉に入り、石見松原にクルマを停めて、バスで潮に戻り、宇都井へ往復して松原へと言うプラン。その潮温泉は老人ホームや運動公園の脇にある一軒宿で、唸りを上げるボイラー室の脇を通って入った浴場は内風呂だけですがガラス張りで眺めも良く快適。「潮」と言うだけあって?塩分の濃い茶褐色の湯でくつろぎましたが、駅前すぐなのになかなか公共交通機関だけでは行けない温泉です。
都賀行集落からやって来た石見交通バス |
くつろいだ後は石見松原に向かい、クルマを停めてバス停に戻りました。
石見都賀からのバスはR375をそのまま来るのではなく、江の川の対岸にある都賀行の集落を回ってくるようです。右岸から見ると松原駅前よりも開けている感じで、そのうちに小型バスが走っているのが見えました。
やって来た石見交通バスは小型車。たんたんと走って潮に戻りましたが、福祉的意味合いもあるのでしょうか、運賃が安かったです。
●宇都井往復
浜原−口羽は1975年の開通区間、鉄道公団建設と言うことで高規格の路線で、高架上の単線ホームと言う潮駅は目の前が江の川。施設の銘板は1974年になっており、開通当時のままでここまで来て、これからも朽ち果てるまでこのままでしょうか。
やって来た451Dに乗車。カメラだけを提げた軽装で途中駅から乗ってきたのを見て、車内の太宗を占める鉄系や旅行者風の乗客がいっせいに注目しましたが、とはいっても人数的には4、5人で、通しのスジとはいえ青春18も使えないシーズンだとこんなものでしょうか。
江の川のほとりにある潮駅 | 江の川に張り付く三江線 |
江の川沿いに列車はたんたんと走ります。木路原へ往復した時と違い、スピードはやや速いです。石見都賀を出るとR375が林道のようにか細くなり、川本−粕淵間とともに並行道路未整備という大義名分を勝ち得た区間ですが、道路も閑散、鉄道も閑散としています。
江の川を渡って山間をトンネルでいくつか抜けると宇都井。下車する私に再び好奇の目が注がれました。
ホームから見た集落 |
宇都井は有名な駅です。高いレベルで山を貫く三江線が谷筋を渡る箇所にあり、その高い高架線に腹付けしたホームと地上を団地の階段か非常階段かという感じの階段室がつないでいます。折り返しの数は実に11、何階建てのビルに相当するのでしょうか。
階段室を内側から見る |
451Dが去ると、まずはホームから周囲を見ます。R375と江の川を挟んで並行する主要道と、瑞穂(出羽)を結ぶ主要道が分岐する地点にあり、集落はそこそこの規模です。谷あいの緑に石州瓦の赤がアクセントになっており、高いホームから見ると箱庭のような風景です。
宇都井駅遠景 | 駅前から宇都井駅を見る |
階段を下りて地上から駅を見上げます。農村に不釣合いな威容を持つ駅ですが、不思議と溶け込んでもいます。
あちこちから写真を撮っていると、地元のご婦人から「上に上がってみるときれいですよ」と言われましたが、観光ポイントにもなってるようですね。ホーム脇の階段室頂上にあるベンチには雑記帳がおいてありましたが、列車で来るよりもクルマなどで立ち寄る人が多いようです。
意外なのは構造的には高架橋と階段室が分離していたこと。下から見ると違う構造部というのがよくわかりました。
駅を真横から見る |
帰りは451Dが式敷で交換してきた460D。乗客は6、7人で旅行者中心。潮温泉を目指しているグループがいるようです。
石見都賀では453Dと交換。この三江線、浜原から三次の間、石見都賀、口羽、式敷で交換可能と、本数の割に交換施設がある印象です。
石見都賀駅前から見た列車 |
時間があるので駅前に出て見ます。個札なのでいったん支払って買い直しになりますが...
既に日も落ち闇が急速に迫る中、築堤の上にあるホームでちょうどキハ120が並んでいますが、三江線のこのもっともディープなエリアでの列車交換と言うのも希少価値があるシーンです。
そして再び列車に乗り、石見松原で降りましたが、運転士も含めて不思議そうに見ていました。
石見松原駅 |
●そして広島方面へ
駅前のクルマに乗り込みR375に出ますが、暗くなるとどこが路肩かも分から無い状態で切り回すのはスリリングです。
R375に入り一路三次方面へ向かいます。石見都賀までは良い道でしたが、そこからは既述の通りの道。実は三江線をくぐって短絡するようなルートにR375の標識がありますが、バイパスとして開通するどころかその先の工事も見えません。
【2006年7月17日補遺】この区間は作木大和道路として建設中の区間。県境の3233mの両国トンネルを含む改修で、石見都賀から口羽までの間を一気にバイパスしています。2006年5月30日に開通しました。標識のあった道路が作木大和道路でした。
林の中の1車線ギリギリの道を疾走しますが、対向車が無いのは助かると言うか、沿線の厳しさをいよいよ強調しています。
この苦しい区間は広島県に入って旧作木村(三次市)まで続きます。ただ、伊賀和志からは工事の関係でダンプも通るのか、交換所が要所に設けられ、次の交換所まで何メートルと言う表示もあるので助かります。
2003年のドライブはこのあたりは日中に通っており、江の川の眺めを堪能しましたが、今は闇。式敷でR433に入り、高宮方面に短絡するつもりでしたが、香淀付近にあった「高宮」の標識に従って入ってしまってからが迷走です。
R433ではないし、逆向きのような気もするわけで、遂に引き返し、R375の対岸を走りますが、なかなかR433にでません。ようやく見えた集落は式敷ですが、驚いたことに石見都賀で乗ってた江津行きと交換した453Dがいました。口羽で6分、そしてこ式敷で23分も停まってるとはいえ、狭隘区間がある道路を走るクルマに追いつかれるようでは先行きは非常に暗いです。
ここから三次へは集落の中の狭隘区間を経ていくことになりますが、今回はここまで。R433に入り、高宮から高田へ向かうのですが、高田ICと言う表示にハンドルを切って広域農道へ入ると、快適な道路で、そのまま高田ICのそばに出ました。ここまでくれば余裕があるので、旧美土里町の神楽門前湯治村で入浴して帰りました。
クルマと列車、そしてバスも絡めて乗り降りするどころか走破も難しい三江線をディープに乗り降りして楽しんできました。趣味的には楽しく、こんどは大田からバスで三次に抜けたいなと思ったりもしますが、現実に交通機関としてみたときには、川本から三次の間、いや、全線で見ても苦しい路線です。
川本−粕淵のバスを整備したらバス転換が妥当としか言いようが無いのですが、並行道路未整備というレッテルが生きているのでしょうか。とはいえ粕淵以南の狭隘区間は、路線バスが既に走っており、川本−竹−粕淵もスクールバスが走っています。
さらにバスも苦しい状態で、備北交通は羽須美、口羽から高宮経由吉田へのバスを走らせていましたが、2005年10月限りで廃止と、厳しい状態です。
【2006年7月17日補遺】三次から石見都賀まで来ている備北交通は、途中R54を経由し、三江線沿線は作木口から並行する。このため三次−作木口に残る狭隘区間には路線バスの設定は無いが、伊賀和志付近の旧R375と道路状況に大差はない。また、羽須美−吉田のバス廃止に伴い、県境の安芸高田市川根農協まで邑南町営バスが走り、以南に残った備北交通に接続するほか、船佐には高田IC方面の備北交通バスが入っている。
江津を向いているのは川本まで。邑智(美郷)は大田、羽須美(邑南)は高宮経由で吉田(いずれも安芸高田)、広島と、流動と合ってない線区ですから、非常に苦しいです。
隣の木次線観光戦略をとってますが、三江線は地理的にほかに観光を組み込めないところが苦しく、活性化も取りようがない感じです。
公共交通自体の存続を考えないといけない状態ですが、三江線はその中でどうなって行くか。誰もが将来像を書いていないような気もします。
宇都井を後に三次へ向かう... |
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