・P車解結可6連氏とは、車内で待ち合わせとします。ダイヤが乱れている中、西岐阜駅から次に来た117に乗車したのですが運よく車内で会うことができました。 ・大垣から、まずは本巣駅へ向かいます。予定では、北方真桑にも降りる予定でしたが、時間の都合上カットしたいという甚だ強いP車解結可6連氏の発言によって、却下となりました。
↑大垣駅のハイモ295-617号車。 ↑東大垣で交換(行き違い)したナガラ10・大垣では、なんと、樽見鉄道が所有している6両の車両のうち、唯一ボックスシート(座席が向かい合わせになっているもの)がついているハイモ295-617号車でした。幸運ですね。 ・ちなみに、それ以外の車両は、ロングシート(長いベンチのような椅子)となっており、旅情があまり感じられません。(車窓が見づらいため)。 ・ハイモ295-617の"ハイモ"とは"ハイレベルモーター"の略で、樽見鉄道独自の車両形式名となっています。しかも、この617号車は、第21旅でお世話になった"三木鉄道"(兵庫県)の中古車両です! ・車内では、雑談で盛り上がるなか、P車解結可6連さんの髙校の"現代社会"の中間テストを見せていただきました。いろいろな出題方式で密度が濃く、バラエティーに富んだ解きがいのあるテストで、それなりに難しく、良い意味での考察題だったと思います。同じ高校(進学校)でこれほどテストの内容に差があるとは… ・東大垣で、ナガラ10号車と交換しました。実はこの車両、樽見鉄道の車両が故障し、修理している間、暫定的に長良川鉄道からレンタルしてきた車両です。ゆえに、行き先表示が空白となっていますね。
↑モレラの広告が貼られたラッピング車両 ↑三木鉄道の中古車と長良川鉄道の借入車・横屋、十九条、美江寺、北方真桑、モレラ岐阜、糸貫と各駅に停車します。車窓の田園風景がのどかで、とても平和な国であるような気がしてしまいます。([中略]"あるできごと"が起きてシングルDXの人生を大きく変えることとなったのはこの9日後) ・[中略]なんて思いもせず、ほんとうに「自分は恵まれている。楽しい人生で充実している」と思い、この活動を全力で楽しんでいましたね。 ・その後、本巣に到着。この列車はここが終点ゆえに、一旦下車します。 ・左の画像は"モレラ岐阜"のラッピングが出されたハイモ230-314号車。そして、右の画像は三木鉄道から買った中古車と、長良川鉄道からレンタルした車両が、樽見鉄道の本社前に停泊しているという、微妙な光景です。
↑本巣駅。古めかしい駅舎がいい味出してます。 ↑本巣機関区というのは国鉄時代の名残か。・本巣駅で切符を買います。券売機からは、食券のような感熱紙に両面印刷された、エドモンゾン兼サイズの謎の切符です。(※エドモンゾン券→殆どの日本の旅客鉄道が採用している、乗車券の大きさのこと。エドモンゾンさんが発案した紙の規格であることに由来するらしい) ・本巣駅前の"本社"と"車両基地"です。TS_singleDXはこの中に入り、2階まで見学したことがあるのですが、1980年頃の時刻表がそのまま棚に残っていて、感動的でした。 ・シングルDXにとってこの駅は思い出深い駅で、樽見鉄道を守る会というNPO法人に加盟しており(現在進行形)、2003年に枕木交換、2005年に車体ラッピングの企画に参加し、活躍しました。 ・その"樽見鉄道を守る会"の会長として、我々を引っ張っていた髙橋順子氏とシングルDXはお知り合いで、大変お世話になっていたのですが、2007年9月に突然亡くなったという連絡を聞いて吃驚しました。亡くなる数ヶ月前に、このサイト(の元となるサイト)を閲覧したと電話を頂いていたのでとても残念です。
↑これのどこかに私の絵もありますよ。 ↑画像中央が、Yさんが足で書かれた"樽見鉄道の絵"・さらに偶然であるが、この絵を描いて車体ラッピングするという"高橋順子氏"の企画に私と共に参加し、車体の先頭の絵を描いた、身体障碍者のYさんとは、中学校1〜3年の美術と、中2、中3のとき副担任としてお世話になった先生の知り合いだったらしい。 ・ゆえに、1年生の"総合的な学習"の時間に、このYさんに来校して頂き、講和を聞いたり、3年生のときは、2年の美術研究授業で学校の美術室にY氏の作品を陳列し(現在は撤去)、鑑賞会を行ったりした。 ・"樽見鉄道を守る会"つながりで、高橋順子さんとYさん。その知り合いで私もお世話になった先生、そして出身中学に繋がりがあったということに、少々驚いた。偶然であります。
↑腐敗が進む14系客車の廃車体 ↑隣にあるのは、旧うすずみファンタジー号の展望客車・この画像は"14系客車の残骸"である。「てつさー」第2旅の活動で乗った"うすずみブルーライン号"の廃車体が腐敗し、このような残骸になったのだ。あのときは、車内のリクライニングシートが装備され、とても快適だったのに、廃車後このような状態で放置されているとは… ・トラベルライターの横見浩彦氏が関心し、評価した。それは、樽見鉄道が"日本最後の普通客車列車"を運行していたからだ。昔(戦前?)は、鉄道といえば汽車が客車を引っ張るのが当たり前であったが、徐々に"電車"へと移り変わり、わずかに残っていた"客車の普通列車"も1980年頃には消滅した。 ・そんななか、樽見鉄道は2006年まで普通客車列車を運行し続け、日本最後となったが引退したのである。もちろん、観光目的だったり、寝台特急などの客車列車は無数に存在する。しかし、通学や通勤を目的とした"鈍行列車"で、しかも平日は毎日運行を続けていたという樽見鉄道の事例は、奇跡に近い。 |