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日本の教育では、落ちこぼれの人をどのように救うかが重要なテーマの一つになっている。例えば、小学校でも勉強のできない子がいれば、どのようにして皆で助け合ってその子をできるようにするかが、教育の目的の一つになる。また、運動会でも個人別の勝負ではなく、クラス別にスコアを競い、クラス別の勝負になる。つまり、個人が持つ固有の能力を伸ばすことと、常に全体のことを考える能力を育てることが重要なのである。
ところが、ドイツでは小学校で約10%が落ちこぼれ、ふるい落とされる。四年制の小学校を卒業する時の成績で将来が決まってしまう。卒業後は、能力のある人はリーダーになる教育を受け、そうでない人は社会の下積みのような仕事を一生続けるための教育を受ける。
能力のある人はその能力を生かし、高い社会的地位につき、高い所得を得ることができ、能力のない人は、下積みの仕事をし、低い所得でがまんするのが、真の平等であるという平等観がその根底にあるようだ。
日本ではすべての人が和をもって集団を作り、老人、壮年、青年が、それぞれの役割を担い、能力のある人も、それに欠ける人も、同じように組織に参加し、集団の力を発揮することが望ましいと考えられている。
日本の平等観を欧米人が見ると、悪平等であり、個性を認めない、遅れた考え方だと言うだろうし、日本人が欧米の平等観を見ると、それは平等ではなく差別だと思うのである。
参考図書:竹内 宏(1986)「現代サラリーマン作法」新潮文庫, 新潮社, pp.29-30
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2003年10月26日 にほんごのひろば主人
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