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中国(杭州・紹興・上海)−13 蘭亭編
2004年10月10日(日)。三日目のこの日は、ハードスケジュールである。
ホテルを6時30分にチェックアウトして、タクシーで10分ほどで杭州駅へ。杭州を7時発の列車で紹興に行き、午前中から昼食まで紹興観光。14時過ぎに紹興駅から杭州駅に列車で戻り、さらに16時30分頃の列車で杭州を発ち、上海に19時前に着くという予定であった。
杭州駅
杭州〜紹興の列車
杭州から紹興は列車で40分程度だったと記憶している。前日に歩き回った上にこの日は5時30分起床。さすがに眠く、寝過ごしに注意しながら紹興に向かった。
<蘭亭>
紹興駅を下りて、まず向かったのが蘭亭である。紹興駅から蘭亭までタクシーで15分程度である。
蘭亭入口の石碑
蘭亭は王羲之(おうぎし)の縁ある場所である。王羲之は書聖と称されており、楷書・行書・草書を完成させた。
東晋の永和9年(353年)3月3日、王羲之は曲水の宴を、ここ蘭亭で催した。王羲之が集めた当時の名士41名は、曲水に盃を浮かべ、流れに乗せた盃が自分の前で止まると、その人は即興で詩を作る。作れないものは罰としてその場で盃の酒を飲み干した。「罰ゲームは一気飲み」というルールが1500年以上も昔から有ったことに、僕は感動を覚える。人間は、いっこうに成長していないのではなかろうか。ちなみに 紹興酒一気 は僕も台北で何度か経験しているが、きついものである。
結果として26人が37首の詩を作り、その詩集の序を王羲之が書いた。それが有名な「蘭亭の序」である。原本は、この書をこよなく愛した皇帝の命により、墓の中に埋葬されてしまったため、現存していない。写しが残っているが、これは行書を学ぶ者の手本となっているそうだ。
蘭亭の入口からすぐのところに鵞池がある。「鵞」の字を王羲之が書いたところで、朝廷の使者がやってきたので、王羲之は筆を置いた。それを見た息子の王献之が「池」の字を書いたという。父子合作の石碑である。
鵞池
鵞池の先に、流觴曲水がある。盃を浮かべたのが、ここだ。約800年後、奥州藤原氏がこれを模して、 毛越寺 で宴を催している。
希望すれば、ここで文人の装束をまとい、曲水の宴を楽しむことが出来る。詩が得意で、一気飲みに自信の有る方はどうぞ。
流觴曲水
蘭亭の石碑は、康熙帝の書と言われている。文化大革命の際に破壊されたが、幸いなことに粉々にはならず、修復されたものだそうだ。
蘭亭の石碑
蘭亭の石碑の奥に、御碑亭がある。こちらはかなり大きな石碑であり、表面は康熙帝の書(蘭亭の序)、裏面は乾隆帝の書である。
御碑亭
康熙帝の書 乾隆帝の書
墨池は、王羲之が筆を洗った池である。
墨池
今の蘭亭は1548年に再建されたものであり、場所も異なっているというが、まあそんな細かいことは気にせず、1500年以上も昔の風流と言うものを味わっていただきたい。
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