このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

中国(杭州・紹興・上海)−16 魯迅故里編

 府山公園から魯迅故里までは、歩いて20分程度だったと記憶している。
 魯迅故里は、魯迅の生家である魯迅故居を中心に、魯迅の書籍を展示した魯迅紀念館、魯迅が子供の頃に通った塾である三味書屋などがあり、街並みも昔の雰囲気を残している。自動車は通行することが出来ず、入場するのにチケットを買わなければならないので、この一帯がいわば一つの博物館になっている。

魯迅故里の街並み
解放南路側
魯迅故里
中興南路側


<魯迅故居>
 魯迅(本名:周樹人)は1881年9月25日にここ紹興で生まれている。この頃は裕福だったものの、子供の頃に没落し、社会の冷たさを味わったと言う。1902年には来日し、1904年に医学を志すために仙台医学専門学校に 留学 した。授業中に見た日露戦争のスライドで、ロシア軍のスパイを働いたとして日本軍に首を切られる中国人と、無表情にそれを見物する周囲の中国人を見て衝撃を受け、中国人の精神を改造するために文学を志すようになった。1912年より北京に住む。1918年に「狂人日記」、1921年に「阿Q正伝」を発表。1927年より 上海 に住み、1936年に上海で逝去した。
 
 魯迅は1881年から1898年、1910年から1912年までここに住んでいた。「故郷」は1919年12月に一家を上げて北京へ移転するときの最後の里帰りを描いた小説である。

魯迅の寝室魯迅の机

 百草園、魯迅が子供の頃に虫を捕まえたりして遊んだ菜園である。壁は当時から残っているもので、当時の雰囲気を今に伝えていると言う。

百草園


<魯迅紀念館>
 魯迅紀念館は魯迅の小説や写真等が陳列されている。上海の魯迅紀念館よりも規模が大きかったように思われる。

魯迅像民族魂

 館内では、「故郷」の一場面が再現されていた。閏土の作り話を聞く魯迅である。小説の中で、「ああ、閏土の心は神秘の宝庫で、私の遊び仲間とは大違いだ。」と魯迅は語っている。

閏土の作り話を聞く魯迅


<三味書屋>
 魯迅は12歳から17歳まで、ここで学んでいる。魯迅が使用していた机と椅子が保管されている。遅刻をして叱られた魯迅が、自らを戒めるために机に彫った「早」という文字も見ることが出来る。
 申し込めばこの部屋で勉強できるようである。僕が行ったときは、魯迅の机で勉強している少年がいた。写真を撮るためにどいてもらったが、勉強の邪魔をしたようで心苦しい。机の上の本は、少年の教科書である。

魯迅が使用していた机と椅子



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください