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台湾24 好記担仔麺(その2)
2006年11月上旬のこと。年末に失効するマイレージの使用方法について、僕は頭を痛めていた。第一希望の台湾は、1月の3連休、2月の3連休ともに完売であった。20,000マイルで行ける範囲では、確か上海と青島の便しか無かった。上海は2004年に行ったばかりであり、青島には観光地があるのかどうか、勉強不足で分からない。僕は冷え性なので寒いところが苦手であり、したがって北海道は有り得ない。九州を当たってみたのだが、3連休初日の土曜日の早朝に出発し、月曜日の夜に帰ってくるフライトは軒並み予約不可であった。2月の3連休といえばまだ4ヶ月も先なのに、この予約の難しさには驚いた。行き先は12月中旬になっても決まらなかった。
2006年12月29日。前日は仕事納めであり、この日は朝から大掃除であった。張り切って始めたものの、正午には力尽きた。昼からインターネットにつなぎ、JALのホームページにアクセスしてみた。未練がましく台北のフライトをチェックしてみたところ、キャンセルでも有ったのだろうか、次のフライトが予約可能になっていた。
2月10日(土) EG205 NRT16:30 TPE19:25
2月12日(月) EG200 TPE10:00 NRT13:55
実質的には11日(日)の丸一日しか観光できないが、やむを得ない。即断即決でこのフライトを予約した。ひょっとしたら土曜日にもっと早い便か、月曜日にもっと遅い便が予約可能にならないか、出発までの間、週に数回はチェックしたが、残念ながら満席のままであった。もっとも、上記のフライトも翌日には予約不可になっていたので、予約が取れたことが自体がかなりラッキーだったに違いない。
なぜ、台北に行きたかったのか。これから先のページでその理由をご説明したい。
2007年2月10日(土)。なんと3年半ぶりの台北である。ずいぶんと間が空いてしまったものだ。その間に台湾の中正国際空港は台湾桃園国際空港に名称を変更していた。日本アジア航空も第2ターミナルビルに移っていた。今までの第1ターミナルビルは成田に匹敵する古くて小さい空港だったのだが、第2ターミナルビルははるかに充実しているように思える。成田はダントツ最下位になってしまった。シンガポール、クアラ・ルンプール、ホンコン、インチョン、上海に劣っているのは確かだが、ついに台北にまで負けた。僕は北京とバンコクの新空港はともに行ったことが無いので、分からない。
空港のイミグレーションが混雑して意外に時間を取られてしまい、リムジンバスに乗ったのは20時15分、ホテルにチェックインしたのは21時ちょうどであった。ちなみに今回もホテルは当社割引である。
チェックインが終わったらまず腹ごしらえである。料理を美味しく食べるために、機内食にはあまり箸を付けなかった。早速ホテルの近くにある好記担仔麺に向かった。好記担仔麺は、 前回 に引き続き、2回目である。今回はより詳細にご報告したい。
好記担仔麺は長春路と吉林路の交差点に位置する。ひときわ明るくネオンが光っているので、すぐに分かる。店の前は人でごった返している。彼らはみな、メニューを選んでいるのだ。今回、店員の許可を取って、メニューを撮った。
好記担仔麺のメニュー
これらは模型ではなく、実際に作った料理である。美味しそうな料理を選んで指を指せば、店員が注文を取ってくれる。したがって、言葉が通じなくても何とかなる。
下が僕の選んだメニューである。前回とはすべてメニューを変えてみた。エビと豆腐は以前にも食べたことがあったのだが、羊のしゃぶしゃぶは初めてであった。好物が一つ増えた。ビールを2本飲んで、NT$760(約3,000円)であった。
ちなみにビールは最初台湾ビールを頼んだのだが、キリンビールのセールスをしている小姐のプッシュに負け、2本目は一番搾りにした。せっかく台湾に行ったのに日本のビールを飲んでしまったのは反省である。
上 : 羊肉のしゃぶしゃぶ
左 : エビをゆでたもの
右 : 揚げ豆腐
店の前の柱には有名人の写真が貼られている。
店の前の柱
皆様は写真の中心の人物に気付いただろうか?下にアップを掲載するのでご確認願いたい。
宮崎県知事
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