このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

イタリア19 フィレンツェの洗礼堂編

 フィレンツェのドゥオーモ広場で最後にご紹介するのが洗礼堂だ。

  公式ホームページ によると、洗礼堂の歴史は4〜5世紀に遡る。地下の部分にはローマ時代の建築が残っているそうだ。現在の屋根とその上のランターンが据え付けられたのは12世紀後半とのことだ。ドゥオーモの建設が1296年着工、鐘楼は1334年着工なので、洗礼堂が一番古い建物ということになる。
 「神曲」を書いたダンテは、この洗礼堂で洗礼を受けている。ダンテは1265年にフィレンツェで生まれており、ドゥオーモ広場のすぐそばにダンテの家(1900年ごろの再建)がある。1302年にフィレンツェを追放されたとのことなので、ドゥオーモも鐘楼も見ていない。洗礼を受けた年は不明だ。

北西から南西から

 洗礼堂を上から見ると八角形なのだが、鐘楼から写真を撮らなかったことを激しく後悔している。足元の写真を撮り忘れてしまった。ただ、鐘楼の上は金網が張ってあるので、身を乗り出せなかったのではないか、と言い訳してみたい。

 下の写真はドゥオーモ広場の南西入口からではないかと推測される。

南西から?

 下の写真は、ドゥオーモの入口から撮ったものである。

東から

 いろいろと撮り忘れた写真というのはあるもので、ドゥオーモと洗礼堂が面している写真がない。下の写真右に少しだけ洗礼堂が写っている。

ドゥオーモと洗礼堂

 洗礼堂東側の扉が一番有名だが、ここに飾られているのはレプリカで、本物は付属美術館に所蔵されている。扉はドゥオーモと面しており、その前は観光客で常ににぎわっている。

東の扉

 内部には洗礼を施す祭室しかない。椅子に座って天井画を見上げたが、次の予定もあったのであまり長居はしなかった。

 東の扉と クーポラ をめぐる物語は、次のページでご紹介したい。



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