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イタリア43 アラ・パチス編
スペイン広場 から西にテヴェレ川方面まで歩くと、 アラ・パチス がある。
紀元前13年、ガリア平定から戻ったアウグストゥスを称えるため、元老院が建てたのが「アラ・パチス」である。「平和の祭壇」という意味だ。紀元前9年に完成している。
当初は コロンナ広場 の周辺に建てられたようだ。ガイドブックによると、コロンナ広場のオベリスクの影が、アウグストゥスの生まれた秋分の日の日没に差す地点に建てられていたという。その後、テヴェレ川の氾濫により泥に埋まってしまった。1568年に破片が発見され、20世紀に入ってから本格的に発掘されたものだそうだ。
アラ・パチスは白い大理石で作られており、そのサイズは12m×11m。壁面にはレリーフがあり、南面にはアウグストゥスやアグリッパなどの像がある。正面の階段を登ろうとして注意を受けたのはお恥ずかしい。
アラ・パチス レリーフ南面
アラ・パチスの東側にあるのがアウグストゥス帝の廟だ。
紀元前44年にカエサルが暗殺されたのち、三頭政治を経て、アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラに勝利したオクタヴィアヌスは、紀元前29年にローマに凱旋した。紀元前27年にオクタヴィアヌスは共和政への復帰を宣言し、元老院よりアウグストゥスの尊称を贈られた。当時35歳。その治世はパクス・ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれる。アラ・パチスが平和の祭壇という意味だから、当時のローマ人は平和を喜び、それを誇っていた。2000年を経過した今でも、これを上回る価値はのあるものは、存在しない。
霊廟の建設に着手したのは紀元前28年だから、アウグストゥスと呼ばれる前である。我々が観光した日は工事中であり、残念ながら霊廟のそばに行くことはできなかった。
アウグストゥス帝の廟
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