このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

インドネシア−6 バンドン編

 2012年7月21日(土)。今回の出張で3回目の週末だ。3週間に渡る出張というのはさすがに長い。僕の人生において、5週間の 南アフリカ出張 に次ぐ長さとなった。
 前日の20日(金)から、イスラム世界はラマダン(断食)入りしていた。

 この日は駐在員の車と運転手さんを借りることができた。せっかく車を使えるのだから、ということでバンドンまで遠出することにした。朝の7時にホテルを出発だ。ジャカルタからバンドンまでは約200km。高速道路は7時には空いており、バンドンのインターチェンジまでは2時間半ほどで着いたのだが、バンドン市街が渋滞していた。

 まず、最初に向かったのが、アジア・アフリカ会議博物館Museum Konprensi Asia Afrika )だ。1955年4月18日から24日まで、アジアとアフリカの29カ国の代表者がバンドンに集まって、アジア・アフリカ会議が開催された。出席者は、インドネシアのスカルノ大統領、インドのネルー首相、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領といった錚々たる顔ぶれ。「平和十原則」が発表され、反植民地主義・平和共存などが強く打ち出された。なお、アジア・アフリカ会議の第1回はバンドンで開催されたが、第2回は開催されていない。
 僕も不勉強で知らなかったのだが、アジア・アフリカ会議には日本も出席している。日本代表は、首相でも外相でもなく、経済審議庁(後の経済企画庁)長官の高碕達之助だった。
 博物館内部には、会議出席者の人形が展示されているほか、会議の模様を伝える写真や各国の新聞などが展示されていた。
 
 運転手には駐車場で待機してもらい、ここからは徒歩で観光した。

アジア・アフリカ会議博物館

 実際に会議が開催された建物は、GEDUNG MERDEKAといって博物館に隣接している。1895年に建設された建物で、日本統治時代には大東亜会館という名称となった。アジア・アフリカ会議の際にスカルノ大統領によって改称されたとのこと。

GEDUNG MERDEKA

 博物館のすぐそばには、各国首脳が宿泊した サボイ・ホマン がある。

サボイ・ホマン

 博物館から200メートルほどのところにアルン・アルン広場がある。インドネシア語で「Alun Alun」は広場を意味するとのこと。広場に隣接しているのがマスジッド・ラヤだ。当日はラマダン中であり、イスラム教徒が礼拝のためにやってきていた。

マスジッド・ラヤ

 マスジッド・ラヤから炎天下を10分ほど歩くと、バンドン駅である。僕はイスラム教徒ではないのでペットボトルを持って歩いていたのだが、やはり周囲の目が気になって飲みにくい。物陰でこっそり飲んだ。

バンドン駅

 ラマダンの中、昼過ぎにフードコートに行ってみたところ、レストランは営業しているものの、案の定誰も食べていない。右下の写真を見ると、座っている人はいるものの、テーブルの上に料理がないのが分かる。このフードコート内に、ウェンディーズがあった。イスラム教徒ではなさそうな客が2組いたので、僕も安心してハンバーガーを食べた。

閑散としたフードコート



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