このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


台湾−10 総統府・ニニ八和平公園編



 中正紀念堂から歩いてすぐのところに、台湾近現代史の証人となる場所が2箇所ある。
 

< 総統府 >
 総統府は1919年に完成した建物だが、現在でも使用されている。完成当時は日本が統治していた時代である。
 日清戦争に勝利した日本は、1895年の下関条約で台湾の領有権を得る。早速台湾総督府を設置し、初代総督には樺山資紀が就任した。その後、第二代総督が桂太郎、第三代総督が乃木稀典、第四代が児玉源太郎というそうそうたる顔触れである。台湾統治が軌道に乗ったのは児玉総督と後藤新平民政局長の時代になってからと言われている。後藤は風土病を一掃した後に初代満鉄総裁となり、さらに東京市長にも就任している。
 第七代総督が明石元ニ郎である。明石総督は1918年から1919年10月24日に現職のまま急逝しているので、建物完成時の総督は彼であろう。明石は日露戦争開戦以前にヨーロッパに渡り、反ロシア勢力と接触してロシアの帝政を揺るがした人物である。反ロシア政府の活動家をまとめあげ、1905年の「血の日曜日事件」や「戦艦ポチョムキン号の叛乱」を支援したと言われている。 二〇三高地 を攻め落とした児玉と乃木、ヨーロッパで暗躍した明石の3人が台湾総督というのも感慨深い。
 最後の総督は安藤利吉陸軍大将であった。

 建物は第二次世界大戦末期に米軍の空爆で内部は焼失したが、外郭は焼け残った。その後修復され、1949年から蒋介石が総統府として使用している。その後の総統は蒋経国、李登輝と続き、現在は民進党の陳水扁が総統である。


総統府

総統府は、予約をすれば平日の午前中は内部の見学が出来る。今回は到着が金曜日の午後、帰国が月曜日の午前だったので残念ながら行く時間が無かった。ぜひ一度入ってみたいものだ。


< ニニ八和平公園 >
 ニニ八和平公園は日本統治時代から有る公園である。
 
 1945年、日本の敗戦に伴い、台湾は中華民国の領有となり、大陸から中国人がやってきた。いわゆる「外省人」である。これに対し、従来から台湾に住んでいた人々を「本省人」という。
 1947年2月27日、国民党(=外省人)の専売局ヤミタバコ摘発隊が、逃げ遅れた女性を銃座で殴ったのが発端である。それに抗議して集まった民衆(=内省人)に対し、摘発隊は発砲して一人が死亡してしまう。翌28日に内省人のデモ隊が専売局に押し掛けたところ、国民党は機関銃の一斉掃射でこれに対抗する。内省人は、外省人の店を焼き討ちにするなど内乱状態となるが、蒋介石は武力鎮圧を指示。この際に、医者を中心に相当数(数千人以上という説あり)の内省人が殺害されたという。考えてみると文化大革命も知識人迫害である。中国人は知識人を嫌うのであろうか。

 現在、公園の中にはニニ八紀念館が立ち、事件に関する書類や遺品などを展示している。

ニニ八紀念碑東屋と新光三越



 

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