このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

韓国−5 南山公園編(その1)

 汝矣島公園の次は南山公園に向かった。ソウル駅から南山公園の入口まで徒歩10分程度である。標高265メートルの南山が園内にあるのだから、かなり広大な公園である。南山公園も銅像が豊富である。
 

< 金ユ信 >

 金ユ信将軍は新羅の将軍である。新羅は唐と組んで百済を滅ぼし、西暦663年の白村江の戦いで、百済の応援に来た日本軍も破る。668年には高句麗も滅ぼし、676年に朝鮮最初の統一国家となった。その中心として活躍したのが金ユ信将軍である。

金ユ信将軍銅像


<金九>
 
 僕の持っている世界史用語集によると、「朝鮮の反日運動家」と簡単に触れられているのみである。
 一方、今回機内で読んだ「日韓『禁断の歴史』」(著:金ワンソプ)では、かなり厳しい評価が下されている。

 金九は1896年、朝鮮の黄海道で日本陸軍中尉・土田譲亮を何の理由もなく殺害し、官憲の追及を逃れた殺人犯だ。


金九


< 安重根 >

 安重根の名前を知る日本人はきわめて少ないが、それだけ日本の歴史教育が誤っていることの証明だと僕は考えている。

 上述の世界史用語集では、安重根も「朝鮮の愛国者で、 伊藤博文 を朝鮮亡国の元凶とし1909年にハルビンで暗殺。刑死した。」と簡単に触れられているのみである。
 一方、日本史用語集では、伊藤博文暗殺事件として、「1909年10月、伊藤博文が韓国独立運動家安重根に満州のハルビン駅で射殺された事件。安は翌年旅順監獄で死刑となる。」と説明されている。
 
 この両用語集を読んで、僕は違和感を覚えた。世界史用語集の文章だけを読むと、安重根が愛国者で、伊藤博文が元凶となる。これが日本人の書いた文章なのだろうか?「朝鮮の狂信者で、伊藤博文を朝鮮亡国の元凶と誤解し、1909年にハルビンで暗殺。」というのが正しい表現ではないだろうか?
 日本史用語集の説明もよく分からない。日本が韓国を併合したのは1910年である。つまり1909年には独立した国家であった。それなのに、韓国独立運動家という呼び方はおかしいのではないか?(ただ、1905年の第二次日韓協約で、日本は韓国に統監府を設置し、保護国化している。)

 「日韓『禁断の歴史』」では、安重根と金九のことを、「朝鮮の革命期に時代遅れの王朝に忠誠を誓いながら、変化に必死で抵抗した保守反動勢力を代表する人物」と断罪されている。ただ、著者金ワンソプ氏は、自分でも述べているが、かなりの異端であり、韓国内では安重根は愛国者として英雄視されているようだ。

 実際に、安重根が主張した「伊藤博文15の大罪」は、勘違いもはなはだしく、でたらめとしか言いようがない。安重根が伊藤博文を暗殺した目的がそもそも不明である。彼は、伊藤博文を暗殺することにより、日本が撤収すると考えたのだろうか?その後、時計の針を戻して、朝鮮王朝による圧政を復活させたかったのだろうか?
 愛国者であれば、テロも正当化されるのであろうか?安重根も金九も、愚かなテロリストでしかない。

安重根

 南山公園のソウル駅側にある銅像3体には、「反日」という共通点があった。


 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください