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18.5 竜馬がゆく(その10.5) 四賢侯会議編
中岡や西郷は、幕府から外交方針の決定権を奪う手段を考える。それが四賢侯会議だ。
「列侯会議」
といっても、三百諸侯をぜんぶ京に集めるというわけではない。たかが、殿様である。かれらのほとんどは無能無思想で、救国の政治思想をもたず、情勢にもくらい。
ただ、天下に、
「四賢侯」
といわれている人物がある。かつて安政年間、世に喧伝された四賢侯とは、薩摩の島津斉彬を筆頭に、土佐の山内容堂、伊予宇和島の伊達宗城、越前福井の松平春嶽であったが、いまは斉彬がすでに亡いために、その弟で現薩摩藩主の実父島津久光が入れかわっている。
四賢侯会議は開催はされたものの、山内容堂が病を理由にして帰ってしまう。この会議の続行中に「徳川氏を討つべし。」という勅命が出るところまで持っていきたかった中岡の夢は破れた。
< 宇和島城 >
2002年12月22日。 前ページ の大洲城址の前に訪れたのが、宇和島城である。2001年にも宇和島を訪れたことはあったのだが、既に日も暮れており、営業時間は過ぎてしまっていた。一年越しの夢がかなったことになる。
宇和島駅前のロータリーに出てみると、まず目に付くのが下の闘牛像である。宇和島の闘牛と高知の闘犬は、一度見てみたいものだ。
闘牛像
愛媛県宇和島市
予讃線宇和島駅 徒歩1分
アーケードを歩いていくと、宇和島城登山口が右手に見える。ここは、やや分かりにくい。標識も無かったように記憶しているが、見落としていただけかもしれない。登山道はかなりの急坂である。
登山道
宇和島城は標高80メートルの高さにあるので、登山道を歩くのは結構いい運動になる。宇和島駅から宇和島城までは歩いて30分程度だろうか。
宇和島城は現存十二天守閣の一つである。完成は慶長6年(1601)という歴史有る名城だ。
宇和島城正面図 宇和島城斜めからの図
天守閣内部
天守閣からの眺めは素晴らしい。雲が多かったのが悔やまれる。昔の殿様はよい場所に城を作ったものだ。
天守閣より海を臨む。
近年の宇和島のニュースといえば、やはりえひめ丸事件であろう。亡くなった宇和島水産高校の生徒さんもこの天守閣から海を眺めた違いない。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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