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25. 世に棲む日日(その3の2) 三厩編
松陰は三厩を訪問しているが、司馬遼太郎はあっさりと触れているのみである。
松陰の東北旅行は、正月二十日に水戸を発したあと、会津、新潟、渡海して佐渡、さらに新潟に戻り、秋田、弘前、青森にいたり、そのあたりで冬はすでにすぎ、盛岡、仙台、米沢から関東に入り、日光、足利、館林をへて利根川の堤へ出、堤上をあるくうちたまたま小舟をみつけ、たまたまその船頭が江戸へゆくというので乗せてもらった。
< 三厩 >
吉田松陰が三厩を訪れたのは1852年のことである。写真左下の松前街道終点之碑の裏面には、吉田松陰がここに立ち寄った旨の記載があった。
その663年前にあたる1189年、一人の武士が部下とともに三厩にたどり着いた。武士は舟で蝦夷に渡ろうとしているものの、嵐のために舟が出せない。このままでは追っ手に追い付かれてしまう。武士は巨大な岩の上で、三日三晩祈ったところ、嵐が静まり、蝦夷に逃げることができたという。
武士の名は、源義経。
源義経は 高館 で戦死したことになっているが、蝦夷に逃げたという説も根強い。写真は無いが、厩石の後ろには義経寺がある。
松前街道終点之碑 源義経渡道之地碑と厩石
また、三厩駅は津軽線の終着駅である。このさびれた感じが、終着駅らしさを醸し出している。津軽線は一日に数本しかないので、鉄道マニア泣かせである。
ちなみに僕が津軽線に乗ったのは2001年7月22日のこと。これで、JR東日本は99%制覇となった。残る1%はガーラ湯沢。一生行かないような気もする。
三厩駅 終着駅らしい風景
< 竜飛 >
竜飛岬にも吉田松陰の足跡が残っていた。ちなみに竜飛岬も三厩村である。
吉田松陰詩碑
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