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名曲−3. 長良川艶歌  


 

 五木ひろしのヒット曲、長良川艶歌。1984年のレコード大賞受賞曲である。ちなみに同年の 新人賞 は「恋 はじめまして」で岡田有希子が受賞している。長良川艶歌の作曲が「浪花恋しぐれ」の岡千秋とは知らなかった。

長良川艶歌
歌 : 五木ひろし
詞 : 石本美由起
曲 : 岡 千秋


水にきらめく かがり火は
誰に想いを 燃やすやら
あなた あなたやさしい 旅の人
逢ったひと夜の 情けを乗せて
こころまかせの 鵜飼い舟

好きと言われた 嬉しさに
酔うて私は 燃えたのよ
あなた あなたすがって みたい人
肌を寄せても 明日は別れ
窓に夜明けの 風が泣く

添えぬさだめと 知りながら
いまは他人じゃ ない二人
あなた あなた私を 泣かす人
枕淋しや 鵜飼いの宿は
朝が白々 長良川




<長良川鵜飼>
2003年6月21日(土)。当社名古屋支店のイベントに参加した。断っておくが、僕の立場はあくまでも出張であり、ちゃんと交通費も出る。「ずるい。」というアシスタントの批判は一切受けつけなかった。

 集合は当社名古屋支店15時30分である。せっかくだから、ということで早起きして大垣城を見学した。さらに時間が余ったので、岐阜城を見学することとした。岐阜駅で岐阜市街の地図をもらって驚いた。鵜飼観覧船乗り場は、岐阜城のすぐそばではないか。いったん電車で名古屋に帰って、またバスに乗って岐阜にやってくるという無駄な時間の使い方になってしまった。
 さて、岐阜城は斎藤道三と織田信長の居城である。将来「国盗り物語」を当HPで取り上げることがあれば、その舞台となる場所である。金華山頂まで、ロープウェーで上がることができる。岐阜城はロープウェーの駅からさらに登ること10分ほどである。天守閣からの眺望は素晴らしい。織田信長もこの風景を見たのかと思うと、感慨もひとしおである。

岐阜城岐阜城天守閣から見た長良川

 肝心の鵜飼だが、名古屋支店から岐阜グランドホテルまではバスで1時間30分程度掛かった。ホテルのロビーに17時30分集合である。そこで、簡単な説明を受けてから、観覧船乗り場まで徒歩5分程度である。船の中には既にお弁当が用意されていた。
 観覧船は30人乗りということだが、我々24人で女性比率のほうが高かったにもかかわらず、結構きつかった。船に乗り込んだ時点で、僕は不安を感じた。観覧船の中にはトイレが無い。酒に弱い僕は、頻繁にトイレに行くことにしている。アルコールを尿として体外に排出することにより、ある程度酔いを抑えることができる、と何かのテレビで見たからである。そのトイレに行けないというのは、まさにこの世の地獄。やはりこの弁当はビール無しで食べるべきか、などとつまらないことを考えているうちに、観覧船は出港した。
 観覧船自体にエンジンは付いていないので、ボートで引っ張ってもらって上流に向かう。時間は掛かったが数百メートル上流までしか行かず、川岸に観覧船を係留した。ここでお待ちかねのお弁当の時間である。ここで、船に乗り込んでいる仲居さんから説明があった。観覧船がいくつか並んでいる隣に、トイレ船があるという。これで、心置きなくビールが飲めるというものだ。川面の涼しい風を受けながらビールを飲み、弁当を食べる。贅沢だ。弁当を食べていると、鮎の塩焼きが出てきた。これも絶品である。ビールの次は焼酎水割りだ。鵜飼が始まる前にほろ酔い気分となった。
 そこに音頭が聞こえてきた。川に眼をやると、6人ほどのお姉さんが船の上で踊っている。仲居さんによると、週末だけ出動する踊り船だそうである。踊り船という発想のくだらなさをぜひ写真に撮りたかったのだが、当社社員が見ている前でカメラ小僧をするわけにもいかず、写真は諦めた。

出港を待つ観覧船
この船の中で弁当を食べた。
清潔なトイレ船

 鵜飼が始まるのは19時45分くらいである。それまでに弁当とお膳は片付けられる。それまでにトイレは済ましておかねばならない。
 観覧船の中で待っていると、上流から鵜舟がやってきた。長良川には、宮内庁式部職鵜匠が6名いるため、鵜舟が6隻ある。我々の観覧船は5隻目の鵜舟と併走する形となった。真っ暗な中を、篝火(かがりび)を灯した鵜舟がやってくる姿は、実に幻想的である。写真で見ると遠くに見えるが、実際は結構近くまで寄っている。

鵜を操る鵜匠。
鵜を操る縄を手縄(たなわ)という。
鵜匠が、鮎を捕まえた鵜を手に持っている。

 鵜舟と観覧船が併走するのは、時間にして15分程度だろうか。出発地点まで下りてくると、観覧船は川岸に再度係留された。これで終わりか、と思っていると、6隻が横一列に並ぶ「総がかり」が行われた。その後、各観覧船の隣に鵜舟がやってくるので、鵜舟を間近に見ることができる。

鵜舟の上に鵜が乗っている。

 仲居さんから聞いたところによると、鵜匠は世襲制とのことで、誰でもなれるものではない。鵜匠の一家に生まれないと、鵜匠になることはできない。岐阜県では「将来は鵜匠になりたいです。」などと作文に書く小学生がいるかもしれないが、彼の夢が叶えられることはない。
 裏を返せば、鵜匠の家に生まれると、鵜匠になることが運命付けられているということとなる。たとえば3人兄弟の場合、その中の誰が一番鵜匠に適しているか、親として、鵜匠として見極めなければならない。なにしろ日本の伝統文化を守っていかなければならないのだから、責任は重大である。現在、長良川の鵜匠は6人だが、山下姓が2人、杉山姓が4人である。どちらの姓かわからないが、ヒロくんという子供が、将来の後継ぎになることが決まっている。鵜匠となるための教育をもう受けているようで、船に乗りこんでいた。ヒロくんは一羽の鵜を任されているそうである。

将来の鵜匠となる運命のヒロくん鵜が獲った鮎

 ホテルに戻ったのは21時過ぎだったと記憶している。日本の伝統芸は、予想以上に見応えがあった。ぜひ皆様もどうぞ。

   

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