このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名曲−5. 秋田音頭(その2)  


 このページでは大潟村と八竜町をご紹介したい。


< 大潟村 >

  前ページ の寒風山の帰りに立ち寄ったのが大潟村である。
 大潟村は八郎潟を干拓して出来た村である。琵琶湖に次ぐ日本第二位の大きさを誇った八郎潟は、最深部でも4〜5メートルであり、戦前から干拓の検討がなされてきた。1957(昭和32)年に着工し、1964(昭和39)年に6世帯14人で大潟村が誕生した。その二年後の1966(昭和41)年に本格的な入植が開始している。このようにして誕生した大潟村だが、日本海中部地震で大きな被害を受け、また国の減反政策などの影響も受けている。公共事業とは何かを問い掛ける場所でも有る。
 ところで、大潟村には地理ファンであれば、抑えておきたい場所がある。それは、経緯度公会点表示塔である。大潟村の中に東経140度・北緯40度が交差している点が有るのだ。日本の陸上で、10度単位で経緯度が交差するのはここだけである。大潟村が出来なければ湖の底だった、と考えると趣深い。北緯40度といえば、北京やフィラデルフィア、マドリードが有る。
 鹿児島県の口之島が、東経130度・北緯30度を惜しいところで外している。また、東経133度・北緯33度が高知市に有るのだが、僕はまだ行ったことが無い。

経緯度公会点表示塔雄大な田園風景


<八竜町>

 祖母の家から徒歩10分ほどのところに釜谷海水浴場がある。最近サンドクラフトといって砂像を展示している。夜にはライトアップもしている。親戚がいる僕が知らなかったのだから、知っている日本国民は非常に少ないと思われるので、ここで大々的にご紹介する次第である。

サン・ドミンゴ城クーちゃん

鉄腕アトム2体が並んでいた。明らかに、左のほうが手の込んだ力作である。


 

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