このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

シニアのためのナバーラ地方

ナバーラ地方はピレネー山脈足元に広がる丘陵地帯、昔のバスク民族支配地でした。

サンティアゴ巡礼の最も歩きたくなる路が延びています。
ナバーラ地方、プエンテ・ラ・レイナ

写真はプエンテ・ラ・レイナ、フランスからのサンティアゴ巡礼路が合一する橋、地名の意味は「女王の橋」

◇アンダルシア地方各県ごとのご案内は 下欄よりアクセス

ナバーラ地方の概説

ナバーラ地方略図
[地名由来]
 ナバーラ地方の地名の旧語は"Navaerrianava"で"nava"(山岳の平原の意味) と "erria"(土地の意味)の合成語でした。ピレネー山岳民のバスク人にとって、山脈西端のこの盆地は貴重な平坦地だったことが窺えます。
[面積] 10,421k㎡(スペイン全土の2.1%)
[人口] 約52万(スペイン全人口の1.3%)



[地理・気候] 
 ピレネー山脈により、143kmにわたりフランスと国境を共有するナバーラ地方。北部はピレネー山脈西部とその前山山脈、そしてそれらに囲まれた盆地により構成されています。南部はエブロ川でリオハ地方と州境を接します。ナバーラ地方は中世の雰囲気を残す町や村と緩やかな丘陵地が美しく調和し、北部のピレネー山麓の町村では夏でも過ごしやすく、避暑地として旅行者をひきつけています。ナバーラ地方の民族性は多様ですが、となりのバスク地方と同様かつてのピレネー山岳民であるバスク民族の特色を色濃く残しています。

ナバーラ地方、イバニェタ峠[歴史・文化]
 フランスとの国境峠にあるロンセスバリェスは歴史的に重要地点でした。中世武勲詩で知られる「ロラン」がイスラム教徒を撃破した地点で、その後はサンティアゴ巡礼路のスペイン玄関口となっています。国土再征服時代にはイスラム教徒の侵入を食い止めたとしてこの地方住民はその勇敢さを高く評価され、国王から自治権が与えられていました。ナバーラ地方全体が巡礼路にあたり、多くの宿場町・巡礼教会などで栄えてきた地方で、現在もその形跡を残しています。

ナバーラ地方、サンティアゴ巡礼路[観光のポイント]
 フランスからのサンティアゴ巡礼路はこのナバーラ地方プエンテ・ラ・レイナで一本に合流。イバニェタ峠のロンセスバリェスからパンプロ-ナへのルートととなりのアラゴン地方のソンポルト峠からレイレ修道院、サングェサを経てくるルートの合流地点です。後はエステーリャを経由し、リオハ地方へと向かいます。踏破するのに一ヶ月以上を要する巡礼路の中で最も快適で美しい部分が、このナバーラ地方かも知れません。

ナバーラ地方の古都と小さな町をご紹介

下図をクリック、ナバーラ地方それぞれの古都や小さな街へアクセス出来ます。
ナバーラ地方

☆エステーリャ(作成中)
☆ハビエル城  フランシスコ・ザビエルゆかりの城
☆レイレ修道院  ロマネスク建築の修道院、サンティアゴ巡礼路
☆☆パンプローナ  ナバーラ州都、牛追い祭りで知られます
☆プエンテ・ラ・レイナ  サンティアゴ巡礼路の合一点となる美しい橋の町
☆☆ロンセスバリェス(イバニェタ峠)  サンティアゴ巡礼の起点
☆サングェサ  サンティアゴ巡礼宿場町
☆ビダソア渓谷  ピレネー山脈西端の渓谷
シニアが味わうスペイン旅行

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