波野駅は昭和3年(1928)12月2日に開業し、昭和62年(1987)4月1日、 国鉄分割民営化によりJ R九州旅客鉄道が引き継いだ。
ずーっと開業当時のままの木造駅舎やったとバッテン、平成12年(2000)8月16日の夜、不審火のためにこれが全焼してしもうた。いまはジュラルミンの屋根付きベンチと、駅には不釣り合いなぐらいに立派なトイレがでけとる。
左・ほんの雨風凌ぐだけていう待合いと、右・こらまた立派なトイレ。全然釣り合うとらん。
駅名は「波野」バッテン、旧波野村の中心部へは隣の滝水駅からのほうが近か、周囲には森林とわずかな集落しかなかし、国道や主要地方道も遠か。秘境駅にあげられんとが不思議なごたる。
この平和すぎる波野ば、いちやく有名にしたとが麻原彰晃(あさはらしょうこう・本名・松本智津夫)のオーム真理教タイ。平成2年(1990)5年、オーム真理教は突如として修行道場ば建て波野村に進出してきた。平和に平凡に暮らしとった波野村のもんは、びっくりしゃっくり、たまぐりこけた。
すったもんだしたあげく、その頃の村長やった岩下一之信さんは、苦しか村の財源から、9億7千万円ばオーム真理教に払うて、土地と道場ば買い戻し撤退させなった。バッテン、一部の議員たちから突き上げられて、とうとう村長ば辞めてしまいなったと。
バッテンもしバイ、信者がこの村に大挙して押しかけ、住民の半分ば占めるごとなっとったらクサ、議員も村長も信者にされて大変なことになっとったろう。村ば守る「勇気のある決断」やった。
地元住民の激しか反対運動にあうて、しかも国土利用計画法違反で強制捜査ば受けたもんやケン、これがオウム真理教の被害者意識ば高めるきっかけになってクサ、麻原が警察の目ばそらすために地下鉄サリン事件(1995年3月20日)ば起こしたていう訳タイ。
以前、ここの駅舎やらホームには「この駅が九州で一番高っか駅」て書いてあったとバッテン、いまは案内板ひとつなか。
見かねたとかどうかは知らんバッテン、近くにある波野小の子供達が、手作りの案内板ば駅の前に立てとった。
ここ波野村は、神楽の里として全国的に知られとるとゲナ。中江岩戸神楽、横堀岩戸神楽の伝統芸能が今も受け継がれとるていう。
国道57号線沿いにある「道の駅波野」には、「神楽苑」があり、ときどき実演もあるらしか。
また、波野村は「すずらんの花が咲く高原の村」としても有名で、 JR波野駅周辺のすみきった空気と山の緑が、日本の原風景ば思い出さしてくれる。ホームの日陰には、ハガクレツリフネソウが一面に咲き誇っとった。
写真ば撮りよったら、どこから現れたとか、ばぁちゃんがひとり、ちゃんと汽車の時間に合わせて来て、さっさと宮地行きに乗っていきなった。「ここには病院のなかケン、宮地まで病院通いばいた」
耳が不自由とみえて、人のいうことは聞こえず、自分のいうことばっかし勝手にシャベッテ、風のように去っていきなった。1日4本しか停まらん列車バッテン、いかにも自分の足ていう感じで、慣れたもんタイ。
ここには停まらんで通過するだけの特急が、1日片道4本。停まる列車は、上りが 7:22 11:40 15:16 17:54 20:41。下りが 7:24 13:26 17:23 19:28 20:41の1日5本。
上・すすらんのイラストが見える駅名標。