このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
一茶ゆかりの地
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東京
葛西神社
葛飾区東金町に
葛西神社
がある。
葛西神社
文化3年(1806年)9月9日、小林一茶は其日
(きじつ)
庵四世
野逸
と金町に行く。
九 晴 与
二
野逸
一
到
二
金町
一
記
杭に来て鷺秋と思ふ哉
『文化句帖』(文化3年9月)
九月九日、空寒からず熱からず、すゝむ足おのづから軽く、心の霧も晴るゝ心ちして先小梅堤にかゝる。刈れる小田有、いまだ刈らざる有。作らぬ菊も折しり顔にさきて、さすがに暮秋のおぼぶきを残す。
風吹いてそれから雁の鳴にけり
同行もおなじ優婆塞にて八十の叟なれば、物のわきまへも一かたならず。秋の草木のあはれをもたゞにや見過すべき。我は常々行かふ道にしあれど、けふは格別の風情を添ふ
たやすくも菊の咲たる川辺哉
「同行」は其日庵四世野逸。
翌文化4年(1806年)1月15日、野逸80歳で没。
午刻ばかりに金町に至る。爰の祭りは必ことざま
(異様)
てぶりもやあらんと、ひさしくより心にかけて、漸
(やうやう)
ことし見る日を得るはけふ也けりと、老ほこりにほこり来ぬるに、さはなくて世間にありふるゝ操狂言といふものにぞありける。二人は興ざめて、ふたゝび見るべくもあらず。只松の木陰によりて、痩脛の疲れをさする。
草花に汁鍋けぶる祭哉
「爰の祭り」は香取宮の祭。
期待はずれだったようである。
秋の日の袖に傾けば、かへる期のせかれて、もと来し道をいそぐ。
日短かは蜻蛉の身にも有にけり
又人にかけ抜れけり秋の暮
灯のとぼる家とぼらざる家のあちこち見ゆる比
(ころ)
、庵にかへる。
雁下りてついと夜に入る小家哉
『文化三−八年句日記写』
相生町の借家
である。
葛西 は下総国葛飾郡の江戸川以西の称。
十一日 雨 午刻ヨリ晴
行々しどこが葛西の行留り
『文化句帖』(文化元年4月)
「行々し」は、ヨシキリ。
二日 晴
鶯にかさい訛はなかりけり
『文化句帖』(文化4年正月)
葛西辞
(ことば)
せなみせへ作兵衛店
(だな)
の梅だんべへ
『株番』
「せな」は、兄。
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