このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
一茶ゆかりの地
虎杖庵
しなの鉄道戸倉を出ると、国道18号(北国街道)に平行して曲がりくねった細い道がある。
これが旧北国街道であろう。
小林一茶は
北国街道下戸倉宿
の虎杖庵に4回ほど訪問、宿泊している。
虎杖庵は宮本八郎兵衛道孟
(みちもと)
、通称清吉。古慊・天姥・李翁の別号がある。
明和8年(1771年)春、
加舎白雄
は虎杖庵に滞在。
虎杖の弟子平井嵐窓が
長楽寺
に句碑を建立した。
くもるとはひとの上なりけふの月
文化5年(1808年)12月10日、一茶は初めて虎杖を訪問したらしい。
十 雪折々 戸倉虎杖庵ニ入
『文化五・六年句日記』(文化5年12月)
同年7月9日、一茶は柏原で祖母三十三回忌取越し法要を営んだが、江戸へ帰る途中のことである。
文化7年(1810年)5月26日、柏原から江戸へ帰る途中で虎杖菴に泊まる。
廿六 晴 戸倉 虎杖菴 泊
『七番日記』(文化7年5月)
文化9年(1812年)夏、虎杖は鴫立庵八世庵主
葛三
を呼び寄せ、虎杖庵二世を継がせた。
同年6月16日、一茶は柏原に向かう途中で虎杖菴に入る。
[十]六 晴 戸倉虎杖菴ニ入
『七番日記』(文化9年6月)
文化11年(1814年)8月3日、一茶は江戸に出る途中で戸倉虎杖に入る。
三 陰 戸倉虎杖ニ入
『七番日記』(文化11年8月)
文化9年(1812年)11月14日に一茶が江戸を引き上げて以来、初めての江戸行きである。
宮本虎杖の息子八郎は舟山と号した俳人、孫清吉郎も真篶
(ますず)
と号した俳人であった。
旧北国街道沿いに虎杖菴6世にあたる宮本能武氏の妻さとさんが住んでいた家が残っていた。
宮本さとさんが住んでいた家
宮本虎杖の資料は戸倉町(現千曲市)に寄贈され、
「戸倉郷土館」
に展示されている。
今は宮本さとさんは亡くなり、家も取り壊されたそうだ。
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