このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

小林一茶ゆかりの地
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小林一茶旧宅〜一茶翁終焉之地〜

諏訪神社 から小林一茶旧宅へ。

国道18号(北国街道)沿いに「一茶翁終焉之地」の碑があった。


雪の中に「史跡小林一茶終焉之舊宅」という古い碑があった。


ともに冬には雪に埋もれて見えなかった。

史跡小林一茶旧宅


文政10年(1827年)6月1日、宿場の大火で一茶は我が家を失う。

   柏原大火事、壬(閏)六月朔日也。

焼つりの一夜に直る青田哉

『文政九・十年句帖写』

同年閏6月15日、一茶は春耕に手紙を書いている。

 御安清奉賀。されば私は丸やけに而是迄参り候。此人田中へ参り候。私参候迄御とめ可被下候。右申入度、かしく。

 壬(閏)六月十五日節

   土蔵住居して

やけ土のほかりほかりや蚤さは(わ)

 紫畊大人

一茶

久保田春耕に宛てた書簡


 同年、 逸淵 は信濃に一茶を訪ねたという。

 こたび同国の一之、家に伝へし坊が遺稿をその儘上木して、追慕のこゝろざしを尽す。予も亦旧知己をわすれず、坊が命終の年、柏原の旧里を訪ひて往時をかたるに、あるひ(い)は泣、あるひ(い)はわらひてわかれぬ。

 その年の11月19日に焼け残りの土蔵の中で、3度目の妻に見守られて、65歳の生涯を閉じた。

一茶の弟の屋敷とされる民家


平成12年(2000年)12月に復元されたもの。

 小林一茶旧宅には「門の木も先つゝがなし夕涼」の句碑があったが、雪で木も折れてしまい、句碑に覆いかぶさっていた。

 寛政3年(1791年)4月18日、一茶は出郷してから初めて柏原に帰った。一茶29歳の時である。

 灯をとる比(ころ)旧里に入。日比心にかけて来たる甲斐ありて、父母のすくやかなる顔を[見]ることのうれしく、めでたく、ありがたく、浮木にあへる亀のごとく、闇夜に見たる星にひとしく、あまりのよろこびにけされて、しばらくこと葉も出ざりけり。

門の木も先つゝがなし夕涼


 昭和13年(1938年)9月8日、 与謝野晶子 は赤倉温泉から柏原に行き、一茶の旧宅を見る。

火の事のありて古りたる衣著け一茶の住みし土ぐらの秋

秋風や一茶の後の小林の四代の彌太にあがなへる鎌

『白桜集』 (山国を行く)

 昭和42年(1967年)、 山口誓子 は「一茶終焉の土藏」を訪れている。

   一茶終焉の土藏

これ以上土藏に秋の日を入れず

『一隅』

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