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与謝野晶子の歌碑

与謝野晶子の歌


『白桜集』

昭和17年(1942年)5月29日、与謝野晶子は63歳で没。

同年9月、遺詠集『白桜集』(平野万里編輯)刊行。



大木の梅より出でて山蔭の船原川に射すひかりかな(船原より土肥へ)

半島の山集りてかすめるを見つつわれ越ゆ船原峠

殘りたる春のここちす伊豆に咲く木瓜も杏花(きやうくわ)もしどけなければ

濱ぢさが沙にも土肥の川瀬にも緑を交ぜてなつかしきかな

堂が島天窓洞の天窓をひかりてくだる春の雨かな

くらがりの船に竝びて見るは何仁科の洞の岩窓の雨

玉泉寺ハリスの室(ま)をば憐むに過ぎて身に泌むあめりかの墓

白濱の沙に上りて五百重波(いほへなみ)しばし遊ぶを逐ふことなかれ

少女子が呼び集めたるもののごと白濱にある春の波かな

濃淡の墨の今井の濱なれど南宋の繪にあらず青潮(あをじほ)(今井の濱温泉にて)

走り水何のまぎれか風烈し弟橘のおまへの濱に觀音崎燈臺 に行く三首)

燈臺の中柱撫で思へらく岬の風も彈くに足らん

春寒し造船所こそ悲しけれ浦賀の町に黒き鞘懸く

遠く來ぬ越の海府の磯盡きて鼠が關見え海水曇る

長岡に今朝雨を聞き夕には出羽の温海の吊橋を行く(温海温泉にて)

さみだれの出羽の谷間の朝市に傘して賣るはおほむね女

わが越ゆる古街道の和田峠常(とこ)あたらしき白樺しげる

初すすき撫子深山小川巻を草の鹿澤が少女に贈る)新鹿澤温泉 にて)

われににみ吾嬬川を渡る日の廻り來れども君與(あづか)らず(淺間へ向ふ)

旅寢せんところも山も無きやうに去年(こぞ)の淺間へ急がれしかな(千が瀧にて)

山の名を君問ふ聲の明かに殘る淺間の宿のベランダ

ならびなき名古屋の城の本丸の大手の櫻色づきにけり

青空の千尋の海に跳るなり名古屋の城の金色の魚

町古りて松竝木にもことならぬ東海道の赤坂の宿

ことさらに濱名の橋の上をのみ一人わたるにあらねどもわれ

聖より轎をたまひぬ九十九折くらまの寺へ五月に上る鞍馬 にて)

鞍馬寺木の芽を添へて賜はりぬ朝がれひにも夕がれひにも

菁莪の花鞍馬のひじり山を出づうす雪ならば哀れならまし

義經堂女いのれりみちのくの高館に君ありと告げまし

鐡舟寺補陀落山に昨日より友我れを待ち花散り初めぬ

しら露や禪師三界萬靈のために淨めし夏草の庭(鐡舟寺にて)

鐡舟寺老師の麻の腰に來て驚くやうに消え入る螢

この春の落花の痕も殘らずて暗き御寺の門のうちかな

梓川深山の柳絮たけなはに飛ぶ八月の穂高おろしに

燒岳のけぶりに比べ放つ絮の淡さも淡し奥山柳

明神の穂高の裾に絮(わた)を撒く柳原こそなまめかしけれ

我等の荷馬より多く負ひながら山人足の仙人走る白保根温泉 にて)

白保根の湯の記をすなり立秋の前の日入ると薄に逢ふと

山の湯の硫黄の臭ひ味噌の香にけおされてある齋藤屋かな

秋立つや夜光の貝の色含む山の湯ぶねの上のともし灯

五色沼いくつの色をしか呼べど數を知れるもあらぬ沼かな

湯の川の第一橋(だいいちけう)を我が越ゆる秋の夕のひがし山かな

ひがし山むら雨の雨に添ひ瀬の鳴りて露も變らずいにしへの夜に

東山伏見の瀧の上にある狐の湯にも聞ける夜の雨

いにしへの蒲生が月見櫓吹く會津の領の秋の山風

秋風が今は行くのみ鶴が城北の出丸も帶の廓も

東海の表の國のうるはしき山山見ゆる清見臺かな清見寺 にて)

寒ざくら清見の寺に唯だ一枝偲ぶむかしのある如く咲く

御寺よりまかり出づれば美くしく夕明りさす清見潟かな

清見潟さくらの散るに勝りたる光りをそそぐ波の上の日

清見潟空明るくて淡雪の降るごとひろぐ波の立つかな

静かなる十二連島見るままに所を移す鴨の連島

黒ずみて湖水も石のここちすれ山の底には夕明りなし

更科の田毎の月を千曲川あはせて流るたとへて云へば

埴科の戸倉の橋の白きをば上目に見つつ秋の水行く

川暗く參勤衆の今宵あるけはひに灯おく戸倉宿かな

君ありて溪間の路を先づ入らば天城の瀧よ落ちずともよし

かたはらに刀身ほどの細き瀧白帆の幅の浄蓮の瀧

いと細き筋集りて流るれば梳くべき櫛の思はるる瀧

仄じろくお會式ざくら枝に咲きしぐれ降るなる三島宿かな

こと過ぎぬ今さら何を申す三島明神箱根權現

湖畔とて落の乾くことおそし我れの心もこれに屋かまし

さざ波が碧瓦の如くかがやきて晴れたる朝の山の湖

我が踏めば鳴る石の道つづけどもさびしき伊豆の多賀の冬かな

ことそぎし伊豆の東の多賀の温泉(いでゆ)にわがある師走

峠路の六里のあひだ青海を見て枯草の世界をつたふ

山下り多賀の佐野屋に坐してあり潮近く鳴り梅花こぼるる

   山国を行く

衣二つ初めてわれの重ぬるもうらなつかしき奥山の秋(新鹿澤にて)

君と見し神奈(かんな)の峰もいと近き赤倉の湯の山坂の道

火の事のありて古りたる衣著け一茶の住みし土ぐらの秋

秋風や一茶の後の小林の四代の彌太にあがなへる鎌

夜の船の乾魚(ほしうを)の荷の片蔭にあれどいみじき月さしてきぬ

松淡く港の山のいただきに竝ぶ月夜の船の笛かな(以上 波浮 にて)

髪ならば涙に濡れて筋分れ癖のつきたる瀧のさまかな

きさらぎや掌(たなごころ)もて撫でぬべくらうたき水の玉簾の瀧

千手まし大木の桂若葉する寺へ水より參る初夏

ありとある白樺の木の飛ぶやうに雲の動ける男體の山

歌が濱霧密にして危しと船を人云ひ鳴く千鳥かな

足尾路の半月峠初夏の霧の浸して行きがたしとよ

摘まれ來て露の乾かぬしもつけの花の卓(つくゑ)の山の朝餐

十月の天神峠うす墨の雲の中にてこほろぎの鳴く

雲動き人語に似たる蟲ごゑののぼりくるかな山頂の亭

夜のさびし伊香保の町の流水の調子に秋の雨のそぐはず

湯の川へ温泉町の裏岸が秋の夜すがら落す水音

秋の日の空の曇りて恐しき氣(け)に包まれし山のみづうみ

湖や手など人振り小舟來ぬ新月ならばいかにしてまし

十月の天神峠うす墨の雲の中にてこほろぎの鳴く

   奥 上 州

身をめぐり泡雪のごと湯の絮(わた)の深山の秋の温泉

みやびかに笹の舊湯が紅葉著て住へる溪に靡く霧かな

寂しくも越路に近き笹の湯の笹鳴るほどの夜の時雨聞く

變れるは我れのみ今も綿掻かん永井の宿の脇の本陣

紅葉燃え三國おろしに時雨散り立ちぞ我が寄る法師湯の軒

三國山法師の湯さへ今は見て夢の如くにこと入りまじる

法師の湯廊を行きかふ人の皆十年ばかりはことなかれかし

(ふみ)に見き妻を失ひ身の病みて公信卿の有馬に行くと

櫻ちる湯治の客に山のもの商ふ市の立つ小みちにも

花見れば大宮の邊の戀しきと源氏書ける須磨櫻咲く須磨 にて)

あはれなり敦盛塚は海近し船に心の動かざらんや

大原女と我れは暫く同車して眞上人の鞍馬へまゐる

鞍馬路は若葉と枝をさしかはす花とどまりてなつかしきかな

鞍馬山歌の石とは知りながら君假初めに住むここちする

上人と故人の歌の碑と我れと心の通ふ春の夕ぐれ

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