このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
与謝野晶子の旅
〜観音埼〜
三浦半島の観音埼に観音埼灯台がある。
昭和10年(1935年)3月3日、与謝野晶子・鉄幹夫妻は観音埼に遊ぶ。
走り水何のまぎれか風烈し弟橘のおまへの濱に
(觀音崎燈臺に行く三首)
燈臺の中柱撫で思へらく岬の風も彈くに足らん
春寒し造船所こそ悲しけれ浦賀の町に黒き鞘懸く
『白桜集』
観音埼灯台
夫妻は観音埼灯台から
浦賀
へ。
二人の旅はこれが最後となる。
3月26日、鉄幹は肺炎で亡くなる。
観音埼灯台に
高浜虚子の句碑
がある。
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