このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
東山温泉「くつろぎ宿新滝」
東山温泉の湯川沿いに
「くつろぎ宿新滝」
(HP)がある。
明治44年(1911年)8月、
与謝野鉄幹・晶子
夫妻は
飯坂温泉
から東山温泉を訪れ、新瀧楼に宿泊している。
湯あみしてやがて出じとわが思ふ会津の庄のひがし山かな
半身を湯より出して見まもりぬ白沫たてる山あひの川
自らを清しとすれど猶あかず会津の山の湯を愛でて浴ぶ
橋を渡ると「くつろぎ宿新滝」の前に
与謝野晶子の歌碑
があった。
湯の川の第一橋を我がこゆる秋の夕のひがし山かな
晶子
は東山温泉を2度訪れている。1度目は明治44年、新詩社の与謝野寛らとともに吟行の旅で、東山新瀧旅館に泊まっている。2度目は昭和11年、当時晶子は夫鉄幹と死別、文化学院の学監をしており、この学院で学んでいた森寛介の弟と妹の2人が会津を案内することで吟行の旅で再び会津を訪れた。その時、25年前、新詩社の同人や夫たちと泊った楽しい思い出の新瀧旅館を訪れ、詠んだ歌を一行書き残したものを旅館で保存していたので、晶子が没して40年経った昭和57年のこの碑が建立された。
「千年の湯」大理石風呂
「千年の湯」露天風呂
源泉名は不動滝庭園混合源泉(不動滝庭園1号泉と組合混合泉との混合泉)。
泉質はナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)。泉温は52.3℃。pH7.6。
掛け流しのようである。
「わたり湯」は内風呂だけで、写真はうまく撮れない。
「猿の湯」露天風呂
いつも空いていて、良かった。
竹久夢二ギャラリー
竹久夢二と新瀧
〔1884〜1935〕〔岡山県本庄村 生〕
竹久夢二
は大正ロマンを代表する放浪の抒情詩人画家で民衆派の美人画画家として多くの人々を魅了してきました。その夢二が初めて会津を訪れたのは、明治42年で夢二25歳の時でした。がに揺れる月見荘から詩想を得た代表作の「宵待草」のイメージは大川端を散策した時にその原形が生まれたともいわれていますが、できた年代から異説もあります。
大正10年、2度目の会津旅行は新瀧に長期滞在し、会津の女性や風景を描きました。外出する時は、必ずスケッチブックを抱えて、女性と見れば立ち止まって筆を走らせたといいます。何度か変質者に間違えられて警察署に連行されたこともあったそうです。昭和5年3度目の会津もここ新瀧に逗留して絵の愛好家を集めては何度となく画会を開いて作品を書き残しています。この頃の夢二は年齢的にも画家としても円熟期にあり、この後の渡米や美術研究所建設の為に精力的に活動しており力作も多く残しています。
この会津訪問を機に夢二は自分の活動の場を海外に向けはじめ、この後アメリカ、ヨーロッパ各地へと漫遊の旅に出ております。
昭和8年帰国した夢二は病に伏せ、翌9年信州の富士見高原療養所に入院します。ここから新瀧に当時の心境を書いたハガキを出しております。同年9月1日永眠。
没後、富士見高原療養所の院長であり夢二の友人であった正木不如丘が新瀧を訪れて、もし元気になってもう一度会津をそして新瀧を訪れることができたら是非書きたい作品があると夢二が言い残した、という話をしております。初めて会津を訪れてから25年後のことです。
対岸の「旅館高橋館」は震災の被災者を受け入れていたが、今は廃屋となっていた。
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