このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
与謝野晶子の歌碑
飯坂温泉
飯坂温泉の摺上川に架かる新十綱橋を渡ると、愛宕神社の麓に与謝野晶子の歌碑があった。
飯坂のはりがね橋に雫
(しずく)
する吾妻の山の水色のかぜ
明治44年(1911年)8月7日、与謝野晶子は鉄幹と共に飯坂温泉・
東山温泉
に遊んだ。
飯坂のはりがね橋にしづくする吾妻の山の水いろの風
吾妻山うすく煙りて水色す摺上川の白きあなたに
わが浸る寒水石の湯槽にも月のさし入る飯阪の里
『青海波』
昭和43年(1968年)8月10日、飯坂温泉観光協会建立。
この歌は明治44年(1911年)夏、夫、与謝野鉄幹とともに、飯坂温泉に来遊した時、与謝野晶子の十綱橋を詠んだ歌である。当時晶子は33歳であった。
そもそも晶子は明治11年(1878年)12月7日大阪堺市に生まれ、明治34年第一歌集『みだれ髪』の発刊をはじめとし、歌集20、詩集1、評論13と沢山の著書を世に送り、昭和17年(1942年)5月29日、65才にて世を去った。
遺稿歌集として
『白桜集』
もあります。この人こそ明治、大正、昭和にかけて、我が国が生んだ有名歌人ではないでしょうか。
当、観光協会では、この飯坂温泉十綱橋の文学的香り高い1首を、永遠に後世に伝えるとともに、与謝野晶子の文学味の漂うものを充分に、この歌碑より当時の面影を組み取って頂き、飯坂温泉のよき旅の思い出となることを願い、建碑しました。
飯坂温泉観光協会
「はりがね橋」は、当時の十綱橋の通称。角屋(今の聚楽)に泊まったらしい。
与謝野晶子の歌碑
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