このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

一茶ゆかりの地


一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」

  「一茶の散歩道」 から温泉街に戻り、一茶・荻原井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」へ。


一茶・荻原井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」は毎週月、火、水曜日が休館日。

 休館日にも拘わらず、一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」研究員の小野久雄氏が待っていて、説明して下さった。休館日だから、他に誰もいない。

 文化9年(1812年)、小林一茶は50歳で 柏原 に帰郷。翌年より湯本旅館 湯本希杖 その子其秋と俳諧を通じての交際が始まり、晩年まで湯田中を訪れ、長期滞在した。一茶が湯本希杖を訪れたばかりではなく、希杖も一茶を訪れいている。その関係で「一茶ゆかりの宿湯田中湯本」には一茶晩年の日記類、遺墨が多く伝えられている。

〔廿〕九 晴 エベ 中野 戸狩ヲ通リテ田中ニ入

『七番日記』(文化10年10月)

 文化11年(1814年)2月5日、一茶は湯田中を訪れ、11日には六川の 梅松寺 へ。

五 晴 田中ニ入

七 晴 川原湯ニ入

十一 晴 六川梅松寺

『七番日記』(文化11年2月)

 同年6月2日、一茶は梅松寺の住職知洞と湯田中に入り、9日門人 久保田春耕 がいる高山村の紫へ、11日には知洞のいる六川村に入る。

二 晴 知洞ト田中ニ入

九 晴 紫ニ入

十一 晴 六川ニ入

『七番日記』(文化11年6月)

田中は湯田中。

 文化12年(1815年)5月2日、一茶は湯田中を訪れた。10日まで滞在して、 六川 に行く。

二 晴 田中ニ入 出水舟留

十 晴 六川ニ入

『七番日記』(文化12年5月)

   田中

涼風に欠(あくび)(ついで)の湯治哉

『七番日記』(文化12年6月)

 文化15年(1818年)2月5日、一茶は素玩と湯田中に入る。9日、湯本希杖と 常楽禅寺 に詣で、六川へ。

五 晴 素玩ト田中ニ入

九 晴 希杖ト中野常楽禅寺詣 無相(窓)国師坐禅石山ニ西国卅四番石観音 六川ニ入

『七番日記』(文化15年2月)

一茶ゆかりの宿湯田中湯本」


 大正6年(1917年)7月、 荻原井泉水 は上林温泉に滞在。初めて湯田中で一茶の遺墨を見る。その後一茶を研究、出版。それによって一茶が世に知られるようになったそうだ。

 平成12年(2000年)6月4日「一茶ゆかりの宿湯田中湯本」当主の湯本五郎治氏が一茶、荻原が愛用した離れを改装し、湯薫亭(とうくんてい)と名付けてに開館。

 一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」は手前が荻原井泉水関係、小林一茶関係の資料



   おのれのすがたにいふ

ひいき目に見てさへ寒きそ婦りかな   一茶

『一茶発句集』

『一茶発句集』は、文政12年の一茶三回忌に発行された。

この絵は 千曲川万葉公園 にある 一茶の句碑 の絵に似ている。

類句に「ひいき目に見てさへ寒き天窓(あたま)かな」がある。

『七番日記』所収。文化15年(文政元年)作。

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