このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今年の旅日記
妙行寺
〜加藤清正誕生地〜
名古屋市中村区の
中村公園
の東に妙行寺という寺がある。
通称清正公さま。
永仁2年(1294年)、日像菩薩により真言宗により
日蓮宗
に改宗。
天文年間(1535年)、中興日勢上人正悦山妙行寺と改稱再興。
慶長15年(1610年)、清正公
名古屋城
築城の砌、普請小屋を貰いうけて御先祖・御両親の菩提を弔う為に、堂宇を此処誕生の地に建立す。
清正公堂安置の御尊像は肥後
本妙寺
第三世日遥上人の作なり。
加藤清正公
昭和35年(1960年)4月、350年祭を記念して清正公奉賛会建立。
加藤清正
誕生地
清正は幼名を虎之助といい、永禄5年(1562年)この地に生まれたといわれる。天正(1573〜)のはじめ
秀吉
に仕え、数々の武功をたてた。とくに
賤ヶ岳
の七本槍は有名である。のちに肥後国(熊本県)54万石の領主となった。
慶長15年(1610年)名古屋城築城の時、自分の生誕地に城の余材をもって妙行寺を再建したと伝えられている。寺内には、秦鼎の撰文「清正旧里之碑」がある。
名古屋市教育委員会
清正公堂
キヨ正ハシ
「清正公誕生之地」碑
慶応4年(1868年)4月、建立。
「加藤肥後侯旧里碑」
文化7年(1810年)、建立。
尾張需臣秦鼎撰文。
常泉寺
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