このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
太宰治ゆかりの地
天上山
〜小説「カチカチ山」〜
天上山
は太宰治の小説「カチカチ山」の舞台。
太宰治や「カチカチ山」に関するインフォメーションボードがあった。
昭和15年(1940年)春
三鷹の自宅縁側にて
三鷹の自宅付近にて
太宰治の生涯
太宰は、明治42年(1909年)6月19日、青森県北津軽郡
金木町
に県内屈指の大地主である津島家の6男として生まれました。
太宰治の兄は元青森県知事津島文治。津島文治は十和田湖の
「乙女の像」
の「制作を高村光太郎氏に委嘱した」。
本名は津島修治、青森中学在学中に
芥川龍之介
に憧れて作家志望を抱き、弘前高校を経て、昭和5年(1930年)東京帝国大学仏文科に入学しました。在学中に井伏鱒二を訪ね、以後長く師事しています。
昭和11年(1936年)に第一創作集『晩年』を出版。以後、昭和23年(1948年)6月13日、玉川上水に入水して39歳でこの世を去るまで、『走れメロス』、『人間失格』、『斜陽』、『桜桃』など約200編に及ぶ作品を遺しました。
作品世界以外でも度重なる自殺未遂や薬物中毒、文壇との応酬など話題が多く、また過剰な自意識に導かれて自ら「20世紀騎手」を自負しつつも時代に対して距離を置き、やがて孤独な道へと進むに至るその生き様は、今なお多くのファンを引きつけて止みません。
毎年6月19日には三鷹の
禅林寺
にて桜桃忌が営まれており、太宰治を偲ぶ集いが開かれています。
昭和23年(1948年)、『人間失格』執筆の頃
小説「カチカチ山について」
さて「天上山=かちかち山」説はどうして生まれたのでしょうか?
その鍵を紐解く一つの鍵が、作家・太宰治(1909〜1948)の存在です。太宰は自身の小説「カチカチ山」(『お伽草子』収録)の冒頭で、<これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いま船津の裏山あたりで行はれた事件であるといふ。>と書いています。 実は昭和13年(1938年)に河口湖町御坂峠の
天下茶屋
に滞留しています。この太宰の記述がこの説の根拠の一つとなっているようです。
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