このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
河東碧梧桐ゆかりの地
砂白ろ尓庭燎焚くらむ楠の冬
今治市大三島町宮浦の県道21号大三島上浦線沿いに伊予銀行宮浦支店がある。
伊予銀行宮浦支店の西側に河東碧梧桐の句碑があった。
砂白ろ尓庭燎焚くらむ楠の冬
(すなしろにていりょうたくらむくすのふゆ)
昭和58年(1983年)1月、建立。
河東碧梧桐(本名は秉五郎)明治6年(1873年)2月26日生、昭和12年(1937年)2月1日没。松山に生まれ、父が
正岡子規
の漢学の師、兄が子規の友人であったため、早くから子規に近づき、また
高浜虚子
とも少年時代より親交があった。京都の三高に入学し、後に仙台の二高に転じたが、学風をきらって中退し、上京して子規の俳句革新運動を助ける。やがて新傾向の俳句運動を起こし、自由律俳句を提唱する。この間、俳句行脚と称して全国を遍歴し、明治43年(1910年)11月12日
大山祇神社
に参拝した。この句はその時の作であり、書は六朝体といわれるもので、この面においても一家をなしている。
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