このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
大山祇神社
〜吉井勇の歌碑〜
道後温泉
から「せとうちバス特急便」で大三島へ。
「大山祇神社前」下車。
総門
能因法師雨乞いの樟
日本最古の楠(樹齢3000年)で後冷泉天皇の御代(900年前)伊予国守藤原範国は
能因法師
を使者として祈雨のため、参拝させた。
其の時
「天の川苗代水にせきくだせ
天降ります神ならば神」
と詠じ幣帛に書付け祈請したところ伊予国中に三日三夜雨が降った(金葉和歌集)と伝えられている。
神門
大山祇神社由緒
日本総鎮守
大三島宮
大山祇神社由緒
御祭神 大山積大神
御祭神大山積大神は天照大神の兄神で山の神々の親神に当り(古事記・日本書紀) 天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として、和多志大神(伊豫國風土記)と申し上げる、海上安全の守護神である。
地神・海神兼備の大霊神として日本の国土 全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣、五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。
御分社は、全国に10,000余社祀られ、
延喜式
名神大社に列せられ伊予国
一の宮
に定められた。
明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一の大社として尊崇されている。
拝殿
宝篋印塔
時宗の開祖一遍上人は河野通広の子として松山
宝巌寺
で生まれ、三島水軍河野通信の孫に当たり、一遍上人絵伝に知られる通り大三島宮の参拝の折奉納したものです。
宝物館の入場料は1,000円。
吉井勇
の歌碑があった。
義経の
鎧まばゆし
緋縅の
真紅の糸も
いまが燃ゆがに
明治43年(1910年)11月12日、
河東碧梧桐
は大山祇神社に参拝して宝物庫に案内された。
瀬戸内海の島通いをする小蒸気に乗って、この島に着いたのは午後四時頃であった。旧知菅菊太郎と久闊を叙する間もなく、大山祇神社に詣でると、すぐ宮司の案内で、宝物庫に導かれた。国宝の甲冑類で、この宝庫に蔵せられておるものが日本全国中の八割という多数を占めておるという鎧及び兜を始め、太刀、鏡等何れも稀代の業物の説明を聞いた。
『続三千里』
宝物館に
源義経
、
源頼朝
の鎧等があったが、撮影禁止。
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