このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

宮沢賢治ゆかりの地

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雨ニモマケズ詩碑

  花巻温泉 から県道37号を東に行き、国道4号(陸羽街道)を南に行き、花巻空港の先を東に行き、北上側を越えて、国道456号を南に行く。


広い駐車場があったが、それは宮沢賢治童話村。

童話村の向かいの丘に宮沢賢治記念館があった。


やはり花巻は宮沢賢治の町だ、と思わせるような記念館だった。

 花巻には宮沢賢治の詩碑がたくさんあるが、賢治といえば、やはり「雨ニモマケズ」だろう。「雨ニモマケズ」の詩碑は羅須地人協会跡にある。現在、羅須地人協会の建物は花巻農業高等学校に移転されている。羅須地人協会跡は国道4号(陸羽街道)に戻って、さらに南に行くのだが、なかなか見つからなかった。


雨ニモマケズ詩碑


 大正15年3月(1926年)3月、宮沢賢治は花巻農学校を30歳で退職し、羅須地人協会を設立して理想の実現にいどんだ。同年12月、上京して、高村光太郎を訪ねている。

 昭和8年(1933年)9月21日、賢治は37歳の若さで亡くなる。手帳に昭和6年(1931年)11月3日の日付で「雨ニモマケズ」が書かれていた。

 雨ニモマケズ詩碑は賢治没後3年目、昭和11年(1936年)に建てられた。碑面には 高村光太郎 の揮毫で「雨ニモマケズ」後半部分が刻まれている。さらに昭和21年(1946年)に「光太郎記」の4字を光太郎が自ら書き込んだ。当時光太郎は花巻で 山小屋生活 をしていた。

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレホメラレモセズクニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ

飯坂温泉 に向かう。

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